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2007年 関西旅行記
 
                                               

自分で手配した旅・・・四都物語(奈良・大阪・神戸・京都)
「スルッとKansai 3dayチケット」で神戸のルミナリエへ





日程  12/06・12/07・12/08  大阪泊    12/09・12/10・12/11 京都泊
経費  大人2名
飛行機チケット                                           @13,800 ×2=27600円(片道)×2=55,200円
交通費   スルッとkansai 3dayチケット ( 1人3日間・加盟の電車とバス乗り放題チケット@5000円)
                                                         (2人6日間相当)    @5,000 ×4=20,000円
(スルッとkansaiチケットの ない日&新千歳⇔家のバス代                                          5,180円
宿泊              スーパーホテル梅田・肥後橋                      (大阪) @7,980(2名×1泊)×3=23,940円
               スーパーホテル京都・烏丸五条                     (京都) @6,980(2名×1泊)×3=20,940円
拝観料                                                                        12,800円
食事                                                                                     24,029円
土産                                                                                     16,400円
雑費(コインロッカー代)                                                                          400円
                                                                              〆て  178,889円



旅程
1日目 司馬遼太郎記念館 4日目 壬生寺 6日目 銀閣寺
2日目 薬師寺 二条城 法然院
唐招提寺 御池中学校の不断桜 安楽寺
興福寺 本能寺 永観堂
3日目 法善寺横丁・水掛け不動尊 先斗町 蹴上インク ラ イン(傾斜鉄道)
黒門市場 祇園 大坂城(大阪)
南京町 5日目 金閣寺 7日目 三十三間堂(京都)
神戸港&神戸ベイクルーズ 等持院 まとめ
ルミナリエ 龍安寺
仁和寺
●京福電鉄・嵐山線(らんで ん
渡月橋
和泉式部の墓




食べたところ
ミル キー ウェイ(大 阪・難波) お好 み焼き
いしかわ(薬師寺門前) 山菜蕎麦・柿の葉ずし・西の京だんご
黒門市場(大阪) 立ち飲 み豆乳
自由軒(大阪・千日前) 織 田作之助の名物カレー
龍鳳(神戸・南 京町) 豚角煮ハ ンバーグ・ ジャンボ 餃子
にしんそば松葉(京都・南座そば) にしんそば・鮭ごはん
湯豆腐七くさ(龍安寺境内) 湯豆腐
山源(永 観堂そば) にしんそば・きつねそば
ステーキ主人公(樟葉駅・食堂街) ビーフかつ・ハンバーグ
且座喫茶(三 十三間堂そば) 昼のメニュー・赤 飯セット


















1日目

朝8時45分 札幌千歳空港発、11時 関西空港着。
本日の予定は、司馬遼太郎記念館を観てホテルへイン。
 
                    
07/12/06 司馬遼太郎記念館




安藤忠雄氏設計の記 念館




大書架
東大阪市下小阪3丁目11番18号

旅の初めは、ツレの希望で司馬遼太郎記念館。
司馬遼太郎氏が生前生活していた家に隣接して、安藤忠雄氏設計の記念館が建てられていた。建築的にも評価の高い建物である記念館は、庭の花々が一瞬時に目に飛び込んでくるガラス張りの回廊が圧巻。

地下一階に足を踏み入れると、壁という壁を覆い隠すかの如く書架が広がっていた。まさに本の壁。司馬遼太郎氏が手にとってページを繰る姿が、脳裏をよぎる。

本で埋め尽くされた壁の中で、もともとの壁が露出している部分は非常に少ないが、そこに氏が小学校6年生の国語教科書に載せるために書いた「21世紀に生きる君たちへ」という文章のパネルが掛けられていた。
「自分に厳しく、相手に優しく、それらを訓練することで自己が確立されていく。」れれれ、どこかで聞いたような〜。そうそう。厚さ1センチ程度と薄いのが気に入って、今回の旅に同伴させたトルストイの文庫本。先ほどまで飛行機の中で読 んでいたのだが、その中の「火を消さずにおくと」という民話に、よく似ている。

何で、こう同じ様な文章が立て続けに目の前にあらわれるかなぁ?もしかして、これは「この旅の間、ツレと喧嘩をしてはいけない。相手に優しくせよ」という 司馬神 様からの警告?普段だって、滅多に夫婦喧嘩はしないけどなぁ・・・。それにしても、旅の一頁目にこれかい?

司馬遼太郎様へ・・・仰せの通り、人という字のごとく支え合って旅を続けます。(大丈夫か?)


07/12/06 ミルキーウェイ(大阪・難波)



お好み焼き(いか&ミックス)
司馬遼太郎記念館を後にして、大阪・難波に無事到着。
ホテルのチェックインにはまだ間があるし、ひとつゆっくりとナンバ・ウォークと洒落込むか。おっと、女の子に声をかけるなんぱ”ではない。難波です。あしからず。
 

荷物をコインロッカーに入れて、ゆうゆうのウィンドー・ショッピング。記念すべき大阪の初グルメは、や はり「お好み焼き」でしょう!という次第で地下街の「ミル キーウェイ」で大阪の味を堪能。


土地勘が全くないうえに明日からの観光も控えているので、てっとり早く近間の店に入る事 にした。そう広くもない店内だが、客の出入りが賑やか だ。仕事帰りのサラリーマンから女同志買い物の帰りというグループまで客層の守備範囲はすこぶる広い。

ほどなく、店員さんが具材を全部入れかき混ぜたものを、目の前のプレートの上に平にのばした。・・・何とダイナミック!そうそう、ここは関西やったわ。

我が家は広島に何の縁故もないのだが、お好み焼きは何故か広島風。小麦粉の生地をうすくのばして焼き、その上にきゃべつをドカンと乗せ肉を並べ、ころあいを見てひっくり返す。横で目玉焼きを焼き(本場もんは目玉を崩すらしいが、いつの間にか我が家は独目流)お好み焼きをこの上に乗せ、卵が上になるように ひっくり返す。後はたれを塗り、好みで青のり・鰹節・紅ショウガなどを盛り完成。

広島風に比べると、関西風はキャベツを盛り上げない分ボリュームに欠ける気はするが、店員さんのちょうど良い焼き加減が食材の適度な歯触りを残し、食欲をそそる。いか@600円、ミックス(いか、海老、豚)@850円。本場のお好み焼き初体験の巻ナリ。


さて、そろそろホテルへ向かおうかと思ったら・・・ない、ナイ、私の荷物を預けたコイン・ロッカー が、ない(/_;) いや正確にはコイン・ロッカーの場所が解らない。

あの荷物がないと、今夜はどういうリスクが襲いかかるのか?頭の中を最悪の事態予測が駆け巡る。
ツレと地下街をぐるぐる歩き回ること1時間。はたと気づいた。ここは地階、入れたロッカーはもしかすると1階だったかも?札幌の地下鉄に慣れている私たちは、この階 層感覚を持ち合わせていない。

野次喜多珍道中の始まり・・・
(>_<)



2日目

せっかく3dayカードを購入したのだし、ちょっと足を伸ばして本日は奈良方面。

07/12/07 薬師寺(世界遺産)




東塔(国宝)




東塔・古代釘
宗派・法相宗。本尊・薬師三尊(国宝)。聖観音菩薩像(国宝)は、ほっ そりとした端麗な姿が美しい。南都六宗の一つ。

薬師寺は、680年に天武天皇が後の持統天皇の病気平癒を祈願して、飛鳥の地に創建。710年に平城京へ遷都。度々の火災により、現在も残る奈良時代の建 物は東塔のみとなった。
東塔は裳階(もこし)をつけているために六重に見えるが、実際は三重の塔である。金堂をはさんで両脇に東塔と西塔が配されているが、西塔は元禄時代に焼失 し昭和56年に再興されたもの。新しくはでやかな西塔との対比で、東塔の稟とした美しさが一層際立つ。

僧侶の話を聞いてきた。薬師寺は僧侶を教育するための学問の寺で、この寺の僧侶になるには大変優秀でなければなれない。つまり、この世界の東大みたいなも の。又、薬師寺は檀家がいないので、自分たちが一般の家の葬儀でお経をあげる事はなく、薬師寺の僧侶である自分が死んだ時も同僚に葬儀を努めても らう事は出来ない。依って実家の宗派から僧侶に来てもらうコトになる。概ねこういう話だった。一口にお寺といっても色々あるのだなぁ。

失われた堂塔の復興は高田好胤管主の尽力による処が大きいが、これほど格の高い寺でも檀家を持たないために経済的には大変苦しいようで、一口2000円の 写経を僧侶自らが観光客にさかんに勧めていた。
私は宗教には疎い。が、念仏を唱えるとか禅を組むなどの個々人の修行により、来世は救われるという教えではなかったか?ならば、それを人々に教え導く仏徒 が、現世では、最も生臭い「金」で四苦八苦しているのは、何とも気の毒な気がする。

その努力によって、貴重な日本の文化遺産が残されている現実をも忘れてはいけないだろう。

薬師寺の門前にある「いしかわ」という茶店風の店で昼食。
07/12/07 いしかわ(奈良・薬師寺門前)





西の京 いしかわ

山菜そば

柿の葉ずし  西の京だんご
薬師寺を 出た所に昔懐かしい風情の茶店があっ た。
甘党のツレは、ウィンドーケースの中のだんごに、いたく心魅かれた様子。昼時でもあり、昼食はここに決定。店先の印象と違って、中は「落ち着いた茶店」といった雰 囲気だ。椅子席と座敷あり。

