TOP

2010年 京都

鞍馬の火祭り




10/10/20~10/10/26  札幌⇔京都(大人2名)


日程  京都6泊
経費  大人2名
交通費       飛行機チケット 新千歳⇔関西空港 (@13,000円(片道)×2)2-@=52,000円
宿泊        ロイヤル河原町五条                       6泊7日(2名)=26,000円
拝観料&入場料                                                            1,000円
食事&食材費                                                           22,796円
交通費                                                                12,040円
雑費                                                                   5,940円
                                                             〆て    119,776円



旅程
1日目 新千歳空港・国際線国際線ロビー 4日目 平安神宮 5日目 なら格子の家   6日目 通天閣 界隈
2日目 六角堂 琵琶湖疏水記念館 元興寺(芝新屋町) まとめ
東本願寺 インクラインを歩いてみた 猿沢池
3日目 時代祭 南禅寺 春日大社
鞍馬の火祭 水路閣 知恩院
 





食べたところ                                       泊まったところ                                
ざ・U-don かけうどん ロイヤル河原町五条
瓢樹 花遊膳
田毎 そば定食
朝日 串かつ
FirstKitchen Coffee















1日目  出発 編      今日の歩数=11,738歩

前々日まで、ステンドグラスの「吊り下げランプ」作成に四苦八苦で、旅行の準備まで手が回らない状態。一日でバタバタと荷物をまとめて、いざ出発。と言っても大した荷物もない、いつものバックパッカー・スタイルの夫婦なり。

10/10/20    新千歳空港・国際線ロビー
新千歳空港の国際線ロビーは、2010年3月26日にopenしたばかり。搭乗時間には間があるので、ちょっと覗いてみることにした。

「えぇぇぇ~」
思わず絶句してしまった。とにかく、広い。しかも、人がまばら。中央には動く歩道が設置され、その両脇を電動車「ヘルプカ―」が走行する。運転のお姉さんに聞いたら、2台あって交互に充電して使っているのだそうな。写真は、ちょうど修学旅行中の女子高生グループ。この後、私とツレも乗せてもらった。周囲を歩く歩行者の危険防止のために、走行時には音楽が流れ、その音にびっくりして振り返った多くの人が、次の瞬間には珍しさでこちらを凝視!ちょっと、照れるw

乗り心地は、スムーズで快適。しかし、その経費に思い至れば、莫大な無駄遣いという気がしないでもナイ。と言ったら、オープンに水をさすと顰蹙をかうかしらんw


10/10/20 ざ・U-don

左が国内線到着口、右がうどん店

かけうどん@420円

関西空港旅客ターミナルビル2階にあるセルフ式讃岐うどんのお店。写真の左が国内線到着口で、右がこのうどん屋さん。事程左様に、立地は完璧。

ちょうど昼時の搭乗となってしまい、食事を食べ損なってしまった。「ま、ほんの数時間の辛抱さ。関空につけば、好きな物を食べられるのだから・・・・」とは思うものの、機内で振舞われたのはお水か日本茶のみ。コーヒーも有料となっていて、何だかいっそう空腹を感じてしまった。

カフェスタイルの明るい店内。まずはトレイを持ち食べたいうどんを注文し、出来あがったうどんをのせたトレイを持って奥へと進んで行く。途中に、いなり寿司やおでん、天婦羅、おにぎり、うどん上にのせるトッピングなどが並んでいるので、好みと財布とで相談しつつ店奥のレジまで移動して会計を済ませる。うどんは注文からほぼ1分ほどで出来あがり、青ネギ、胡麻、天かす等は無料なので随意にトッピング。

早い!旨い!安い!しかも、場所がいい!待たされることもなく、手軽に腹ごしらえが出来る。何と重宝なことか♪翻って、最近の新千歳空港の飲食店。旅行気分で紐の緩んだ財布を狙ってか否か、いつの間にか高級店ばかりがズラリと並び、気軽に小腹を満たす店が消えてしまったような~。



10/10/20 ロイヤル河原町五条

マンション入口

備品(他にコーヒーカップ2客あり)
今回の京のネグラ。

昨年は同じ会社が経営する駅前MNの方に泊まり、その快適さにすっかりファンになった。で、今回は駅からは少々離れるが、河原町という観光至便な場所柄に魅せられてこちらに決めた。

部屋は1LDK。出来るだけ部屋は広い方がいいだろうと、二段ベッドの部屋を予約。二段ベッドとはいえ、大人用ベッドなのでゆったり。そのせいで、ベッドスペースが居住スペース(居間)と完全分離している。

←が、台所の装備品。ラップや食器洗い洗剤、茶碗洗い用のスポンジまで付いているので、とても重宝だ。熱源はIHの一口コンロ。火力が強いので不自由はなし。ちなみに、この小さなお鍋でコメも炊いてみたが、思いのほか美味しく炊けた♪他に洗濯洗剤やらお部屋掃除のコロコロなど、生活必需品はほとんど揃っている。しいて言えば、布巾が一枚だけだったので、台拭きがあればいいかな。

体一つで行ってもその日から暮らせそうな程に生活必需品が揃っているのは、駅そばMNも五条MNも同じ。ただ、建物自体は昨年使用した駅そばのMNの方が、新しいし断然よいのだ。加えて、五条の方は交通の便が良すぎて、夜中も車の音が絶えることがない。これには、ちょっと閉口。

しかし、五条MNは向かえにスーパーがあるので、この便利さは捨てがたい。う~ん、どちらがどっちとは甲乙つけがたいなぁw ま、多少の便利不便はあるが、他のお値頃ウイークリーマンションに比べれば、快適そのものにはチゲえねぇ。






