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2008年 小樽

偶然にも水天宮のお祭りに遭遇





行程 ●金融資料館(旧日本銀行・小樽支店) 食べたところ 小樽港湾福祉センター食 堂 定食・ 大盛りラーメン
行程 旧・手宮線 かま栄 パンロール
行程 ●水天宮 ●(北一硝子)三号館 北一ホール Coffee
行程 ●旧寿原邸
行程 ●小樽運河










北一硝子でステンドグラスのランプを見たくなり、久し振りの小樽散歩を楽しむことに。

08/06/14 小樽港湾(労働者)福祉センター( シーサイド・イン) 食堂









小樽港湾(労働者)福祉センター( シーサイド・イン)

この下に定食おかず棚が

食堂風景

大盛りラーメン(450円)

煮物定食(400円)
小樽市港町4-4 ☎0134-22- 7514  営業時間11時から14時  P有り テーブル数16

運河沿いにある食堂。もともとは港湾労働者のために作られた施設で、宿泊施設もある。(1泊素泊まり@3000円)、一般人も利用可。想像と違って、建物 が新しく清潔で綺麗。

ロケーションが抜群である。平日の昼時は混むようだが、土曜日のせいか人も少な目で、贅沢に運河を眺めながらの食事は、ほっこり得した気分。学食か社員食 堂なみの値段も嬉しい。

大盛りラーメンは、顔を埋められそうな大きな丼にたっぷりでボリューム満点。食べても食べても減らない。ツレがラーメンと格闘している間にも次々とお客 が入れ替わる。大盛りラーメンの注文の何と多い事か!隣の席のお兄さんは「大盛りラーメン&ライス&肉を入れて・・・」と注文。ライス&肉って、肉丼?さ りげなく探ると、ライスと肉は別皿だった。それにしても、ライスは半ライスではない。凄い胃袋だ。ラーメンの味?あ、そうそう、あっさりしていて昔風 ラーメン。私は煮物定食をチョイス。他に、さんま・天麩羅定食もあった。煮物は薄味で、さっぱり味。この値段でこれはお安い。

何気に耳に入ってくる「注文」が、面白い。「ラーメン半ライス、カップカレー、おかず1品」とか「半カレー、半卵丼とカケソバ」「かつ丼、半ラ イス、半かけうどん」などなど。どんな注文にも応えてくれる。「No」は、食材が切れた時。その辺の事情もお客は熟知していて「ラーメン、まだ、ある?」 と言って入ってくる人もいる。まるで、自分の家で食事をするみたいだ。だからと言って、常連ばかりで入りづらいという事が全くなく、私のような一見さんも 違和感なくとけこめる空気は素敵だ。

12時45分にポーがなり、昼休みの終わりを告げていた。人はこの時を告げる音を聞いて生活をする。人々の生活の中で確かに時が刻まれている事を実感させ られ、逞しくも活発な生活の息遣いが新鮮。

この日、観光客風の人々も多く、 窓際で運河をたっぷりと堪能していた。確かにここは大穴場かも。


08/06/14 金 融資料館(旧日本銀行・小樽支店)







金融資料館


壁の塑像・シマフクロウ


階段の手摺にも日銀マークが


裁断済みの1億円!


1億円の重さ体験=10kg
「北のウォール街」と呼ばれた盛時の小樽の面 影をそのままに残す日本銀行・旧小樽支店。2003年までは、この建物で実際に営業していた。

建物は、東京駅・両国国技館などの建築で知られている辰野金吾の設計で、1909年(明治42年)着工、1912年(明治45年)竣工。外壁はレンガの表 面にモルタルを塗って、石造り風に仕上げてある。外観はルネッサンス様式、屋根には5つのドームを据えて、重厚さの中にも洗練されたセンスが漂う。漁業で 景気が良かったとは言え、突然出現したお洒落で豪華なこの建物を見て、当時の小樽の人たちはどれ程驚いた事だろう。想像するだけでも、頬が緩む。