注文したのは、山菜そば(@600円)柿の葉ずし(@360円)西の京だんご(@380円)。
日頃慣れ親しんでいる濃口しょうゆ仕立てのそば汁とは違い、薄口しょうゆに昆布の味が効いているのが新鮮だった。そばの上にとろろ昆布がのっているのも初 めての体験!汁を吸い取られそうで、少々あせる。が、この組み合わせの相性は良いようだ。柿の葉ずしは、この店で作ったものではなさそうだが、期待通りの 味。そしてだんご。中でも抹茶味のものは、抹茶の深い味わいが、これはもう絶品。

有名な寺の門前の店という事で、味に関しては左程期待していなかったのだが、どの品も家庭的な味で美味しかった。店の裏に庭と居宅がある。のどかな奈良の 風景 を見るようで、心なごむ。


07/12/07 唐招提寺(世界遺産)







戎壇
宗派・律宗総本山。本尊・慮舎那仏(国宝)。創建年・天平宝字3年。開 基・鑑真。国宝・重要文化財多数。南都六宗の一つ。

井上靖の「天平の甍」で有名な中国(唐)の僧・鑑真が晩年をおくった寺である。とても楽しみにしていたのだが、金堂は2009年まで解体修理中との事で、 門から見える金堂はシートに覆われ、まるで工事現場の様相を呈していて、がっかり。

鑑真は仏教者に戒律を授ける導師「伝戒の師」として日本に招請された。出家者が正式の僧となるための受戒の儀式を行う場所が左の写真・戒壇である。戒壇院 の建物は江戸時代末期の嘉永元4(1851年)に焼失して以来再建されず、今も残っているのは3段の石壇のみ。

大修理中で金堂が見られない。鑑真大和上御影堂も春の数日のみ公開で、今回は見られない。ないない尽くしで、しょんぼりの私。1970年に完成した鉄筋コ ンクリー トの収蔵庫・新宝殿へと向かった。ここでの見ものは金堂の鴟尾(しび)と木心乾漆千手観音立像(国宝)。鴟尾とは瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの 一種の事である。西方につけられていたものが奈良時代、東方のものが鎌倉時代のも の。すでに西方のものの傷みが酷いため、平成の鴟尾が作られ、すげ替えられた。

さて、千手観音立像。これも金堂修理に伴って只今パーツ毎に解体中で、大脇手1本と小脇手1本の展示。この千手観音像はちゃんと千本の手があったらしい。 数本は 長い年月の間に紛失したようだが・・・。普通、 千手と呼ばれているものでも、生真面目に千本の手をもつ観音像はほとんどないだろう。受付にいた女性に鴟尾について聞いたら、返事の後でそっと耳打ちして くれた。「千手千眼といって、観音像の掌には一本につき必ず一つの目があるんですよ。よく見ると目が 見つけられます。」「え?そうなの?知らずに帰るとこだったよぉ」慌てて観音像の手に駆け寄り、目をこらした。「あった〜♪うっすらと見えた。」修理が終 われば普通の展示に戻るので、観音像も組み立てられて一体となる。当然、拝観は遥か彼方からという事になるそうな。パーツとは言え、今だからこそこんな数 十センチの真近で見られるのだとか。

今日ここへ来た事は、とっても運が良かったらしい。さっきまでの落胆はどこかへ吹っ飛んだ。ゲンキンな私。

近鉄・西の京→近鉄・奈良駅。興福寺から奈良公園散策の予定。

07/12/07 興福寺(世界遺産)





五重塔と東金堂(共に国宝)
宗派・法相宗大本山。本尊・釈迦如来。創建年・天智天皇8年。開祖・藤 原不比等。
国宝・五重塔、木造弥勒仏坐像ほか。文化財多数。南都六宗の一つ。

藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。平家の南都焼討ちで大半の堂塔を焼失したが、鎌倉時代に 復興。現在は東金堂(とうこんどう)(国宝)、五重塔(国 宝)、北円堂(国宝)、三重塔(国宝)、南円堂(重要文化財)が残っている。

近鉄・奈良駅2番出口→徒歩5分
。 この都会のど真ん中で、国宝・重要文化財級のお宝をザクザク所蔵しているのには驚かされる。隣の奈良公園とは仕切りのない地続きで、鹿が境内をうらうらと 散歩してい た。これぞ、奈良!

国宝・重文がひしめき合う国宝館。その数ある中で一際目をひくのが、八部衆立像中の阿修羅像。インドでは大地を干上がらせる太陽神となり、常にインドラ (帝釈天)と戦う戦闘神である。顔を三つ持ち、天に差しのべた細く長い六本の手は優雅で すらある。ほっそりとした体つきと切れ長な目が清楚で美しい。眉を寄せた表情が、 帝釈天との激しい闘いをわずかに連想させる。気がつくと、男前(?)の阿修羅像の前で、しばし佇ん でいた。

阿修羅像に心奪われている間に、時間が刻々と過ぎ、結局観られたのは国宝館と東金堂のみ。次回はたっぷりと時間をとってこなければ、とても観切れるもので はない。この後の奈良公園散策の予定は、文字通り予定で終わってしまった・・・。





3日目

本日の予定は、午前・大阪。午後・神戸。

大阪編

07/12/08 法善寺横丁・水掛け不動尊



本尊の不動明王



法善寺の横にある店「夫婦善哉」
地下鉄難波駅から道頓堀通りを歩いて、法善寺に辿り着いた。 この寺は千日回向(えこう)を行う寺で,そのため門前が千日前と呼ばれるようになったそうだ。法善寺は、1637年開山の浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如 来、山号は天龍山。
本堂は第二次大戦で焼失。金毘羅堂と水掛け不動が現存する。

商売の人々が多く訪れるお不動さんは、参詣者がかける柄杓の水で全身が苔に覆われ、独特の風情がある。法善寺の北には法善寺横丁が、石畳の路地沿いに続い ていた。

法善寺界隈は、織田作之助の小説「夫婦善哉」で一躍有名になった所である。私は読んでいないが、写真の店「夫婦善哉」も作中に登場するお店で、ぜんざい一 人前を二つの椀で出すことから夫婦善哉というのだとか。甘党のツレなら「足りない〜!」と騒ぎそうだ。

今日の昼食は、織田作之助がこれを目当てに足しげく通った事で有名な、千日前「自由軒」の「名 物カレー」と決めた。


07/12/08 自由軒(大阪・千日前)




自由軒

店内

名物カレー
11時20分開店。 11時に店の前に着いたが、開店前で閑散としていた。左の写真で店のウィンドーを覗いているのは、他でもないツレ。つ まり、その時は他に誰もいなかったのだ。時間潰しにその辺の店をぶらぶらと見て歩く。そして、再び戻ってきた時には、な、な、何と長蛇の列が出来ているで はないか。「人気のカレーを一度は食べてみたい。」との思いは、誰しも一緒だわぁ。

それでも、ぎりぎり一回目で店に入れた。席は中央の長いテーブルから順に埋 めていったので、私はしっぽの余禄で、壁際の四人掛けテーブルに案内され、落ち着いた席を確保出来た。今日はついているのか、いないのか?

織田作之助が昭和15年に発表した小説「夫婦善哉」 に登場するのがここの “名物インデアン・カレー”。お店の人は“名物カレー”と呼んでいたが。卵のところにソースを少し落とし、全体をかき混ぜ て食べる。ルーがライスにしっかりと絡み、美味しい。@650円。
ハヤシライスの真ん中に生卵を乗せた“名 物ハイシライス”(何故かハヤシではなくハイシ)も、次回はチェックしよう。


07/12/08 黒 門市場







いつも賑やかな黒門市場
豆腐屋さ んの豆乳も美味♪



鮮魚店の店先に並ぶフグ


何故かコインランドリー
大阪ミナミに位置する商店街。名前の由 来は、円明寺というお寺の門前にあり、その門が黒かったからと言われている。

朝からこの賑わい。 午前は調理人・午後からは一般客が多いと聞いていたこの市場。どっこい大阪の主婦は元気だ。

ちょうど、黒門会年末大売り出し「がんばりまっせ!黒門会」に遭遇した。
抽選会場に貼られていたのが右から二枚目の写真。黒門会のお店の領収書2枚で1回の抽選が出来るという太っ腹な企画だ。1等は勿論「ふぐ」。旅先で「ふ ぐ」を当てたらどうしよう?と、取らぬ狸の皮算用。実は、ホテル暮らしでは魚や野菜を買っても調理が出来ないので、買ったの はみかんのみ。依って、領収書1枚なので抽選権はなし。

どの魚屋さんも主役として並んでいるのが「ふぐ」。北海道産の私は、魚屋さんの店先に「ふぐ」が並んでいるのを初めて見た。「一般家庭でも主婦が調理して 食卓にのせるの?毒ぬきは素人でも大丈夫?」次から次へと疑問がわき出てくる。黒門市場の近くでウィークリーマンションを借りて、1か月位自炊がしてみた い!そうこうしている間に、私の隣で「3等・車えび」を引き当てた方が二人。当たりくじが沢山入っているらしい。隣で様子を見ている私にまで、幸せ気分が 伝染する。

市場のはずれに「コインランドリー」を発見。市場で洗濯する人って、誰?