2日目  六角堂 & 「日本画家の旧屋敷」で食べるランチ 編     今日の歩数=16,835歩

10/10/21 六角堂








六角堂






池坊発祥の地の碑




本堂


親鸞上人




御幸桜


十六羅漢




一言願い地蔵


へそ石

西暦587年、聖徳太子を開基として創建された「六角堂」。京都の人達は、「六角さん」と呼ぶ。名前の由来は、真上から見ると六角形の形をした建物であるため。

とは言え、六角堂は今ビルの谷間に埋もれてひっそりと建ち、まるでそれを見降ろす様に池坊の近代ビルが建ちはだかる。代々、六角堂の仏前への供花を担当してきたのが池坊なのだそうな。かくして、この地が華道発祥の地となり、池坊は発展を遂げて今日に至る。

六角堂の東門を入った所にあるのが「へそ石」。六角形にみえなくもない大きな石の中央にあいた円い穴を、へそにみたてての命名。かつては、ここが京都の中心地「へそ」であったという証でもある。 火事などの自然災害が多かった京の町では、ある時期、六角堂が洛中の人達の避難所でもあったという。京の人々にとっては、生活と切り離せない、まさにへその様に重要な所だったのだろう。

地元の方らしき人々が、本堂に上がり込んでご本尊に手を合わせ、一休みして去って行った。



10/10/21 瓢樹


部屋から見える庭

部屋は和室。テーブル席2
ミシュランの1つ星店の中でも、まぎれもない上位人気店。それならこの機会に、覗いてみるべぇか。

店の建物は、明治の日本画家・今尾景年が晩年に贅を尽くして建てた邸宅を料亭に改装したもの。重要文化財に登録されている。

入口の暖簾をくぐると、そこは巷の喧騒とは別世界の様なしっとりとした空間がひろがっていた。通された部屋は和室で、大きなテーブルが2客据えられている。しかし、開店時間早々の来店だったので、有難い事に部屋は私と相棒の貸し切り状態。庭を眺めながら、静かに流れる時をかみしめた。
花遊膳@4620円

三段重&刺身(しま鯵・モンゴイカ)

まぜご飯

漬けもの(昆布・沢庵)

松茸の吸い物
京懐石と聞くと高級料理をイメージしてしまうけれど、元々会席料理とは違って、豪華料理とは否なるもの。読んで字の如く、懐石は温石と同じく温かい石を抱いて空腹の腹を暖めるという意味。つまり、懐石料理とは空腹をしのぐ程度の粗末な食べ物ということ。
三段重の中身


一の重
栗の胡桃揚げ・鮎の山椒和え
干し椎茸と木耳の和え物

二の重
サワラの照焼・蕪の煮もの

三の重
天婦羅(獅子唐・海老・茄子・巻物)
ランチとはいえ、半熟卵かい?と、ついつっこんでみたい気分。料理の中で、特筆すべきものはなし。そりゃぁ、この店でディナーともなれば大枚は軽く飛んで行くだろうから、ランチならばこの程度の料理なのも、ある意味頷けるのだが・・・。

建物、庭、接客いづれを取っても、なかなか良いのだ。しかし、再訪しようとは思わないかも。本当に美味しい料理を食べたいと思うのなら、この値段でいくらでも食べられる店はある。昨年行った京都のダイニングなどは、コースで@3150円(22品)の創作料理。大変な人気なので予約が取れるかどうか冷や冷やだったが、料理の味には客が集まるだけの説得力があった。

要は、客が何を求めるのか。料理の美味しさなのか、雰囲気なのか、値頃感なのか、。一方、店側の立場で言えば、何で勝負するのか。格式なのか、接客なのか、ネームバリューなのか。本来あるべき姿である料理!であって欲しいと、つい思う。

ま、今日は重要文化財の建物と京風情とミシュラン人気店の雰囲気とをご馳走になったと言うことかな。


10/10/21 東本願寺



御影堂門

うぅん、含蓄のあるお言葉!



親鸞750回忌法要カウントダウン

東本願寺は、正式名称「真宗本廟」という。通称「お東さん」とも呼ばれる礼拝施設の総称である。門の前には、親鸞聖人法要までのカウントダウン掲示があった。



参拝接待所


視聴覚ホール


棟方志功展が開催中
参拝接待所から建物の中を通り屋根つきのの高廊下を渡ると、御影堂に到達する。途中に視聴覚ホールあり、ギャラリーあり。礼拝施設とは思えない敷居の低さ。



御影堂



親鸞聖人

手水処
京都駅から近く烏丸通りに面しているので、京都を訪れる度にここの前を通ってはいたので、今回が初訪問というのも不思議な気がする。10年程かかった御影堂の修復は、まだ屋根にシートがかかっていたが概ね終わり、続いて阿弥陀堂の修復工事に入ると言うことで、今は阿弥陀堂がシートの中。

拝観無料で、これだけの施設を維持し公開している「さすが、お東さん。」。いや、門徒さんの底力というべきか。

かく言う我家も、実は門徒。10余年前に鬼籍に入ったツレの父親が、亡くなる数年前に月詣りに訪れた僧侶と喧嘩して、その場で「西」から「東」へ転向した。なので、ご先祖様は「お西」で、義父の代以降は「お東」。倅であるツレに言わせれば「ま、どっちでもいいべ。」www



BACK                                             TOP





3日目  時代祭 & 鞍馬の火祭 編      今日の歩数=16,835歩

10/10/22 時代祭


維新勤王隊


徳川城使上洛列


室町洛中風俗列
時代祭は、1895年(明治28年)。平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建された折、その記念事業として始まった京都三大祭のひとつ。祭が行われる10月22日は、桓武天皇が長岡京から平安京に都を移した日である。


巴御前


清少納言&紫式部


延暦文官参朝列(外国人)
祭の行列は20列2000人により、長さは2キロに及ぶ。所要時間は約2時間半。明治維新から江戸、安土桃山という具合に時代を近代から過去へと遡り、時代風俗を展開する。

まずは、笛の音とともに維新勤皇隊が登場し、京都知事と京都市長が馬車であらわれ、続いて幕末志士列、さらに徳川城使上洛列と続く。まさに、それぞれの時代からタイムスリップして今日ここに会したが如く、一幅の絵巻物を広げた様な光景が目の前に繰り広げられる。観客の中には多くの外国人がおり、言葉も文字も違う異国の風俗を前にくぎ付けになっていた。