壁面のシマフクロウは、アイヌの守神である「シマフクロウ」をモチーフにしたと言われていて、内壁に12体、外壁に18体あり、職員が帰った後に夜目の利 くフクロウが支店を見張っていた。写真中、フクロウの下に写っている回廊の手摺柵の向こうでは、営業時間中、銃を構えた警備人が立っていたそうだ。銀行に 行くのも命が けだったという事だろうか。

営業場の入口近くに展示されているのが、日本銀行券としての最初の紙幣・大黒天を描いた大黒紙幣である。大黒様が可愛くてお札という気がしない。明治17 年(1884)に印刷局で印刷が開始され、翌年発行。紙幣の用紙はミツマタを原料とし、 偽造防止のために白すかし・黒すかしの技法が取り入れられた。みつまたは卵黄色が特色で、偽造防止に用いら れた青インキを引き立たせるためには用紙を白くする必要があった。そのため、みつまたの皮を漂白し、紙質を強くするため「こんにゃく」の粉を用紙にまぜた ので、紙幣がねずみや虫に食われるという被害が続出したそうな。  ねずみさん、お味はいかが?


08/06/14 旧・手宮線



旧手宮線・線路



地元の小学生がベンチに描いた絵
ベンチが野外画廊みたい。
( 見事に精密な作品!)
小樽市の南小樽駅〜手宮駅を結ぶ日本国有鉄道が運営した鉄道線路。北海 道で最初の鉄道開業区間の一部で、石炭や海産物の積み出しで賑わったが、1985年廃止となった。現在、廃線跡のほとんどが保存されていて、今は観光客の 遊歩道となっている。

「線路をよく残したなぁ〜。」と、つくづく思う。札幌にも昔、定山渓鉄道が運営する定鉄線が走っていた・・・らしい。私は記憶にないが。しかし、貨物はト ラック輸送にとって代られ、旅客の方は定鉄線の廃止と引き換えのように札幌の地下鉄・南北線建設案が急浮上して定鉄線の廃止は時代の流れの中で当然の如く 押し進められた。加えて、その線路も又撤去してしまったのだが、誰か「取り合えず、このままにして置いて、その後の事は後で決めよう。」という人はいな かったのかと残念でならない。そののち、宅地開発で沿線は札幌のベッド・タウンと化した。しかし、市中心部への足はマイカーと、本数の 少ないバスのみ。皮肉な定めという事か?もしも、今、札幌中心部から定山渓までの電車が走っていたならば、夢のようなドル箱になっていたかもしれない。 何 故なら、軌道の先には「定山渓温泉」が据えられているのだから。

旧・手宮線は今、「LRV」として復活する提案が地元「小樽まちづくり協議会」を中心になされている。「LRV」は低床式 で、高架鉄道や地下鉄よりも一回り小さく、バスよりも大きい輸送手段である。メリットは少ない経費での運行が可能な点。

どういう経緯かは解らないが、廃線となった手宮線の軌道を残した事は、未来への贈り物に他ならない。線路があれば、いつか条件が揃った時、再び電車を走ら せる事が出来るのだから。線路の先には夢が見える。


08/06/14 水天宮








水天宮・本殿



境内では猿回しが・・・



境内から一望する小樽の家並み

祭りの出店



家々の玄関先には祭りの花飾りが
小樽市相生町3-1

市内中心部の高台にある水天宮は、飲料水と食料生産の神を奉っている神社で、現在の本殿は大正8年に建てられたもの。境内からは、眼下に小樽港や堺町、東 雲町など昔ながらの情緒漂う家並みを見渡すことができる。