07/12/08 高橋食品支店(大阪・黒門市場)


豆腐屋さんの店先の豆乳
「食い道楽大阪」の台所といわれる大阪中心部の商店街が、黒門市場。 約 580m続く通りには鮮魚店などを中心に170以上の店舗が連なり、創業170年以上の歴史を誇る。食材の買い出しにやって来たミナミの料理人や一般の買 い物客で賑わう。

ふと、豆腐屋さんの前で足が止まった。立ち飲みの豆乳が一杯60円。しかも、こぼしそうな程なみなみ注いでくれるのも嬉しい!豆腐をそのまま飲んでい るような濃厚な味は、スーパーなどで売っている豆乳とはまるで別モノ。美味しい♪

買い物途中のチャリをピタッと店の前に止め、一気に飲みほして行った主婦の方は、きっと常連さんだろう。と、思う間にも観光客やら土地の人やらが、入れ替 わり立ち替わり飲んでは去って行った。なかなかの人気だ。

近くにこういう豆腐屋さんがあったら、私もきっと常連になるだろうなぁ。

神戸編
07/12/08 南京町







あずまや

長安門

長安門の先に広がる中華街
横浜中華街・長崎新地中華街とともに日本三大 中華街の一つに数えられ、東西約200m、南北110mの範囲に100余の店舗が軒を連ねる。店頭の路上で点心やスイーツ・土産物などを売る店も多い。

南京町の中央通りは中央の広場に「あずまや」があり、そこを中心に十字路が広がり、東には「長安門」、西は「西安門」、南は「南楼門」 という名前の門がある。この日は、土曜日という事もあり、若いカップルであふれていた。

中心部「あずまや」では、周辺の中華店の 店頭から買い求めた軽食を頬 張る人々が多くみられる。しかも「ジャンボギョウザ」にかぶりつく 人がとても多い。こりゃぁ、逃してなるまじ。人混みをかき分けるようにして何とか入手し、早速かぶりつく。「う〜ん、ジューシー。」下手なレポーターのよ うなセリフがつい口をついて出た。名前の通り、デカくて、しかも滴る肉汁が堪らなく旨い!

若いカップルのデートスポットとなっているようだが、この店頭での軽食販売は、阪神淡路大震災の罹災直後から始まったというから、まだ歴史が浅いようだ。 日本では行儀の悪い事だけれど、食べながら歩くのはとてもとても楽しい。


07/12/08 龍鳳(神戸・南京町)

龍鳳」の料理人さん


豚の角煮ハンバーグ


シュウマイ
南京町を 歩くと右に左に展開する美味いモノたちに目を奪われる。かくして、店頭販売の豚の角煮ハンバーグ他などを、並んだ末 やっと GET。

行列から外れてひょいと目を転ずれば、その横にこの店の店舗を発見。一点、私の目を釘づけにしたのが、左のお方。このお顔(写真)が店舗の入り口のガラス に貼られていたのだ。その横にはその同じお顔が・・・これは、せっせと調理中。当たり前ながら動いていた。私は、写真と本物とを思わず見比べてしまった。 凄いインパクト。

私は肉が苦手。ツレの感想によれば豚の角煮ハンバーグは、とても美味しかった模様。
粽の専門店だと後で知ったのだが、機会があれば粽を是非食べてみたい。


07/12/08 神 戸港&神戸ベイクルーズ












ロイヤルプリンス

神戸メリケンパークホテル

神戸大橋

神戸ハーバーランド

中突堤・メリケンパーク
南京町からてくてくと歩いて神戸港にたどり着くと、紅い鼓のようなポート タワーが視界 に飛び込んでくる。その足元の中突堤は、四国への高速船が発着していた所だが、今はフェリーターミナルが他へ移転されこの航路の運行はなされていな い。東にはメリケンパー ク、西には神戸ハーバーランドが見られる。

メリケン波止場と中突堤の間を埋め立て、作られたのがメリケンパーク。15.6haとの事だが、とにかく広い。そのせいか、ここもカップルが多い割には落 ち着いた雰囲気が漂っていた


神戸ベイクルーズは神戸港を遊覧する観光船である。湾内一周45分@1000円。私は舳先のデッキに陣取った。 ハーバーランドを過ぎた辺りから景色が変わり、見渡せど視界は海。船はさらに海原へとぐいぐいこぎ出してゆく。中突堤を出て川崎重工(浮きドック)→海上 自衛隊の潜水艦→明石海峡大橋→三菱重工近くを過ぎた所で中突堤へと進路を戻す。湾内という事で船の揺れもほとんどなく快適なプチ船旅である。風に吹かれ て、体が芯から冷えてきた。船室は満員なので、一階にある喫茶コーナーへ。ここでは軽食も提供していて、軽く食事をしている方もいた。勿論、私のように寒 くて避難してきた客も。右の中突堤の写真はクルーズを終えた時のもの。乗船した 時はまだ明るかったので、下船してぱっと眼の前に開けたポートタワー周辺の夜景に「うわぁ、奇麗になってるぅ」という歓声があちこちからあがった。

右から二枚目の写真が、神戸ハーバーランド。観覧車の右、白い「
MO」の文字が見える所が「MOSAIC」というファッション・雑貨などのショッピングモールとなっている。 この日は、そ の手前の広場でオートバイのハーレーダビッドソン関係の催しがあり、人でごった返していた。港のホテル前あたりでは、釣り糸を垂れている人が数人。相棒が 駆け寄り聞 いた処によると、戦果は「いわし」との事。ひっきりなしに船が往来するこの騒々しい港で、泳ぐ魚・それを釣る人・ハーレーに吸い寄せら れてやってきた人・「MOSAIC」で買い物をする人、クルーズを楽しむ人。大勢の人がそれぞれの目的でここに集う。この風景は、そんな人々を迎えて、悠然と抱き込んでいるように見える。やっぱり、神戸は お洒落な街だ。


07/12/08 ルミナリエ















光の誕生


光のカッサ・アルモニカ


虹の空間

光の河
偶然にも神戸のルミナリエに遭遇した。 「ちょっと見て、早めにホテルへ帰ろうか」と言っていた私は、その時、それからの事の流れを全く読めていなかった。

神戸港から人波の流れのままに歩いていったら・・・途中で人々からはぐれてしまった。皆さん、目的地はルミナリエだろうと思ったのに、一体どこへ行ったの だろうか?地図を見ても土地勘のない私には、現在地の確認が出来ない。仕方なく、アーケード街のお店で尋ねると「次の小路で、三宮駅からのルミナリエ観光 客と合流し、もう、そこからはルミナリエのコースとなるので、後は人の流れに従っていけば大丈夫ですよ」。知らないうちにルミナリエ観光コースに入りこん でいたらしい。

「ルミナリエ」の語源はイタリア語のIlluminazione Per Feste(祝祭のためのイルミネーション)。ルミナリエ作品はヨーロッパバロック時代(16世紀後半、ルネッサンス末期)に盛んに創られた祭礼、装飾芸 術のひとつとして誕生した光の魅力を駆使した建築物を起源とする。

「神戸ルミナリエ」はイタリアのアートディレクター、ヴァレリオ・フェスティ氏と神戸市在住の作品プロデューサー、今岡寛和氏による“光の彫刻作品”で、 阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込め、都市の復興・再生への夢と希望を託して大震災の起こった1995年12月に初めて開催された。今では、市民は勿 論、全国的にも「神戸の冬の風物詩」として知られる処となった。反面、財政難から来年の開催が危ぶまれるため、会場では広く募金を呼び掛けていた。

市の中心部、車両通行止めとした広い通りを、ルミナリエ見物の我々は隙間がない程密着した状態で、少しづつ少しづつ進んでいく。尾籠な話で恐縮だが、夜に なり気温も下がってきたせいか、ツレが尿意を催した。しかし、通りにはシャッターを下ろした銀行ばかりでコンビニの一つも見当たらない。さらに数十分後、ツレの口数が少なくなり、心なしか顔色も蒼くなってきた。事は急を要せり!と、目についたのが、沿道のケーキ屋さん。「何かケーキを買って、トイレをお借りした ら?」いい終わらぬうちに、ツレは一目散に駆け込んで行った。こんな時、列の進みがやけに早い気がして気をもむ私。ほっと穏やかな表情で店から出てきたツレは、遥か先 へ進んでしまった私をキョロキョロと探している様子。遠くから歯がゆく身振りで手まねきし、あきらめて携帯に手をかけたその時、脇にいた警備の女性が気付いて 言った。「呼んできましょうか?あの方ですよね?」どの方をツレと判別してくれたか解らないけれど、取り合えず有難い!私は大きく頷いた。かくして一大事は 無事完結。

行列する事2時間半。ルミナリエが見えだすと、煌きの競演に私は思わず息をのむ。そして、周囲の人々は「うわぁ〜」と、悲鳴のような感動の声をあげ、申し 合わせたように寡黙になっ た。限りなく続く光のアーチを粛々とくぐり続ける。光の世界に抱きすくめられていると、人ごみの中で展開する荘厳な静寂が一層身に沁み入るようだ。今年の テーマは「光の紀元」。光 は希望につながる。そして、希望は人を勇気づける。バロック時代も今も、人 は変わることなく、光を求めているのかもしれない。

閑話:犬も歩けば棒にあたる。私が歩いてルミナリエに当たる。こんな幸運な事って、あるのだなぁ。この旅の収穫の一つ。しかし、又行く機会があったら、 その時は土曜日は避けたい。






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4日目

本日の予定。まずは、壬生寺。→二条城。後は足任せ。

07/12/09 壬生寺








東門

東門脇に立つ



本堂

芹沢鴨&平山五郎の墓
宗派・律宗大本山。本尊・地蔵菩薩。開基・園 城寺の僧快賢。壬生寺といえば、やっぱり新撰組でしょう。

境内には老人ホームと保育園があり、歴史と現在が同居しているのには、ちょっとびっくりした。拝観料@100円。

屯所はここではなく近くにあったが、境内は隊士の兵法調練や武芸・大砲の訓練に使われていた。、土方や近藤が鎌倉時代以来伝わる無言劇「壬生狂言」を鑑賞 したり、一番隊組長・沖田総司が境内で子供達を集めて遊んだり、 新選組が相撲興行を壬生寺で企画し、寺の放生 池の魚やすっぼんを採って料理し、力士に振る舞ったという。 目を閉じると、当時にタイムスリップしそうだ。