煌びやかな行列を楽しく目で追いかけるうちに、あっという間に時間が過ぎていく。


閑話
行列がやってくる前の会場で人気を1人(1匹)占めしていたのが、刀を背負った時代祭コーデでやってきたワンちゃん。
いやぁ、ほんとに可愛い~♪

カメラを構えた観光客達にたじたじで、少々困惑気味。シャイなお人柄、いや犬柄とお見うけした。
行列に従って、時々道の真ん中を歩く作業着の2人。1人は塵取りと箒を手にし、もう一人は、段ボール箱を積んだリヤカーを押す。

実はこれ、行列に参加している馬の落し物を拾っているのだ。尾籠なお話で恐縮w


10/10/22 鞍馬の火祭

赤線が混雑路
 ①子供松明ルート=鞍馬寺山門下~くらま温泉への混雑路
②大人松明ルート=①+由岐神社。川下のお旅所から神社。


鞍馬駅ホームは早混雑


駅前の大天狗


由岐神社の神輿
「京都三大奇祭(京都市無形民俗文化財)」のひとつ。叡山電鉄鞍馬線・鞍馬駅下車。

平安中期、相次いだ戦乱や大地震や大火などを鎮めるために朱雀天皇が御所に祀られていた由岐明神を鞍馬に遷宮させた。その際、松明や神具を携えた行列は約1キロにおよび、感激した鞍馬の地元住民が後世に伝えようと今日まで守ってきたそうな。

まずは叡山電鉄・出町柳駅へ行き、そこで鞍馬線に乗る。と、と、と、出町柳駅はすでに玩具箱をひっくり返したような大騒ぎ。もの凄い人出で、芋洗い状態となっていた。人が多すぎて、券売機までたどり着けないw「切符、キップ、臨時の券売所って、どこ?」と見回せば、制服姿の職員がそこここに立ち、人波に交じって身一つで切符販売をしていた。「ホント、大丈夫なのかなぁ?この人にお金を渡して・・・」と少々不安が頭をかすめるが、叡電の制服を着ているからまずは安心!?。

雑踏の中、何とか切符をゲットし、首尾よくやってきた電車に飛び乗った。というのは、この路線は2両編成で、祭による増便はあるものの、当日夕方からは乗車できるまでにかなりの待ち時間が発生するらしいと聞いていたため。よしよし上首尾なり。しかし、聞く処によると帰りの電車は更なる混雑が待っているらしい。

「なら、現地で泊まれば?」と呟いたそこのあなた、甘い!そもそも、宿がなかなかに取れないのだ。なんでも祭の1年前に、宿泊希望者の中からくじ引きで決めるのだとか。まさに、幻の宿。地元に縁故知人のある人が羨ましい。


鞍馬は4つの集落だったので松明は4本


松明




氏子の家には飾席


玄関先に祭りの衣装が

松明出番直前の子供たち
町内に七つの仲間(氏子)が編成され、その中から拠点となる宿が設けられる。宿には大篝や大松明が設営され、鉾や兜などを飾った飾席が据えられていた。

子供松明が始まる午後6時には少々間があるので、ぶらりと町を散策してみることにした。起点は、鞍馬寺山門。ここは、祭が始まれば立ち入り禁止になるが、今は人でいっぱい。

鞍馬寺山門石段を下りて「くらま温泉」方面へと歩く。狭い道の両側に立ち並ぶ家々は、どこかで見かけた風景。「そうそう。昔、こんな町を歩いたような・・・」素朴でほっこりと温かい。ちょうど、飾席のある家から出てきたその家の御主人が通りすがりの観光客の問いかけに丁寧に答えながら言った。「今日は地元の者にとっては、盆と正月がいっぺんに来たようなモンですよ。この日のために、1年間働いてますわ。」祭の前の昂りが、ソクソクと伝わってくる。


夕暮れ時の街並み


くらま温泉


露天風呂
道の突き当たり「くらま温泉」に到着。宿泊施設のホテルと別棟の露天風呂が建ち、その前には広い駐車場があった。駐車場は、まるで広場の様で「おぉ、どこからこんなに沢山の人達が湧いてきたの?」とびっくりする程多くの人が、敷地内に臨時設置された露店のたこ焼きやらビールやらを頬張って、ゆっくりと寛いでいた。そう言えば、祭とはいえ町内には出店が全くない今時珍しい祭風景。この静かで素朴な雰囲気は、そのせいだったのかもしれない。時間が許すなら、露天風呂に浸かって体の芯から温まりたい処だが、それ程の時間もなさそう。取り敢えず、たこ焼きを食べてほっとひと息ついたので、ホテルでトイレを借りて山門へ下りてみることにした。

すると、すでにさっき登ってきた時とは様子が一変。警備の警察官が道路にロープを張って通行規制が始まっていた。ここ鞍馬集落は道幅が狭いために、祭の時には歩行者の一方通行規制がしかれるのだ。

町に夜の帳が下りた頃、私とツレは誘導のままに迂回路をただ歩いていた。迂回路と言っても、今日一日だけの急ごしらえの迂回路。照明も何もない真っ暗な畑の間の道である。と、主婦風のご婦人がやってきた。「ここ、通して下さい。」とご婦人。「今、一方通行になってますから、列に入って並んで下さい。」と警官。するとご婦人が一言。「私の家はあそこです。自分の家に帰るのに、並ばなきゃぁならないの。」・・・。地元の人たちは大変だぁ。

ちなみに迂回路は2本。1本目は、私達の様に「くらま温泉」から下りてくる人たち用。もう1本は駅からの人たち用。いずれも時計周りで、「温泉から組」は途中で「駅から組」と合流する。