この日、小樽三大祭りの一つと言われている「水天宮祭り」に遭遇。境内の門前には、ずらりと祭りの店が立ち並び賑わっていた。ここで、ジャニーズ系のイケ メン二人組にカメラのシャッター押しを頼まれた。実は先に行った金融資料館前でもカップルに頼まれたので、ツレは本日、二度目の俄かカメラマン。「お願いが多く て申し訳ないのですが、こちらから撮って、あの山門が写るようにお願いします。」との事。事前に写真の構図もシュミレーションしていたようだ。撮り終えて 「どこから来たの?」と聞くと「旭川です。・・・あれで。」と、向けた目線の先には、立派なマウンテンバイクが二台。「え〜、自転車で来たの?いつ、旭川 を出たの?」と、思わず質問が口をついた。なんでも、昨日、出発して、昨夜は札幌に泊まったそうだ。「気をつけて帰ってね。」と言うと「はい、有難うござ います。」と誠実で叮嚀な答えが返ってきた。二人共、終始笑顔。初見の他人にも臆する事なく、真っ直ぐ相手の目を見て会話する様は爽やか。きっと、しっ かりと大人に向き合ってもらって育ったのだろう。青春真っただ中。若さと体力と気力が、眩しく心地良い。
    

08/06/14 旧・ 寿原邸












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旧・寿原邸

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応接間
(暖炉の上にはマン・レイのブロンズ像)

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和室

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右の写真・床の間の左の窓


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見事な庭

小樽市東雲町8番1号。水天宮そば。

かつては北のウォール街と呼ばれた 小樽。建物は小樽で最初の衆議院議員で小豆将軍と呼ばれた雑穀商高橋直治(1856〜1926年)氏により大正元年(1912年)に建てられ、後に 寿原外吉氏の所有となった。1986年に同家より小樽市に寄贈。小樽市歴史的建造物に指定された。

寿原外吉氏(1901〜1985年)は、札幌証券取引所理事長(1951〜1965 年)、小樽商工会議所会頭(1955〜1965年)を努め、小樽のみならず本道産業経済界の功労者として著名。北海道銀行、北海道ガス、北海道アサヒビー ル等の社外役員としても活躍した。また旭硝子に身を置き、硝子事業の発展にも寄与し全国的にも名が知られている。

この屋敷は傾斜地に三つの棟が段違いに建てられ、上段に広い和室。中段に応接室、給湯室。下段に玄関、勝手口、複数の和室、台所、倉な どがある。上段の和室は接待などに使われたのだろうか。床の間の横の窓に嵌め込まれた板硝子は、さすがに硝子業界で辣腕をふるった寿原氏らしく、シックで お洒落 だ。応接間には写真家、画家、彫刻家でもあったマン・レイ(1890〜1976年)の美しいブロンズ像がさりげなく飾られて、往時の住人の隆盛が偲ばれ る。 過 ぎし日、ここで、明日の小樽を、いや北海道を左右する様な重要案件が語られたのだろうか。ブロンズ像はその時もここで全てを見聞きしていたはず。それらを 胸に納めて今日もひっそりと佇む。隣には客用のトイレがあり、廊下をはさんだ向かえには、接客時に使用されたと思われる給湯室が ある。ここにも寿原氏らしく硝子がふんだんに使われていた。その一隅に設えた畳一枚の小上がりは、お手伝いさんか料理人の休憩用か仮眠用だろうか?

この屋敷が建てられた1912年は、旧日本銀行小樽支店が竣工した年でもあった。当時の小樽がいかに繁栄していたのか、その圧倒されそ うな猛烈な勢い を、今も肌で感じる。



08/06/14 か ま栄工場直売店









かま栄工場直売店
(公式ページより)

工場

工場(左の写真をズーム)

人気のパンロール
小樽市堺町3-7。

1905年(明治38年)「かま栄蒲鉾店」創業。1946年「かま栄商店」設立。小樽市内に6店舗、道内デパートや新千歳空港店などでも販売している。

ここの一番の特徴は、ガラス越しに工場の製造が見られるのと、その出来立ての製品を購入して、その場で食べられる事にある。私は人気のパンロールを買っ た。@189円。パンロールは、パンでかまぼこを筒状に巻き、油で揚げたものである。熱々にかぶりついた。中の蒲鉾がふんわり滑らかな口当たりでおいし いぃ〜。食べてみたいものが他にもあったのだが、パンロール一個でお腹はもう許容量を満たしつくしてしまった。他の蒲鉾は次回のお楽しみ♪