境内の壬生塚には隊士の墓があり、花が手向けられていた。新撰組局長・近藤勇の墓所は、全国数か所にあると言われている が、その一つ福島の会津若松の墓を、以前訪れた事がある。うっそうとした山の上、会津若松市天寧寺裏山にひっそりと眠る。近年建てられたと言う土方 歳三の慰霊碑がそっと寄り添っていたのが印象的だった。

土方歳三・芹沢鴨ら10人の最初の宿となった八木邸。古高俊太郎を拷問した場所である前川邸。時間がなく、両屯所跡を見られなかったのが、心残りだ。


07/12/09 二条城










二条城・城郭

唐門(重要文化財)

二の丸御殿の玄関、車寄

二の丸庭園

蘇鉄のコモ巻き

徳川幕府における京都の拠点となった二条城は、徳川家康が慶長8(1603)年に京の宿として建設した城。家康と豊臣秀頼との会見場所 となったほか、慶応3(1867)年には15代将軍慶喜が大政奉還を行った豪華絢爛な歴史的建造物。

旧桂宮御殿を移した本丸(重要文化財)と豪壮な二之丸御殿(国宝)からなる。

桃山美術の粋を集めたと言われる二の丸御殿(国宝)の33ある御殿はすべて狩野探幽一門の豪華な壁画で飾られていた。家康と豊臣秀頼と の会見場所となったのがこの場所である。さらに、徳川慶喜により大政奉還が行われたのは、大広間の一の間であり、日本の歴史の舞台に立ち入ったような厳粛 な気持ちになった。

城内は約27万5000uと言われるが、とにかく広く、庭園は世界遺産に登録されるだけあってゆったりと美しい。
ちょうど、蘇鉄のコモ巻きの最中だった。職人さんが丁寧に作業していたが、さすがに見事!これだけを取り上げても世界遺産とまでは言わないまでも文化 遺産位にしてもよさそうだ。芸術だなぁ。

閑話・出口付近で案内板の音声説明を聞いていたら、後で声が聞こえた。「Go back」「Close」 「うん?戻れってか?」見れば明らかに私らと同じ東洋人。してみると、彼にとっても英語は母国語ではなさそうな〜。当方とて、 Made in Japan。「え〜、閉まってる?」と思い、「Close?」と問い返し、反射的に出口の方へ目線を送った。瞬間的に私の視線の先を 追った彼はほっとした表情で「Thank you」と、足早に二条城を後にした。どうやら出口を探していたらしい。長い文章では理解されないだろうと思ったのだろうが、短い文章はさらに難しい。第 一、主語がないのだから。

英語は状況判断と勘が命!トホホホ、我ながら情けない。


07/12/09 御池中学校の不断桜




御池中学校の不断桜


今回の旅程中、唯一「スルッと関西」チケットの切れた一日なので、京都 の街を足で堪能する!

地図を見ながら本能寺を目指していたら、珍しいもの発見♪御池中学校という所で、12月だというのに桜が咲いていた!今どきに咲くなんて、地球の温暖化もここ まで来たか。と、思った私はオバカ。不断桜というのは、年中咲く品種のようだ。この桜は、大原の三千院の前にある実光院が有名らしい。

北海道を発つ朝は雪だった。白一色の世界から来ると、この時期の桜は信じられない奇跡に思える。
「生徒たちの人生が、いつも花咲き続けているように」という願いが伝わってくるようだ。

この学校のHPを探してみた。三つの中学を統合して平成15年に出来た公立の小中一貫校で、正式名が京都市立京都御池中学校という。校歌は「風上に立 つ日のために」。「シクラメンのかほり」の小椋佳の作詞・作曲というから、何ともゴージャスだ。HP上で開校式の時の歌声を25秒ほど聞く事ができるが、 生 徒による校歌斉唱を只今準備中。

御池中学校の生徒たちにとって、この歌はこれ以上もない心に咲く「不断桜」だろう。


07/12/09 本能寺









本堂

信長公廟

信長の墓
法華宗本門流。本尊・久遠常住具足の「何妙法 蓮華経」の曼荼羅。

「敵は本能寺にあり」
本能寺は、明智光秀の謀反により織田信長が自刃した「本能寺の変」であまりにも有名である。しかし、残念ながら信長終焉の地はここではなく、中京区元本能 寺南町との事。信長最期の地は次回是非訪れたい。

驚いたのは、「本能寺」の「能」の字が右側の2つの「ヒ」が「去」と刻まれていた事だ。これは本能寺が度重なる焼き討ちに遭い、「ヒ(火)が去る」という 意味で変えたと言われている。

信長公廟の横には「本能寺の変」で亡くなった人たちを合祀する墓石が有り、そこに森蘭丸など多くの名前を見出す事ができる。こちらが一方的に名前を知って いるだけなのに、旧知の人に出会ったような懐かしさだ。遠い歴史の中の人たちの息遣いが感じられ、ちょっと身が震えた。

閑話・東京ガスのCM・ガスパッチョ の ピエール瀧が「本能寺もどるわ。達者でな」と言って帰っていったあのシーンが頭をよぎる。続いて「本能寺、帰る ぎゃあ。」と一声叫んで信長本人が本能寺へ駆け戻っていった・・・やっぱり歴史は曲げられない。 東京ガス ガスパッチョ 織田信長編3


07/12/09 先斗町








意外な程、細い道だった

先斗町

店先に置かれた花

鴨川から見た先斗町の店

先斗町歌舞練場
夕食をリサーチがてら先斗町をそぞろ歩き。

鴨川の橋のちょい手前でひょいと首を回したら、な、な、何とここがかの有名な「先斗町」。道幅2mにも満たない石畳の小さな道である。寛文8年(1668)の大規模な鴨川改修後にできた道で、名はポ ルトガル語のポント(先の意) に起因すると言われる。1700年代には料理茶屋、旅籠などが軒を連ね、文化10年(1813)には芸者も誕生し、花街になった。

ある店の入り口。縁台にさりげなく花が置かれていた。葉もすべてそぎ落とした二色の菊の花が5つ、盆の水面に凛と浮かんでいる。これは千利休のわびの世界 だろうか?いかにも花街という粋が心憎い。

さて、どこで食事をしようかぁ。ぶらぶら歩いて、結局裏側の鴨川沿いに出 た。さっき歩いた店の裏側にあたる。客は鴨川を見ながら食事をするという寸法なのだろうが、この風景が昔の花街を偲ばせてくれる。みっちりくっ ついて連なる店の群れは壮観。

鴨川沿いに先斗町歌舞練場がある。明治28年、平安遷都1100年を記念して、祇園に対抗して建てられた。名前から類推して踊りの練習をする所かと 思ったら、以外にも舞妓さんや芸妓さんが出演する舞台だそうだ。

夕食の店も決まらないうちに鴨川の裏側まで来てしまった。「さて、どうしようか?」と見上げると、橋の向こう側の歌舞伎座・南座が目に入った。蛾のごとく 灯りに吸 い寄せられていく。南座の隣・「にしんそばの「松葉」で胃袋が 反応。 今夜はこれだ!


07/12/09 祇園








祇園の夜

置屋

祇園の舞妓はん

祇園甲部歌舞練場

建仁寺
腹ごしらえも終えて、ホテルへ向かう途上、広 い横道の前にさしかかった。先ほど先斗町の狭い通りを目にしているだけに、ゆったりとした道幅にどこかほっとする。

「え、祇園?」
ここが、かの有名な京都の代表的な歓楽街・祇園である。八坂神社の門前町として栄えた花街だけに、格子戸の続く家並みが祇園の格式の高さを思わせる。

祇園といえば舞妓さん。が、現在の祇園に舞妓さんは15人位しかいないそうだ。なのに、何と言う幸運!舞妓さんにばったり出会うなんて。ツレは、俄かオッカケに変身。周囲に居合わせた人々もかなり興奮気味でシャッターを切っていた。

祇園を歩いたら「都をどり」が開催される祇園甲部歌舞練場があった。どうやら前日は加藤登紀子コンサートが開催されたとのこと。付属する様に八坂女紅場学園 (やさかにょこうばがくえん)があるらしいと後で知ったが、その時は気付かず通り過ぎてしまった。通称「にょこば」と呼ばれ、祇園の舞妓や芸妓が皆、ここで舞や三 味線・唄・笛・太鼓などを習う、舞妓・芸妓の研修施設。さすがに祇園の舞妓はん、教育体制もしっかりしているなぁ。

写真右の建仁寺は、行けたのはここまで。夜なので中には入れなかった。残念〜。これも次回の旅行の宿題としよう。


07/12/09 にしんそば松葉(京都・南座そば)



松葉



鮭ごはん&元祖・にしんそば
「ニシンそば」といえば松葉と言わ れる老舗。創業は江戸末期。南座の客相手の芝居茶屋が始まりで、 1882年(明治15)現在地に移り、その時に考案した「にしんそば」が店の名となった。 松葉は京都「ニシンそば」の発祥のお店と言われている。

北海道産の身欠ニシンを醤油、酒、味醂、砂糖で2日間か けて甘辛く煮上げたものとの事だが、身欠ニシンの産地・北海道出身の私は、今まで一度もニシ ンそばを食べた事がない。「新鮮な食材に恵まれない所ほど料理に手をかける」とどこかで読んだ気がする。京料理しかり。環境のハンディを工夫創意で克服してきた人々の逞しさに思いを馳せた。

身欠きニシンとは ニシンの頭・尾を取り除いて、二つに裂き寒干しした保存食の一つ。江戸中期頃、身欠ニシンや昆布・棒鱈(鱈を干して棒状にしたもの)を 北前船で京都など内陸地へ運び、魚の獲れない京の人々の貴重なタンパク源となっていた模様。米 のとぎ汁にうるかして戻してから調理する。私は、これを焼いて大根おろしとともに食べるのが好きだ。蛇足ながら、身欠ニシンを 入れた漬物、鰊漬けも大好物♪ 

メニューは、にしんそば1100円、にしんそば(鮭ごはん付)1300円。にしん丼1350円。他。

鮭ごはん付きを注文した。鮭とニシンの組み合わせは北海道を意識したメニューなのだろうか。身欠ニシンは身 が厚く脂 がのっていてウ マイ。ニシン自体がかなり甘辛濃い目なので、その分、そばつゆが薄めの味付けになっているような気がする。美味しいのだ。だが、結局、ニシンの一人勝ちのようで蕎麦は限りなく陰が薄い。そばとニシンの味が共存して欲しいと思うのは私だけ?