子供松明


つきそいは子供たちの親
2本の迂回路はいづれも時計回りだが、両者が出会うあたりはそれぞれに進行方向が違う。合流する混雑路周辺は道路に沿って何重も人の波が出来ていて、大混乱。煙は見えるのだけれど、見えるのは人の頭ばかりなり。と、そうこうするうちに混雑路に出くわし、警備の警察官の胸の前に押し出された。一番前!な、なんという幸運♪通路は、立ち止まり禁止なのだが、やっと見える場所へ来た人たちは動く気配がない。「前に進んで下さい。止まらないで!」必死で誘導する警官の声が、むなしく人ごみに吸収されていく。

運よく一番前に押し出された私とツレ。子供松明を、何とか目の前で見る事が出来た。半歩づつ歩を進めながらではあるけれどw 煌びやかな衣装に身をつつみ、松明を担ぐ子供たち。なんて可愛いのだろう!♪しかし、それも一瞬のうちに通りすぎて行ってしまい、私達は山門前に出てしまった。

ここからの選択肢はふたつ。このまま帰るのなら駅方向へ向かう右で、祭再観賞をするならば迂回路の左。祭のクライマックスは、午後9時頃から始まる大人松明。見たい思いは山々なれど、祭は夜中まで続き引き続き祭を見続けるという事は、又また迂回路の行軍を何度も繰り返すことを意味する。、嫌だぁ!帰りの電車も心配だし。子供松明を見られただけでもラッキー!と自分に言い聞かせつつ、大人松明にひかれる後ろ髪を振り払って2択のうちの右をチョイスした。

チョッベン
フンドシ姿の男が、神輿の担ぎ棒の先端にぶら下がり、足を逆さ大の字にし、それを担ぎ手が更に押し広げる。これが、この地方の成人の儀式。

サイレイ、サイリョウ
鞍馬の火祭の掛け声。その意味は「祭礼、最良」。「祭、最高!」という意味なのだとか。

これ程までに混みあう祭だけれど、実は迂回路をぐるぐる歩かされるのは道路の川側の人達だけで、山門側は迂回路などないので動くことも出来ない。そのため、早く来て場所を取っておけば有利。このあたり、不公平感が否めない。

珍しい火祭を垣間見る事が出来て、本当に運がよかった。しかし、こんな人混みは滅多に経験出来ないかもW


閑話
世の中には、ビックリするような事があるものダ。

時代祭をみて、その足で鞍馬へ直行したので、朝の一食を摂ったのみで未だ昼も食べていない。もう時間も逃がしてしまったので、昼夜兼用の食事を済ませて帰ることにしよう。乗継駅の出町柳に到着すると、電車から吐き出された人波が三々五々散っていき、思わずほっと吐息がもれた。さて、どこで食べようか。以前、この出町柳駅前の店に入って、煮込みすぎの煮つけとふっくら感のない衣をまとった天婦羅を出されたことがある。今夜はその轍を踏むまいゾ。とその時、ツレが言った。「そう言えば、地図によると確かこの近くに●●チェーンがあったと思うけど。」昨年の祇園祭りの折、洛中の●●チェーンの前には客が列をなしていた。その後、機会あって醍醐店を体験してみたのだ。安くてボリューム満点。そうだ、チェーン店なら違う店でも一応安心に違いない。

駅裏の小路に、その店はあった。あるにはあったのだが、そこはどう見ても「ただの赤ちょうちん」にしか見えない。広くて明るいファミレス風の醍醐店とは雲泥の差。しかし、待てよ。チェーン店なのだから、料理にせよ接客にせよ大筋のレベルは保証されているはず。暖簾をかきわけた。

店内は調理場に沿ったカウンターが一枚と、壁に沿ったカウンターが一枚据えられている。カウンターの向こうでは50代位の男性が中華鍋をあおりながら常連らしき客と話しこんでいた。その周りでは若い男性が二人、皿を洗ったり野菜を切ったりと雑用をこなす。と、まぁこういう状態の所に闖入した私とツレに対して店主らの対応はひどくぶっきら棒。間違っても愛想がいい、とは言えない。

さて、どこに座ろうか。壁側のカウンター席に腰を下ろそうとした時、賄いのお兄ちゃんが尖った声で言った。「そっちに座るんですか。」・・・こっちは駄目なのかい?何でそんなに怒ってるんだぁ?いや、別にどこに座っても構わないんだけどさ。ふと、目の前のカウンターに視線を落とすと、「無料です。ご自由にどうぞ。」と書かれた沢庵の丼の中が、ざわざわと騒がしい。丼の中をのぞいてみると、真っ黄色の沢庵の上に無数の胡麻が降り掛けられていた。しかし・・・次の瞬間、目が点になった。胡麻に見えたのは、黒い小さな虫。それらが思い思いに蠢いて、ラップの下から飛び出してくる。そこでやっと合点がいった。店員のお兄ちゃんは、忙しさでついこの虫のわいた沢庵丼をさげる時間がなかったに違いない。口やかましい店主に知られると、叱られるのは必定。で、件の尖った声となったのだろう。それにしても、いくらタダです。自由にと言われても、小蝿いりの沢庵は、流石の私もいただけない。今時こんな不衛生な店があるったのか・・・。





4日目  平安神宮 & 琵琶湖疏水記念館 &南禅寺 編      今日の歩数=20,360歩

10/10/23 平安神宮


大極殿を模した建物


大極殿の両脇には塔が


塔の一角で
神服?の繕いをするご婦人たち

今日は、相棒とは別行動の一日。おひとり様旅気分を満喫せねば♪とMNから飛び出した途端に、右目に鋭い痛みが走った。コンタクトレンズはゴロゴロするし、涙は止まらないし・・。もしかして、北国仕様の私の体が京都の強い紫外線にやられたのだべかwとはいえ、折角の一日だもん。行けるところまで行ってみるとすっか。

平安神宮は、1895年(明治28年)平安遷都1100年を記念して京都にて開催された内国勧業博覧会の目玉として、平安京の大内裏の一部を5/8に縮小してここ岡崎に復元された。その後、平安遷都を行った桓武天皇を祀る神社となる。ちなみに、昨日観た時代祭も平安遷都記念行事として始まり、時代祭の行列は御所を始点とし平安神宮を終点とする。