日本では、平安時代より前の戦乱時に鉾の先に魚肉を付けて 焼いて食べたのが、始まり。当時の蒲鉾は植物の蒲の穂によく似ていたと ころから「がまのほ」と呼ばれ、「鉾」がついて「がまほこ」となり、やがて「蒲鉾」と呼ばれるようになった。室町時代に入り、「板付蒲鉾」が作られて、そ れまでの「蒲鉾」は「ちくわ」として区別された。(かま栄公式ページより)


それにしても、最初に鉾の先に魚肉を付けて焼いて食べる事を思いつき、実践した人、あなたは偉い!そのお陰で、我々は、以来1000年以上もこの調理法 で食べ続けている。かんしゃ、感謝。私は「がまのほ」が大好き〜♪


08/06/14 北一硝子・三号館北一ホール






北一ホール

天井には
三基のランプのシャンデリア

ガラス工芸品を収納した壁面

テーブルの上に置かれたランプ


ホットコーヒー@380円
カップは勿論ガラス製
北海道小樽市堺町7-26

小樽運河の顔「北一硝子」。前身は明治34年(1901年)に創業した浅原硝子で、当時豊漁で沸くニシン漁の浮玉(ブイ)の製造で大躍進 を遂げたが、ニシン漁の衰退とともに売上げは落ち込んでいった。しかし、運河の再開発がふた度のチャンスとなり、観光客向けのガラス器販売中心路線への転 換を図る。これが大当たりし、全国のガラスショップの先駆けとなる。

北一ホールは幾つかある北一硝子の建物の中の一つ・三号館にある。ここは明治中期の石造倉庫を利用しており、一歩足を踏み入れると、暗闇の中でランプ が醸し出す幻想的な世界に誘われる。天井の照明もテーブルの灯りも全てがランプ。全部で167個のランプを、どうやって磨いているのだろう。左から二枚目 の天井の写真、シャンデリアの横の四角い窓にはステンドグラスが嵌め込まれている。明治期のものだろうか?高い場所なので、詳しく見えないのが残念。

ビール樽の椅子に座り、荷馬車の車輪を利用したテーブルでコーヒーを飲む。静かにゆったりと時間が流れていく。


08/06/14 小樽運河







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南運河の終点

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南運河と散策路の石畳

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南運河とガス灯と倉庫群

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自作アクセサリー販売の人
似顔絵かきやライブをする人も!

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運河を拠点に人力車が
今や、北海道観光の代名詞・小樽運河。散策を 楽しむ観光客が途切れ る事はない。

小樽運河は大正12年(1923年)完成。「埋立て式運河」で、沖合を埋め立てて陸との間に作った水路で、艀舟により海上の船の荷物を陸揚げした。が、戦 後、樺太などとの交易がなくなり、急激な衰退をみた。放置された運河からは、たまったヘドロによる悪臭が漂い、1960年代には運河全面埋め立て案が浮 上。それに反対した運河保存運動が全国的に巻き起こった。1986年には、南運河の幅半分を埋め立てて小樽臨港線(北海道17号小樽港線)が開通。現存の 小樽運河は残りの半分である。が、これをも埋め立てる案が進められたが、有志による運河のヘドロ除去作業などの保存努力にもより、かろうじて臨港線部分の 残り半分の保存にこぎつけた。今、「小樽運河」と言われ賑わっているのは、この南運河の残り部分。その後、散策路として整備され、沿いに北一硝子や 寿司屋 などが立ち並び、小樽の一大観光スポットへと成長した。観光客が足を向ける事の少ない北運河は、今も当時そのままに40mの幅で残っている。

運河の両岸には煉瓦や札幌軟石で造られた明治・大正期の倉庫群が立ち並び、夕暮れ時には、散策路のガス灯が灯る。このロマンチックな空間は、往時の小樽の 隆盛が残した遺産であり、私たちは、それを享受している。あの時、南運河の全面埋め立てがなされていたならば、北海道観光は今とは違ったものになっていた だろう。

一度失ってしまったものは、易々とはとり戻せない。






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