5日目

金閣寺から衣笠山に沿って龍安寺前を通り、仁和寺へと続く道を「きぬかけの路」と呼ぶ。
宇多天皇が夏に雪を見たいと言い出し、山全体に白絹をかけて覆い、雪化粧に見せかけたという故事からその名が付いたと言われている。

 本日の予定。金閣寺を振り出しに「きぬがけの路」お寺めぐり。

07/12/10 金閣寺(鹿苑寺)










舎利殿と鏡湖池

金閣寺入口



陸舟(りくしゅう)の松



夕佳亭(せっかてい)



金閣小学校
世界遺産。臨済宗・ 相国寺派。開祖・足利義満。正式名を鹿苑寺といい、別称を金閣寺と称する。

ぱっと眼に飛び込んできた豪華な金閣寺に一瞬息を呑む。舎利殿を水面に映す鏡湖池は、一点の曇りもなく澄み渡っていた。もちろん、舎利殿は見事なのだが、 この池がその美しさを最大限に引き出している。どこを四角く切り取っても立派な絵になりそうだ。「一幅の絵」という言葉はこの景色のためにあるのだろう か。

方丈北側にある松が京都三松の一つと言われる陸舟の松。足利義満の手植えと伝えられている。地を舐めるように這う姿は見事。又、夕佳亭(せっかてい)と呼 ばれる茶室は、三畳敷の床柱。茶席としては珍しいそうで、南天の木が用いられている。と、ちょうど居合わせた修学旅行の引率の先生が生徒たちに説明をして いるのを、横から聞きかじってきた。(失敬)

昭和25年7月2日未明、鹿苑寺金閣寺・舎利殿は放火により焼失している。犯人は大谷大学生で寺の徒弟。以前、水上勉の「金閣炎上」を読んだ。名前の通 り、鏡のような鏡湖池が、もう一つの舎利殿を水面に作り出す。舎利殿は、シンメトリーならぬ上下対象となり、より美しく水面に映える。反面、池に映る彼の 姿は、消化で きないコンプレックスや行き詰まりを抱えた現実の自分そのままに、否むしろ、現実以上に救い様のないもう一人の自分となって、 澄んだ鏡面に残酷に映し出されたのではなかったろうか。こうして、絶望が彼の背中を押したのか・・・真相は未だ霧中。

金閣寺は美しい。が、胸が痛む。

閑話・金閣寺から出た小さな小路の先に「金閣小学校」を発見。「どこの学校に通ってるの?」「金閣小学校」なんて、凄い。ここで勉強したら、絶対に歴史好 き になりそうだ。それは、ないっか?

地図を見ながら次の目的地・等持院をめざす。

07/12/10 等持院

















等持院・山門

こちらでは、お抹茶がいただける

方丈

足利尊氏の墓

茶室・清漣亭

3代・足利義満

初代・足利尊氏

徳川家康(42歳)

室町幕府最後の将軍・足利義昭
臨済宗・天龍寺派。本尊・釈迦牟尼仏。開祖・ 足利尊氏。足利尊氏の墓所として知られている。

地図を片手に衣笠の道をゆく。
修学旅行や観光客で賑やかだった金閣寺から来たせいもあるが、訪れる人も少なく静謐。

池を見下ろす小高い丘に茶室・清漣亭がひっそりと建っていた。「控え目にそっとそこにある。」という風情がこの庭には似合う。義政公好みと言われている が、この茶室から四季折々にうつりゆく木々や花々を見渡していたのだろうか。何という贅沢。方丈側から見ると、茶室の後ろに本来見えたはずの衣笠山に替 わって、立命館大学の高い校舎が頭を出していた。残念。

方丈の西側に建つ霊光殿には、中央に尊氏の念持仏を据え、達磨大師・夢窓疎石の像を左右に安置し、その両側に足利歴代将軍の木像が13体ならんでいた。数 の多さに圧倒される。

最後の将軍・義昭は「手紙公方」と揶揄され、歴史上暗君の代名詞のように言われている。しかし、手紙という手段で、海千山千の大名たちを取り込み、あの壮 大な信長包囲網を作り上げたのは、他ならぬこの人!鉄砲一つ構えるではなく、ただ筆一本で信長への謀反を画策したその才覚は捨てがたい。義昭は、室町幕 府・歴代将軍中 もっとも難しい状況下に生まれ出た悲劇の将軍と言っても過言ではないだろう。歴史に「もし」は無い。が、あえて言ってみる。もし、信長が、秀吉が、同じ時 代に生まれ合わせていなければ、義昭の人生はどう転がっていったのか?しばし思いを馳せた。

この寺では、作家の水上勉が小坊主として寄宿していた事があるそうだ。方丈の廊下の板にそっと触れてみる。雑巾がけをする水上少年の姿が去来した。


07/12/10 龍安寺










龍安寺の石庭

山門

庫裡

本堂と石庭

つくばい「吾唯足知」
世界遺産。宗派・臨済宗妙心寺派。本尊・釈迦 如来。開 基・細川勝元。

龍安寺は枯山水の石庭が有名である。
幅25メートル、奥行10メートルほどの決して広いとは言えない敷地に白砂を敷き詰めて15個の石を5か所に点在させただけの単純構造の庭である。規則正 しい箒の掃き目が美しい。15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているとか。しかし、中の部屋からはた だ1ヶ所だけ、15個の石すべてが見える位置があると言われる。どんなに目を凝らしても14個しか見えなかったのだが・・・。 石庭に面した縁側には申し合わせたように一列に人々が並んで座っていた。静寂の中で己と向き合うには、人が少々多すぎ、かしましすぎる。

茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のことをつくばいと言う。ここのつくばいには「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれ ている。真ん中の水を 溜めておく部分を「口」として左右上下の「五・ 隹・疋・矢」とそれぞれに合わせ「我ただ足るを知る」と読ませる。徳川光圀の寄進。実はこれをとても楽しみに していたのだが、このつくばいがレプリカだったとは。トホホホ。

「ない、ない」づくしでいささか消化不良気味。
お、いけない。「我ただ足るを知る」のだったわ。人間が出来ていない私。

境内の南側に「鏡容池」があり、池の中には弁天島などの島がいくつか浮かんでいた。
と、小さなボートが島に接岸。庭師さんらしき人が島へ上陸するやいなや、木の手入れを始めた。どうやら、往来には小舟を使っているらしい。風情があって、 どこか粋だ。お昼は境内の西源院・湯どうふ七くさ


07/12/10 龍安寺・西源院 湯豆腐 七くさ











七くさ

湯豆腐

店内というか座敷


西源院と庭
龍安寺境 内にある湯豆腐の店。

小さな門をくぐり、ししおどしの音が小気味良く響く庭を歩くと、別世界へ足を踏み入れたような気分にさせてくれる。

この庭を見ながら食事をしようと、表庭側の席は早い順に埋まっていく。私が行った時はすでに空きがなく、反対側の庭(写真右から一枚目と二枚目)を見て湯 豆腐 を頂いた。時期的な事もあるが、裏の中庭もしっとりと落ち着いて枯れた風情がある。一面畳の和の空間が心地よい。そこここから英語が聞こえてきて、どこか 他の国にいるような錯覚も・・・。外人客 が多いのにはびっくり。

湯豆腐は七くさという名の通り、麩・白菜・人参・椎茸・山芋・ピーマン・水菜の七種類の具が入っていた。湯豆腐にピーマンは、珍しくはないか?木綿豆腐と 聞いたが、キメが細かくて絹ごしのような印象。ダシは生姜が効いていて美味しい。

しかし、これ程素晴らしい古都・京都の日本庭園での食事なのに、何故に食器がプラスティックなのだろう?
加えて、お会計をするレジがないのが又混乱の元。店の人が、私の所にお茶を運び終えて、ついと横にいたお客さんに言った。「あ、お客さん。まだお金もらっ てないね。」。言われた方は「さっき、払いましたよ。」「貰った?そう?あ、貰ったね。」それを目にしてちょっと嫌な予感が走ったが、案の定、私の時も注文 した料理を運んで来る前に早々に支払いを要求し、お金を渡したら他のお客さんから受け取って手にしていたお金と一緒にしてしまい、今受け取った額が解らな くなった模様。「ええっと、今貰ったのは???」と私の顔を窺っていた。忙しすぎて混乱しているのは良く解るのだ。しかし代金の徴収はスマートにして欲し い。
このしっとりとした景色も座敷も、この一件ですっかり興ざめしてしまった。

我いまだ足るを知らず・・・。


07/12/10 仁和寺

















仁王門

五重塔


南庭の石庭
最初の一掃きは何処から?