境内に足を踏み入れると、まずその広さにびっくりさせられ、次に建物の赤にびっくり。平安京はこういう朱塗りだったのか。と、大極殿の向って左側の塔の廊下で、年配のご婦人方が山積みの白い衣服を前に何やら手を動かしていた。察するに、神服の修理繕いをしているのかな?そう言えば、平安神宮の大祭・建造物・神苑(庭園)の保存のために、市民による平安講社が組織されたという。当時の行政区分に従って、上京区・下京区・愛宕郡・葛野郡の4地区を6社に分け、社は学区ごとの組から構成されていたそうな。その後、市の拡大で平安講社は拡張するも、戦後一度解散し再出発をとげて今にいたる。現在も時代祭の運営は、平安講社の手によるのだとか。京都市民の尽力によって、京の歴史が守り残されている。京の人々の愛郷心と京人としてのプライド、そしてその組織力。凄い!!!



閑話
平安神宮には立派なお庭があるのだが、今日は朝から目が不調でよしんば行ってみてもゆったりと楽しめそうにない。という次第でお庭をパスして外へでた。さてと、これからどこに行こうか。れれれ、何故だか今日は道のあちこちに制服警官の警備が。取り敢えず、どこへ行くあてもないので一応 駅の位置を確認しておくべぇ。と、辻に立っていた警備のイケメン警察官をつかまえて、聞いた。「あぁ、それなら このドンツキを右へ行って~。」

えぇぇぇ・・・ドンツキ!?それって、何????・・・調べて見た。
どんつき。
どんと突き当たる場所。京言葉。

地元出身のお巡りさんだったのか。偶然にも京言葉に遭遇して、ほっこり♪


10/10/23 琵琶湖疏水記念館

琵琶湖疏水記念館




ぺルトン式水車模型


取水口


災害用備蓄飲料水

お巡りさんに教えられた通り「どんつき」を右手に折れて、道なりに歩いてみた。どうやら運が良ければ南禅寺にたどり着くハズなのだが・・・。そのうちに、左側に大きな建物が現れた。これが琵琶湖疏水記念館。入館無料。

疏水とは、舟運・発電・上水・灌漑用水を目的に、琵琶湖から京都までひかれた水路のことである。

明治期、京都府知事・北垣国道が、帝を東京へ奪われて衰微する京都に、新しい産業としてのエネルギー開発ブランを計画した。それは、琵琶湖から京都へ水路を引くという当時としてはとてつもなく遠大なものであった。

たまたま、卒論のために水路の実測をしていた学生・田辺朔朗という学生がおり、それが工部大学校長・大鳥圭介から知事へと伝えられた。かくして、田辺は卒業直後に京都府御用掛を拝命し、技師として我国初の大疏水工事を主導していくこととなる。しかし、外国技師の手を借りずしての手探りの工事は、難航を極める。資材の調達、人夫の犠牲など山積する問題が、大学を出たての若き技師の双肩にかかっていた。

最大の難問は、蹴上から九条山までの582メートル。その間の36メートルの高低差を克服しない限り水運は成立しない。そこで田辺がひねり出した知恵が、船をそのまま台車に乗せてレールの上を移動する水陸両用船・インクラインだった。これにより、急こう配を見事クリア。そんなこんなのプロジェクト完成までの記録や苦難の歴史が、ここ琵琶湖疏水記念館に細やかに展示されている。

技師・田辺は卒論の水路実測中に謝って右手に大怪我を負ってしまう。しかし、卒業が遅れることを懸念して左手で論文と製図を書きあげた。実物の卒論を見て、飛びあがるほど驚いた。流れる様な英文の文字がびっしり並び、きっちりとした線で描かれた図。これが、左手での作業によるものとは誰も思わないだろう。その強い意志こそが、これ程までの大事業を成し遂げ得た事の裏打ちに他ならない。

水路の水は世界二番目の水力発電建設となり、それにより日本初の市電が京都の町を走ることとなった。さらにインクライン(傾斜鉄道)による琵琶湖から京都までの舟運も開通した。疏水が京都にもたらしたものの大きさを改めて思う。

時代は遷り、今は電車も廃止されインクラインは錆びたレールを残すのみとなった。しかし、疏水はこんにちも京都市民の上水として使われている。記念館前の自販で災害用備蓄飲料水@100円を買った。冷たくて美味い。これが、琵琶湖の水なのか。

記念館から疏水を眺めた。満々と湛える水は、過ぎし日をすべて飲みこんで沈黙する。雄大でゆったりとした空間がそこにあった。この大事業がなければ、現在の京都は随分と廃れた片田舎だっただろうとも言われる。若手の知事と大学卒業したてのフレッシュな技術者、この二人の出会いと情熱が生み出した奇跡。これら全てが、必然という名の運命だったのか。



インクラインを歩いてみた




インクラインのレール




インクライン




インクラインのどんつき・安養寺


折り返すと地下鉄・蹴上駅


そばにはこんなトンネルが

疏水記念館前のインクラインのレール上を歩いてみた。このまま水路を辿って行けば琵琶湖に辿りつくのか。カメラ片手の観光客、子供連れの家族。インクラインを反対から歩いて来る人にすれ違う。1人1人がそれぞれに、明治の夢の中を歩いていた。ここだけ、時がゆっくりと流れているようだ。

インクラインのどんつきのお寺の山門に出た。ここからは山道を登ることになる。簡単な登山コーデの人たちが、私の脇をすり抜けて石段を登っていった。行こか、戻ろか・・・迷う。いや、今日はやめておこう!ということで、山門から下へ降りて国道へ。程なく地下鉄・蹴上駅についた。ここで又又思案。地下鉄が未成熟の京都では、足周りはバスが主流。となれば、土地勘のない観光客はどこへ行くも一旦京都駅バスターミナルへ戻るか、タクシーを使うのが常道なのだ。さて、どうしたものか。いや、これからどこへ行こうか。