池泉式庭園「北庭」
世界遺産。宗派・真言宗御室派。本尊・阿弥陀 如来。開基・宇多天皇。別称・御室御所。国宝・重要文化財多数。

龍安寺を出て、てくてくと歩いたら仁和寺の仁王門(重要文化財)前に出た。重厚で立派な門前で両側の仁王像をしばし見上げる。「こっちが阿(あ)でこっち が吽(うん)かな?」とツレと話していたら、ちょうど居合わせた男性が「向って右が持国天、左が多聞天」と教えてくれた。詳しいなぁぁ〜。勉強不足だ なぁぁ〜、あたしたち。

と、その時可愛い女子大生に声をかけられた。なんでも立命館大学の学生で、遺跡などへの落書きについて取材をしているとの事。門に書かれた落書きをさし示 しビデオカメラを当方へ向けて「こういうのをどう思いますか?」と尋ねる。それは勿論由々しき事態だ。で、次の質問は?と、構えていたらそれでお終い。あ れ、こんだけ?ちょっと肩すかし。

仁王門をまっすぐ進んで右手に霊宝殿。さらに進み中門をくぐりぬけると右手に五重塔。各層の屋根の大きさがほぼ同じという珍しい塔だ。こちらも重文であ る。屋根のせいか圧倒的な重厚感があり、その渋さがとてもいい。さらに歩を進めると正面に金堂が現れ、その左となりには水掛不動尊。ここで横浜から来たと いうご夫婦と会った。何やら仲むつまじいご様子。聞くところによると、両手を合わせた処でご主人が手にした帽子を水の底へ落してしまい、水掛け用の長い柄杓で二人で挟むようにしてすくいあげたとか。お仲がよろしい事で。今朝早く家を出て、高雄を経てここへきたのだと。「このお寺は本堂がないのですかねぇ?」とご主人。そういえば当方もまだ本堂をみていないなぁ。

境内がとにかく広い。さて、帰路は来た道を戻ろうか?と、また仁王門へと向かう。門の直前で私たちの前を右に折れる一団あり。首をのばしてみれば「あれ 〜、 本坊があるではないか、ここに」そういえば、確か入る時にまっすぐ歩く私たちとは別に左へ向う人の流れがあったっけ。これは見ずして帰れない。早速、右折 したのは言うまでもない。宸殿と石庭は、しっとりとした静寂の空間を生み出し、格式の高さがそれを裏打ちしていた。誰もが侵し難い崇高な空気が漂う。これぞ、この寺の見所の一つ。

旅から帰って「徒然草第52段。仁和寺にある法師」を見つけた。
私は知らなかったが、中学の教科書にも載っている有名な話らしい。(以下現代文にて掲載)
仁和寺にいたある法師(僧)は、 年寄りになるまで、石清水八幡宮に詣(まい)ったことがなかったので、これを残念に思い、ある日思い立って、ただひとり歩 いて参拝に出かけたところが、麓(ふもと)の極楽寺(ごくらくじ)や高良(こうら)神社などを拝んで、これだけのものだと思い込み、そのまま帰ってきてし まったという。 そして、仲間に向かって、「長年思いつづけてきたことをようやく果しました。八幡宮はうわさに聞いたのよりまさって、まことに尊い御様子 でした。それに しても、参拝の人たちがみな山へ登っていったのはどうしてなのでしょう。知りたかったけれども、神社へ参拝するのが本来の目的であると思い、山までは登っ てみませんでした。」と言った。ちょっとしたことにも、案内役はあってほしいものである。

本来の目的の所を見終えたつもりで帰る寸前までいってしまった私たちと一緒ではないか。昔も似たようなそそっかしい人がいたのだなぁ。と妙に感心しつつも、 私等の行動を先読みされたようで冷汗が出る。同感!ほんと、案内役はあってほしいものだ。いえいえ、この話の本当の意味はもっと深い。浅読みで引用させてもら い失敬。

ところで、あの水掛不動尊のご夫婦は、うまく本坊を見つけられただろうか?「ある法師」になっていなければいいが・・・。

きぬかけの路も「仁和寺」で終わり、ここからは京福電鉄・嵐山線に乗る。次の目的地は「広隆寺」。
広隆寺に着いたのがちょうど4時30分。つまり、ちょっきり閉館時間。
お目当ての東洋のモナリザ「弥勒菩薩半跏像」がこの境内にあるというのに、無情なる面前払い。

ホテルに戻るには早いし、かと言ってお寺は閉館時間。
せっかくなので、京福電鉄・嵐山線に再度飛び乗って、嵐山まで行ってみる事にした。

07/12/10 京福電鉄・嵐山線(らんでん)

らんでん

ホーム
一両電車が軽快にやってきた。

右の写真はれっきとした駅のホーム。貼りつくように建つ家は、表札と郵便受けが見えるので多分一般のお宅・・・らしい。
「行ってきま〜す」と玄関を開けて、数歩で電車の中へ。便利というべきか、びっくりというべきか?

「ねぇ、家 どこ?」「うち?らんでんの太秦広隆寺駅のホームよ」なんて、ちょっと凄いなぁ。

電車は、民家の軒下すれすれに走り、まるでエノデンのようだ。
懐かしくほっとする景色が開けては飛んで行く。楽しい〜。


07/12/10 渡月橋




渡月橋
嵐山駅は人でごった返していた。「何?」ときょろきょろ見回していたら「何か、花行灯とかいうのを やってる らしいぞ。」とツレが、どこからか聞き込んできた。それは何?取りあえず、人の流れについていく。びっし りと店が並ぶ道を通りぬける と、渡月橋が視界に飛び込んできた。

渡月橋は、嵐山を象徴する木の橋。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡すに 似る」と言った処から渡月橋と名付けられたと言われている。

「花行灯」は、冬の観光振興を目的に京都府・京都市・京都商工会議所などでつくる協議会が2年前から開催。8日 〜17日までの午後5時から8時半まで、渡月橋・天龍寺・大覚寺一帯に2600基の行灯を置き、竹林を照らす。

警備の人に「花行灯ってどのあたりですか?」と尋ねてみたら、一瞬困った顔で「この辺りと認識しています。」との返答。とにかく人が多い。その上、どっかりと三脚をたてての撮影で長期戦の構えの人がとても多い。期待していた嵐山のしっとりとした情趣はどこにもなく、ちょっとがっかり。

橋から少し離れたあたりには、
地元中学生が和紙で作った沢山の行灯が、柔らかな光で観光客の道案内をしている。人ごみの喧噪から外れて一人一人 の個性豊かな作品群と向き合うと、見ている者の心にも明かりを灯してくれるようだ。独断で言えば、渡月橋そのものよりも、こちらの方が見ごたえがあり魅力 的だった。


07/12/10 和泉式部の墓



和泉式部の墓
一日歩きどおしで疲れたので、どこかで夕飯を調達し て早目にホテルへ帰ってゆっくりしようという事になった。と、店が立ち並ぶ通りで足が止まった。そこだけちょっとホノ暗い。目を凝らしてみると、控え目に ひっそりと「和泉式部の墓」が建っていた。どうして、こんな商店街通りのど真ん中にお墓が?と、思ったら、そこはお寺だった。

誓願寺。京都市中京区新京極通。浄土宗・西山深草派。本尊・阿弥陀如来。

帰宅後調べてみた。柳田國夫説によると「和泉式部の伝説を語り部にして歩く京都誓願寺に所属する女性たちが、中世、諸国に伝承して歩いたために、和泉式部 の墓は全国各地にある。」との事。そのような寺との縁でここに墓が建てられたという事なのだろうか。

和泉式部については、「平安時代の歌人」程度の知識しか持ち合わせていない。これを機に、ちょっとそのプロフィールを探ってみた。「あれ、まぁ〜。不倫の連続だわぁ。」殊に恋歌に情熱的な秀歌が多く、広くその才能が認められた代表的王朝歌人だそうだ。伊達に恋はしていなかったという事か。

それにしても華麗なる恋愛遍歴の持ち主のこの方、よっぽど魅力的な女性だったのだろうなぁ。思いを馳せるいとまもなく、引き揚げてきた。夜の墓地は暗くて怖い〜。






6日目

本日の予定・哲学の道
南禅寺から銀閣寺まで琵琶湖疎水をたどる道を哲学の道と呼ぶ。今日は銀閣寺から逆にたどってみる。

哲学者・西田幾太郎がこの道を散策しながら思索にふけった事から、最初は「思索の小径」と呼ばれ、それがいつしか「哲学の道」と呼ばれるようになっ たようだ。遠い以前には確か「哲学の小径」と言われていた時期もあったような気がするのだが。

07/12/11 銀閣寺










観音殿(国宝)

向月台
山型の盛砂

銀沙灘

東求堂(国宝)
義政の書斎などがある。

拝観券がお札
世界遺産。臨済宗・相国寺派。開祖・足利義 政。

正式名は東山慈照寺。別称が銀閣寺。祖父の足利義満の建てた金閣寺と比べられるが、銀閣寺は銀箔が貼られた形跡がない。というのも有名。金閣寺を見てきた 目には、ひときわ落ち着いて見える。わび、さびの世界と言われるが、修学旅行生や観光客がこれ程出入りしても、凛として動じないこの静寂な空気。それを醸 し出しているそれこそが銀閣の底力なのだろうか。

庭園の向月台と銀沙灘の盛砂には、チョークの様な砂が混ぜられていて、光を反射させ、夜、灯りの代わりにしたという。ただ、今の形態となったのが、江戸時 代後期というから以外に最近である。←これも、他の観光客のガイドさんが話すのを聞きかじり。 その時、私たちの顔を見回してガイドさんが口走った。「あら、私のお客さんじゃあない。」熱心に耳を傾けていたのは、通りすがりの私たち数名。彼女のお客は ど こへ行ったのやら・・・(こりゃまた、失敬)

足利義政が銀閣寺を造営する際、妻の日野富子はびた一文ださなかったと言われている。「あなたの勝手にすればぁ。」という事だったのだろうか。それにして も、応仁の乱が終わったばかりで京都の経済が疲弊していた中での建設である。妻の富子は蓄財に精を出し、その遺産は七万貫(約70億円)に達していたとい う。かたや夫の義政は、庶民に段銭(臨時の税)や夫役(ぶやく、労役)を課して銀閣を造営したのである。う〜ん、どういう夫婦なんじゃぁ?

銀閣寺は確かにすばらしいが、庶民はたまらない。


07/12/11 哲学の道・閑話



旅行中、唯一の雨模様。思索の道は雨もまた似合う。

一本道を歩いていたら、近くの脇道から女子高生が数組合流した。そばの女子高校の生徒らしい。ちょうど、すぐ後ろを歩いていた二人の声が聞こえてくる。「○○高校の制服のスカート、短くねぇ〜?」相手が頷いたらしく、すぐ同じ声が続く。「世の中、な めとるわぁ。」

どこかのおばちゃんの会話みたいで、思わず噴き出した。もちろん、彼女たちのスカートは、決して短くはなかったと思うが、今更振り向いて確認も出来ない。 「短いのをはいてみたいの?」と聞いてみたい気がした。それにしても、「スカートが短い」→「世の中をなめている。」という図式がよく理解できない。これもご本人たちに 確かめてみたかった。

何だか、可愛いなぁ。(クス)


07/12/11 法然院









法然院



山門

白砂壇

谷崎潤一郎の墓

河上肇の墓
浄土宗系。寺の起こりは、鎌倉時代に法然が弟 子たちと共に念佛三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えた草庵に由来するという。境内の拝観は無料で自由だが、本堂等は特定の公開日を除いて非公開。

すでに紅葉が終わり葉も落ちた境内は、ひっそりと静謐。観光客もほとんどいなかったので、茅葺の山門を始め鄙びた雰囲気をゆっくりじんわりと味わう事が出 来た。

山門を入ってすぐの両側にある白い盛り砂が白砂壇である。砂壇は水を表わし、その間を通る事により心身を清めて浄域に入ることを意味するという。そう思う と、ちょっぴり神聖な気持ちになる。

境内には谷崎潤一郎や河上肇など文人や学者など沢山の有名人の墓があった。
谷崎の墓は左に「寂」右に「空」と刻まれた墓石が一対となり、「寂」が谷崎夫妻、「空」が妻・松子の妹夫婦が眠っている。

この日、墓前に手向けられたカサブランカが、雨に濡れて寂しそうだった。


07/12/11 安楽寺



紅葉のジュータンと山門




雨に濡れた落ち葉
宗派・浄土宗。本 尊・阿弥陀如来像。

ここは年に数回の一般公開日以外は非公開。観光客も結構多く、山門から中を覗いて心を残した様子で帰って行った。

安楽寺には、こんな話が言い伝えられている。
鎌倉時代のはじめ、法然(浄土宗)の弟子である住蓮・安楽が草庵を結び、 後鳥羽上皇の寵姫、松虫・鈴虫が法然の説法を聞いて出家(1206)した。これを知った上皇は、住蓮・安楽を死罪(1207)、法然と親鸞 をはじめ多くの弟子を流罪にし、松虫・鈴虫は自刃した。

紅葉の季節はすでに過ぎていたが、境内入口の石段に紅葉のジュータンが敷き詰められていて、思わず感嘆の声をあげた。「安楽寺の敷き紅葉」と言うらしい。 盛りの紅葉の真赤なジュータンも見事だろうが、終わりの黄色まじりの紅葉も鄙びた味わいがある。折からの雨が一層情感を膨らませてくれた。

法然院の近くにあるため、おまけのつもりで行ったのだが、期せずして京の晩秋をここで見つけた。


07/12/11 永観堂















唐門( 勅使門 )


唐門の前にある市松模様の盛り砂


臥龍廊

水琴窟
浄土宗・西山禅林寺派総本山。本尊(阿弥陀如 来)(重要文化財)。開基・真紹。国宝・重要文化財多数。

空海の高弟・真紹が都における実践道場の建立を志し五智如来を本尊とする寺院を建てたのが、起源とされている。

見所満載のお寺。まずは階段廊下・臥龍廊。くねくねと、まるで龍の背中のように波打ち大きく湾曲し、開山堂へと続く。1504年(永正元年)建立。寸分の 狂いもない緻密な計算と大工さんの技がこの曲線を作り出し、500余年を経た今日もその美しさのままに廊下としてここにある事を思うと、当時の建築技術の 高さにただただ驚かされる。

珍しい市松模様の盛り砂は、勅使が入ってくる唐門の前にある。この砂を踏む事により身を清め、浄域である境内へ入るという役目を担っていたようだ。銀閣寺 の盛り砂は灯りの代わりとし、法然院の盛り砂は水に見立てらていた。いずれにしても清めの意味を含んでいたのは間違いなさそうだ。

御影堂裏の阿弥陀堂と臥龍廊に別れる回廊のあたり、水琴窟があった。「心を無にすると琴に似 た音が聞こえる。」という。聞こえる、聞こえる、琴の音色が!

さて、いよいよ「みかえり阿弥陀」にご対面。(以下、永観堂公式ページより)
永保2年 (1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正 座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は 驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、
「永観、おそし」
と声をかけられた。永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。
思っていたよりはずっと小さい。 「自分よりおくれる者たちを待つ姿勢。自分自身の位置をかえりみる姿勢。愛や情けをかける姿勢。思いやり深く周囲をみつめる姿勢。」(永観堂公式ページ) そのせいか、表情がとても柔らかで優しい。そして、色っぽい。

永観堂は国宝・重文をたっぷり所蔵しているのだが、中でも「山越阿弥陀図」の前で足が止まった。鎌倉時代の仏画で国宝である。阿弥陀仏 と眷属たちが極楽から 臨終しようとする信仰者を迎えに来た場面を描いている。私は全く予備知識がなかったのだが、阿弥陀仏の胸から垂れている五本の糸、これは凄い衝撃で一度見 たら忘れられない。「信者がこの糸をつたって極楽へいくのかなぁ?」と呟いたら、同じく、この絵に見入って隣に佇んでいた女性が教えてくれた。「そうで す。こ の糸が極楽への道なんです。残念なのですが、これはレプリカで本物は今国立にあります。そうそう、作家の折口信夫が、この絵をテーマにした作品を書いてい ますよ。」う〜ん、詳しい。折口信夫って、同性愛者で有名な方?確か、随分前に知人の勧めで一冊読んだ記憶が残っているけれど題名は忘 失。この絵に関する作品は「死者の書」というらしい。ちょっぴり心が動く。いつか、読んでみようかなぁ〜。



07/12/11 山源(永観堂山門前)







山源

にしんそば

きつねそば
永観堂の 山門前にある蕎麦屋。

毎朝、ホテルでビュッフェ形式の朝食を過食気味に食べて出るので、いつも昼時にはまだ満腹状態。加えて、観光途中の食べごろ時間に食事処を探し歩くのも時間がかかるし。計画での予定では、お値頃ランチで京のうまいものを沢山楽しんでくるはず・・・だったのだが。

永観堂を出た所で香ばしいカツオのにおいがしてきた。お腹の空き具合は3分目くらいだったのに、他愛もなく我等の嗅覚が絡めとられた。

ツレは又しても「にしんそば」で、私は「きつねそば」。「にしんそば」の方は、とてもあっさりしていたとの事。さて、「きつねそば」。こちらもあっさりめの味付け。麺じたいは取り立てて特徴もないが、つゆが薄味醤油仕立ての関西風。濃口醤油仕立ての土地柄から来た私には物珍しかった。油揚げが一枚まんま のっかってくるのかと想像していたので、短冊状のを目にして「あれ?」。まぁ、それは瑣末な落胆で、何はともあれカツオが効いているのが嬉しい。惜しみないカツオの香り漂う中で、ちょっぴり幸せな気分も一緒に噛み締めた。
にしんそば@700円。きつねそば@500円。


07/12/11 蹴上インクライン(傾斜鉄道)











インクラインの台車
この上に船を乗せた。

台車の横姿

インクラインの線路
ここで、はたと気づいた。今日も「スルっと関 西3day」カードを使っているのに、朝、京都駅から銀閣寺までバスに乗ったのみ。これは勿体ない。で、「ここらで電車でも乗ってみるべ〜か。」という事になった。地図によると一旦「蹴上」という駅まで出て電車に乗るのがよさそうだ。てくてくと歩いて目的地に到達。

と、その横に不思議なモノを見つけた。え〜と、電車の線路?にしては線路の幅がとても広い。これぞ、延長581.8メートル、世界最長のインクラインで あった。

明治時代、交通の便の悪さとそれに伴う物価高に人々は苦しめられていた。そのため、京都と琵琶湖を結ぶ水路「琵琶湖疎水」計画が浮上。目的は、水道用水の 確保と、船での交通の充実を図るため。更に、船が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるためにインクラインが建設される。この計画途中で組み込ま れた水力発電事業計画により作られた蹴上発電所は日本最初の路面電車の開業につながり、各家々に電灯がともる結果へとつながっていった。

これを計画したのが21歳の技師だった。抜きんでた才能があったにせよ、莫大な資金を投入しての大事業を全くキャリアのない若者に任せたその懐の深さに、 ただただ驚愕する。と、ともに、それ程に人々が渇望する工事であり、京都府民にとっての悲願だったのだろうと思うと胸が熱くなった。