あてのない今日の散策。あえて、今 京都駅へ急いで戻ることもあるまい。蹴上駅をやりすごして、テクテクと歩く。すると、水門風のトンネルが現れ、中から高校生の集団が賑やかに出てきた。するってぇと、この先には高校があるのか?行って見るべぇか。


10/10/23 南禅寺




















横道から出ると南禅寺入口


三門
道なりに歩いたら、なんと・・・南禅寺の前に出た。びっくり。

南禅寺は臨済宗南禅寺派大本山のお寺。開基は亀山法王。京都五山の上に位置し、日本の禅寺の中で最高の格式を持つ。境内無料。

さて、南禅寺と言えば、三門。別名「天下竜門」とも呼ばれるこの門は、日本三大門の一つである。大阪夏の陣の後、藤堂高虎が戦死した部下らの冥福を祈るために寄進したという。かくして今も、藤堂家歴代の位牌や大阪夏の陣の戦死者の位牌が安置されている。

しかし、この三門、有名なのはそれではない。歌舞伎「楼門五三桐」で、石川五右衛門が「絶景かな~」と唸るのが、ここ南禅寺三門。さもありなん。門とは言え、五間三戸(正面の柱間が五間で、そのうち中央の三間が出入口)の二重門(二階建の門)というデラックスな造り。二階からの眺めはいかばかりかと、思わず仰ぎ見てしまう。ただし、三門が建てられたのは五右衛門の死後30年を過ぎてから。どうやら実話という訳にはいかないようだ。

只今 特別拝観中@500円。と書かれた看板が見えた。どれどれと傍に走り寄ったら、門の登り口に長い列ができていた。南禅寺は、国宝の方丈やら虎の子渡しの庭など見所満載なのだ。今からそれら全てを見るには、いささか時間がたりない。という次第で、三門拝観は、次回の訪問時へ繰越しと決めた。
水路閣




南禅寺には、テレビドラマの撮影場所によく使われる超人気スポットがある。境内を通る琵琶湖疏水・水路閣だ。琵琶湖疏水については前記済みなので活愛するとして、そもそも格式高い寺の敷地を疏水が悠々と流れている事自体、不思議。案の定、建設当時「古都の景観を破壊する」との反対運動が起こったのだとか。しかし、今では京都を代表する風景の一つとなっている。

木々の合間に突如出現する水路閣。長年の風雪をたっぷりと受け止めてきた煉瓦が醸し出す空間は、まるで外国へでもワープしたようだ。モダンにして古色。西洋風建築なのに、名刹の雰囲気にしっくりと重なる。あたかも、疏水設計者・田辺朔朗が100年後にこうなることを計算していたかのように。

うぅぅ、やっぱり目の調子がわりいw 今日はここまで。お弁当買って、御宿へ帰ろっとぉ。



BACK                                             TOP






5日目  奈良の町散策春日大社 編      今日の歩数=19,698歩


閑話

餅飯殿センター街
実は、今 奈良では「正倉院展」が開催中。こんなチャンスは滅多にないかも!と、電車に飛び乗った。

近鉄奈良駅に到着。しかし、駅の改札口に正倉院・入場券売場が特設されていて、すでに長蛇の列。しまった!今日が日曜日であることを、すっかり忘れていたぁw人混みはちょっと避けたいナ。こうとなれば、予定変更するべきか。

駅舎を出て、そばの餅飯殿センター街をきょろきょろ見回しながら歩く私ら怪しいお上りさん夫婦。うん、名前の通り 餅屋が多いゾ。と、その時 親切な中年男性が声をかけてくれた。地元の方だそうな。「どこかお探しですか?」と言われても、当方 行き先すらも決まっていない。男性はちょっとの間 遠くを見る様な目をし、やがて私達に視線を戻して言った。「奈良はお寺もいいし、町並みを見ながら散策するのもいいかと思いますよ。このあたりだと、春日大社が、ほらあそこに!」と身を捻って、その方角を指差した。
中谷堂

店先

つきたてよもぎ餅@130円
男性がその体勢を戻そうとした時、背中の後ろの店にふと目をとめ「あ、あそこのお餅、つきたてで、美味しいんですよ。」甘いものに目のないツレが、瞬時に反応して店先の餅つき風景にくぎ付けとなる。中谷堂 つきたてよもぎ餅@130円。早速 購入してみた。出来たばかりの温もりが残る餅は、辛党の私でも美味いと思う。

餅を頬張りながら、町散策へいざ出発。と、先程の男性が追いかけてきて念押しをする。「山が見える方角が、東ですからネ。」



まちなみ

北向庚申堂

レトロな看板が素敵!

「能面教室」って、さすが古都

御霊神社

蚊帳の生地で作った製品販売


10/10/24 なら格子の家






みせの間
(正面が格子)


奥の間・中庭・離れ
中庭の右が渡り廊下


箱階段
「なら格子の家」では、忠実に再現された「ならまち」伝統の古民家を見ることができる。入場無料。

当時、奈良の町家は、間口の幅で課税額が決められたそうな。そのため、横幅は狭く奥行きが長い形状の家を作ったとのこと。玄関わきの「みせの間」に立つと、中の間、奥の間、中庭、離れ、その先の蔵までが一線となって繋がっていた。そこを、心地よい風が吹き抜けていく。

特徴的なのはそれだけではない。みせの間の格子。外から中は見えにくいが、逆に家の中からは外の様子が手に取る様に見える。不思議だ。

さらに、中の間には箱階段が据えられていて、収納スペース兼階段の役割を担う。二役兼務の働きモノでありながら、レトロ感溢れる美しさ。うううう、我家に持って帰りたい!

玄関奥の台所には竈が並び、二階まで吹き抜けになっていた。天窓からは柔らかな光が刺し込んでいる。なんてお洒落なんだろう!