苦難の果てに完成したインクラインは、人々の生活を大きく前進させてくれた。が、今はすでに廃止され、その跡だけが当時を偲ばせてくれる。

明治の技術者の遠大な夢と挑戦の跡が、ここに確かにある。


07/12/11 大坂城






大坂城天守閣








大坂城天守閣・夜景
「蹴上」駅から地下 鉄→京阪という経路で大阪着。ところが大阪に着いてからが大変。迷ったせいもあるけれど、行けども行けども到達しない。すぐそこに天守閣が見えているのだけれど。

やれやれ、やっと天守閣の下に着いた。で、入場券を買おうとしたら「あと30分で閉館ですが、それでいいですか?」え?良くはないでしょう。けれど、いつ またここへ 来られるか解らないし、せっかくだからチョロッとだけでも覗いていくか?という次第で入場。

1F・天守閣の入口 2F・お城の情報コーナー 3F・4F・豊臣秀吉とその時代 5F・大阪夏の陣図屏風風の世界 7F・豊臣秀吉の生涯 8F・展望台  と、まぁこういう構造となっているのだが、これを30分で見終えるには各階5分。・・・・・・・・・・・無理。本当に触りだけさらっと見渡して 何とか閉館時間ぎりぎりにエントランスに戻ってきた。

7階の「からくり太閤記」では、ジオラマで秀吉の生涯を展開してくれ、ミニチュア模型の中を小さな秀吉が動き回る。手をのばすとひょいと秀吉を掬い取れそ うな気がして、面白くて飽きない。他にも来場者を楽しませてくれる仕掛けが満載。時間があったなら、半日位かけてじっくりとみてみたい。

某階某所、中国人家族と遭遇。中学生くらいの男の子が一心に説明書きを読み込んでいた。見れば日本語のみ。中国人の彼は、これをどう読んでいるのだろう? 漢字を拾い読みかな?韓国では未だ秀吉は悪役と聞く。秀吉の朝鮮出兵という歴史を踏まえれば当然なのだが、中国での秀吉はどういう位置づけなのだろ う?少年の感想が気にかかる。

閉館時間に背中を押され、消化不良で後ろ髪をひかれながら、大坂城を後にした。外はうっすらと暗くなり、振り向くとさっきまで居た天守閣の窓に明かりがと もっていた。と、お濠で釣り糸を垂れている若者を発見。何が釣れるのかなぁ?と、覗きこむ。鯉かな?その場を後にし、ふと見れば、横に看板あり「釣り禁止」。魚の名を聞かなくて良かったぁ。

大坂城の敷地には大坂城ホールがあり、入口から長蛇の列が続いていた。どうやら、今夜、何かの催しがある模様。脇の方からも長い列が枝のように生い出てい る。傍の掲示板で、今夜のイベントが「桑田佳祐」と判明した。それにしても凄い人の数だ事。


07/12/11 ステーキ「主人公」(京阪・樟葉駅食堂街)





ハンバーグ





ビーフかつ
大阪の京橋駅から準急に飛び乗り京都のホテルへと向かう。しかし、乗っ て二つ目くらいの駅を過ぎたあたりから電車が各駅停車となってしまった。遅い!「樟葉駅(枚方市)」で降りて特急に乗り換える事にした。一応乗り降り自由の「スルっと関西カード」を持っているのだし、一旦改札を出てみようと意見が一致。お腹も空いたし、駅の食堂街を歩いてみる。

さて、見つけたのはメニューオール999円と言う店。(これ+消費税)
カウンター席があって、テーブル席が4つ位。そのテーブル席の座席がすべてコックさんに向かって座るようになっているのにはびっくり。つまり私とツレは隣同士に並んで座る事になる。とても新鮮な気分だ。

私がハンバーグで、ツレはビーフかつを注文。いずれにも味噌汁&漬物&ライスがつく。ここは「大きいと多い」が、キーワードなのか、ビーフかつは草鞋の様に大きく、ハンバーグも勿論大きくてふわっとジューシー。さらに驚いたのは、キャベツ の量の多さ。我が家はベジタリアンではないが、野菜大好き一家。この量の多さは我が家の物差しでは普通だが、一般の方には2人分以上はあるだろう。有難 く、完食。私が何より感激だったのは、デミグラスソースの旨さ。これは嬉しい♪

店の女性は(多分経営者)次々とやってくる客をテキパキと捌き、相手によってはお話の相手をしていた。客扱いがとても上手く、嫌味がない。まさに客商売のために生まれてきたような人だ。

何気に降りた駅で出会った美味しいモノのお陰で、満腹・幸せ気分を道連れに京都行きの特急に身を委ねた。






7日目

07/12/12 三十三間堂







三十三間堂・通し矢の場所
宗派・天台宗。本尊・千手観音。開基・後白河上皇。正式名・蓮華王院本 堂。

本堂の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれている。もとは後白河上皇の離宮・法 住寺殿の一角にあり、長寛2年(1164)に上皇が平清盛に命じてここに造らせた。 度重なる震災のため、文永3年(1266年)に現在の「三十三間堂」が再建された。

本像の千手観音坐像(国宝)を中心に、左右に10段50 列で500体ずつ千手観音立像が整然と並んでいる様子は、まるで観音像の森のようで、見る者を圧倒せずにはおかない。この1001体の観音像は「十一面千 手千眼観世音菩薩」という。頭に11の顔を つけ、両脇に40本の手を持ち、1本の手が25種類の世界で救いの働きをする。つまり、40×25で「千手」なのである。千一体の観音像の中に「必ず会い たい人の顔がある」と言われているが、数が多すぎてとても見きれなかった。

目に水晶の玉眼をいただく雷神像や風の袋をかついだ風神像、写実彫刻の頂点と言われる婆薮仙人像など、他では見られない独創的な仏像が多く、時間の経つのも忘れて見入った。

もう一つ、忘れてはならない見所がある。三十三間堂といえば「通し矢」。本堂の軒下(長さ約120m)で矢をいるものである。私は目の前に120mの距離 をつきつけられ、その遠さにただただ驚いてしまった。通し矢の華「大矢数」は暮れ六つから24時間に一万本もの矢を射続けるという競技だ が、とても並の筋力と精神力では体がもちそうにない。ちなみに、現在は毎年1月に通し矢大会が行われているが、的までの距離は半分の60メートルである。

1945年には成瀬巳喜男監督が「三十三間堂・通し矢物語」という映画を作っている。当時、本物の三十三間堂でロケをしたというから驚く。今なら絶対に考 えられない。何故なら、三十三間堂は国宝だから。

60年あまり前の映画・三十三間堂を、一度観てみたい気もするのだが。


07/12/12 且座喫茶(しゃざきっさ)甘 春堂







座敷から見た庭

座敷

ランチセット
三十三間 堂を出てすぐの甘味処。名前の由来は「「まぁ座って茶をおあがりく ださい」 という意。

座敷には床の間があり、いくつか炉が設えられていた。おや?テーブルがない!私とツレは注文の品が届くまで膝つき合わせて座布団の上に座ってお見合い状 態。来たきた!ランチセット。箱膳ですわぁ。それも立派な陶器と漆塗りの食器にのっかっていて、これは感激♪やはり、由緒正しい京料理はこうでなくっ ちゃぁね。後で店のパンフを見たら「当家に古くから伝わる本塗りの器やお膳を使用しています。」との事。さすが!もてなしの心がしっかりと伝わってくる。

ランチセットは赤飯&おかず6品&汁物&和生菓子。赤飯は小豆の香ばしさがそのまま残り、とても美味しい。どうしたら、こんな微妙な風味が出せるのだろう か?おかずも少量づつなのだが、満足の味。和生菓子は私はあまり食べないので、二個食したツレがにんまりと幸せそうな様子だった処を見ると、菓子の方も・・・。ランチ セット・赤飯@1,050円。ちなみ に、菓子の手作り体験教室も開催しているようだ。

隣に座った女性2名組は、抹茶を所望。教えられるままに抹茶をたてていた。それも楽しそうだったので、これは次回訪れた時のお楽しみ。


07/12/12 まとめ

京都タワー

京都駅の天井
これで、一週間に及んだ私の関西旅行が幕を下ろした。

大坂・奈良・神戸・京都と四都をへめぐった旅は、地図片手のとても楽しい珍道中。

まず、今回使った「スルっと関西」カード、これはJR以外はどこでもほとんど使える乗り放題のまるで魔法のカード。いや、黄門様の印籠のよう なもの。これが切れた一日は、どこか落ち着かなかった。が、本当に必要だったのは最初の三日間。つまり、奈良・神戸あたりへ足を伸ばしたあたりだろう。京都に関しては徒歩が多かったので、特には必要がなかったかも?乗るなら京都市営のバス一日券とか地下鉄&バス一日券などもあるので、そちらを利用するのも 手だ。ちなみに私は旅行前に札幌の旅行会社で「スルっと関西」を購入したが、三日間連続で使わず、使う日がばらける場合は、とびとびの日で使えるカードが 現地で購入 でき る。何にしても上手く使うととても便利な企画なのだ。余談ながら、関西の電車やバスはびっくりする程安い。しかも、特急に乗っても普通乗車券の みで OKなんてあり得ない太っ腹だ。(北海道では乗車券の他に特急券が必要となる。)

ほとんど計画らしきものもなく、ぶらりと出かけた今回の旅。振り返ると、旅先で出会った方やその言葉が無形の観光案内をして旅を誘導してくれていた。さらっ とした人の温もりと、一期一会の醍醐味を堪能させてもらったような気がする。

私の旅に関わって下さった方々、本当にありがとうございました。




   
     
                                        完         See You again in 四都 !      












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