格子、箱階段、吹き抜けの明かり採りなど随所に生活の知恵が散りばめられていて、思わず唸ってしまった。扇風機やクーラーが無くても間取りの工夫によって涼しい風が通り抜けるし、細かな作業をする台所は照明がなくても吹き抜けを通して天窓から明かりが射し込む。昔の人の底力を、見せつけられた気がする。


10/10/24 元興寺(芝新屋町)

元興寺五重塔址

啼き蟷螂

五重塔址

ぶらぶらと町を歩いていたら、五重塔址に遭遇した。寺の名は、元興寺・・・がんごうじ。

ここへ来るまでの間、あちこちの看板やら説明書きやらで、この名を度たび目にしてきた。不思議に思い、奈良駅周辺の観光地図をひろげてみる。すると、ここ芝新屋町の元興寺は東大寺の末寺で華厳宗。そのすぐ北の中院町にもう一つ存在する元興寺が真言律宗。それぞれに宗派が違う寺だが、実は元々は一つのお寺だったそうな。

元興寺の前身は、蘇我馬子が建立した南都七大寺の一つ・法興寺(飛鳥寺)。奈良時代には東大寺や興福寺と並ぶ大寺院だったが、中世以降に衰退し、浄土信仰の極楽坊と江戸末期に焼失してしまった五重塔を配する芝新屋町とに分かれ、その隙間は民家で埋められていった。つまり、奈良町は、そのほとんどが元興寺の境内だったということ。以後、隆盛が戻ることはなく、未だに復興の見通しはない。

残された五重塔址に立ってみる。平らな土地のところどころに残された石が、五重塔の礎石だろうか。今はただ、想像するより術がない。これ程までに勢力をふるった大きな寺が、時の流れの波間で揉まれ、やがて消え去って行った。時間の残酷さを、址は雄弁に物語る。

目を閉じると、ざわざわと大寺院の喧騒が聞こえてくるようだ。「兵どもが夢のあと」・・・。




 発見!

元興寺を後にして、足のむくまま気の向くままに歩を進めると、某川の橋付近に大勢の地蔵を乗せた石船が設置されていた。勿論ミニチュアで、川底にくっついているから動くことはない。地蔵の後ろには「祭」の文字が見える。

どんないわれがあるのだろう。


10/10/24 猿沢池

猿沢池

亀たち
元興寺を出てから ややしばらく歩いて、商店街を通りぬけた所で猿沢池に着いた。元興寺の隆盛時は、ここ猿沢池までが境内だったというから、改めてその勢力に驚かされる。

猿沢池は、興福寺の放生池として天平21年につくられた人工池。万物の生命を慈しむという宗教の教えに因って、捕獲された生き物たちをここに放流したのだそうな。
猿沢池の七不思議
澄まず濁らず、出ず入らず、蛙はわかず、藻は生えず。
魚が七分に水三分
猿沢池の水は、決して澄むことがなく、又ひどく濁ることもない。水が流入する川はなく、それなのに常に一定の水量を保っている。亀は沢山いるが、蛙もいなく藻も生えない。多くの魚が放流されるが、魚で溢れることもない。

自然界において、一体どんな摂理によって保たれているのか・・・不思議だ。
芥川龍之介「龍」
芥川龍之介の小説「龍」が、猿沢池に古くから伝わる「雲を呼び、雨を降らせながら龍が天に昇った」という伝説をもとに書かれたことは、つとに有名である。

蜂に刺された様に真っ赤な大きな鼻を持つ法師がおったとさ。彼は、鼻蔵鼻蔵と囃されて悔しい思いをしていたんだと。ある日のこと、鼻蔵はいつもからかう人達を見返してやりたいと思い、興福寺の前の猿沢池に建札をたてたんだと。「三月三日この池より竜昇らんずるなり」。無論、何の根拠もないでたらめな話。しかし、噂はいつの間にか尾鰭がついて全国へと広まって予想もしない大きな話に膨らんでいったそうな。
昔は天が下の人間も皆心から水底には竜が住むと思うて居った。
さすれば竜もおのずから天地の間に飛行して、神のごとく折々は不思議な姿を現した筈じゃ。
                                          芥川龍之介(龍より)
人間が思うことで、竜が姿を現すという。元より、論拠はどこにもない。ないが、しかし、思い続ける人間の一途さと、思いを受け止めて折々に姿を見せる竜の律儀さが、妙に愛おしい。


10/10/24 春日大社

一の鳥居

幣殿・舞殿

神拝所

神様の憑代が現れた神石

祓串

御本殿

七五三詣りの可愛子ちゃん

大杉

宝庫

石燈籠

七種寄生木

藤浪之屋

直江兼継が寄進した燈籠

直会殿の吊り燈籠

西回廊の吊り燈籠
春日大社の起源は、710年 藤原不比等が平城遷都の折に藤原氏の氏神を祀ったためと言われている。藤原氏が勢力をのばすにつれて社殿の造営が繰り返され、皇族や貴族の春日詣でが盛んになり、以降は武家や庶民にもひろまり全国に御分社がつくられていったそうな。本殿参拝@500円。


懐っこい鹿が人の傍を離れない 
うましうるわし奈良

護り続けて、伝え続けて、春日大社。

昔々、白い鹿に乗った神様が御蓋山(みかさやま)の頂上に舞い降りられた。
神様に選ばれた春日の山は、ありのままの姿を保ち、
いつしか鹿と人は、いっしょにこの地で暮らすようになった。
いつの時代も変わらない春日の風景と心。
それらを護り、伝え続けてきた春日大社。 今日も明日も、千数百年前と同じ心で、私たちを迎え入れてくれます。
                            (JR東海CMより)

境内のどこを歩いても国宝級の文化財に行きあたる。境内を闊歩する1000頭以上の鹿たちも神鹿(しんろく)という天然記念物。こうとなれば、その辺に転がる石すらも、もしかして・・などと思ってしまう。まさにお宝の宝庫。

しかし、何と言っても圧巻なのは、1000にも及ぶ回廊の吊り燈籠と参道に並ぶ2000の石灯籠。ずらりと並ぶ燈籠の前で、言葉も忘れて見惚れてしまった。2月の節分と8月のお盆には、一斉に万燈籠に灯がともされるのだとか。しかし、それ以外の時期にも特別公開として雰囲気を体験させてくれるのが、藤波之屋。ここは北回廊の東角にあり、かつては神職の詰所だった所とのこと。真っ暗な中、揺らめく灯りがかもしだす空間は、まさに幽玄の世界そのもの。

藤浪之屋のそば・多賀神社をのぞいてみた。数名の人達が机に向かっている。写経か?いえいえ、さにあらず。なんでも、願いを紙に書いて奉納すれば叶うのだとか。これもご縁と、私も一筆。うん~、お願いしたい事は山程ある様な気もするが、文章で表わすとなると・・・何にしようかなぁ。そこでツレが呟いた。「願い事は一つだろう。」wwwなんとかかんとか願いを一つに絞って、お願い完了。と後ろから皆さんを眺めれば、あら まるで昔むかしの寺子屋みたい♪外へ出て眩しい太陽を浴びつつ細めた瞳をむければ、入口に小さな貼り紙が。えぇぇぇ、@500円って書いてあるけど、もしかして さっきの願い事の代金か?払ってないよ、あたし達。どこで払うんだったのぉ?・・・・今更なので、そそくさとその場を後にした。神様、ご免なさいましw にしても、さっき箱に納めてきた私の願い事、どうなるのでござんしょうw






6日目  知恩院 編      今日の歩数=20,023歩






牛若丸と弁慶(五条大橋)




扇塚(五条大橋)

光源氏のモデル・源融の邸宅跡




かの有名京懐石店・菊の井


10/10/25 知恩院

三門

御影堂

御影堂正面縁側に「忘れ傘}

境内

大鐘楼(日本三大名鐘)

阿弥陀堂

阿弥陀堂ご本尊・阿弥陀如来像
知恩院は、浄土宗総本山の寺。ここは、開基・法然が没するまでの後半生を過ごした地でもある。信徒は徳川将軍家から一般庶民まで、身分を超えて幅広い。

実は、ここで見たいモノがある。「知恩院の七不思議」。しかし、あろうことか御影堂と集会堂が修理工事のため、方丈内での拝観は出来ないのだとwwwつまり、「忘れ傘」、「鶯張りの廊下」「瓜生石」以外の「白木の棺」「抜け雀」「三方正面真向かいの猫」「大杓子」は見られないということ。残念だが、仕方があるめぇ。

「忘れ傘」

①当時の名工・左甚五郎が魔除けのために御影堂正面の軒裏に骨ばかりになった傘を置いていったという説。
②御影堂を建立する時に、このあたりに住んでいた白狐が自分の住いが無くなるので新しい住居をつくって欲しいと訴え、そのお礼にこの傘を置いて知恩院をまもる約束をした。という説。

まずは、御影堂あたりでボランティアの人をつかまえて、「忘れ傘」の場所を尋ねてみた。その指し示す指先は、軒先裏。しかも鳩除けの金網が邪魔して、かなり解りにくい。ぼんやりと見えるような気がしないでもないのだが・・・。

気がつけば、いつの間にか横に旅行中とおぼしき御夫婦が同じく軒先を見上げていた。奥様は見えるといい、旦那様は見えないという。どこまでも平行線。そのうちに傘さがしに飽きたのか、御主人がボランティアさん相手に「法然と親鸞」についての知識を披露し始めた。「元々は親鸞は法然の弟子だったのに、いつの間にか法然の浄土宗よりも親鸞の浄土真宗の方が隆盛しちゃって、庇を貸して母屋を取られた様なもんだ。」聞いていたボランティアさんは、相槌を打ちつつもどこか苦~い表情。そりゃぁそうだ。確かに、事実は旦那様のおおせの通り。だが、ここは法然の浄土宗総本山なのだ。となれば、空気が読めないお方、ではある。

ハタと思った。徳川将軍家は代々浄土宗を信仰してきた。が、徳川家康は浄土真宗の東本願寺に現在の東本願寺が建っている土地を寄進しているのだ。宗派が違うのに、何故だろう。そんなモヤっとした疑問が、今の会話を聞いて氷解した。そうか、そうだったのか。家康は本願寺に土地を与えて、そこに東本願寺を建てさせ、増大する本願寺を東と西に二分することで勢力を削ごうと企てたのか。為政者としては、強大勢力の芽は摘まねばなるまい。さすが「タヌキおやじ」。

「知恩院のお茶」自販機

「知恩院のお茶」
三門前の自動販売機に出くわして、思わず知らず足がとまってしまった。なんと、そこで扱っているのは知恩院が制作した「知恩院のお茶」という商品一種類のみ。法然の800年大遠忌を機に、500ml入りペットボトルを@130円で販売しているのだ。大遠忌をしようにも、先立つものはお金。法然さんの力をもってしても、念仏を唱えるばかりでは資金調達は成し得ない。そのための苦肉の策ということか。大寺院の意外な商才に遭遇して、びっくり。


10/10/25 田毎

田毎

そば定食@1155円
「老舗の蕎麦が食べたい。」と蕎麦に目のないツレが言った。それは、どこにあるのだろう。突然の思いつきでは調べようもなく、ただ足の向くまま歩いていたら、それらしき店の前に出た。「御蕎麦 田毎」。うんうん、看板をみるだけでも老舗の臭いがぷんぷんだ。

店内は食事時にしては中途半端な時間だというのに、結構な客の入り。御夫婦、友達同士、買い物帰りの熟女おひとり様。総じて年齢層が高めなのは時間帯のせいか、はたまた値段が高めなせいか?

さて、我らが注文したのは「そば定食」@1155円。(海老天ぷらそば&白ご飯&箸休め&漬けもの。)実はこのメニュー、時間限定で午前10時から午後3時まで。それ以降は@1365円となる。程なく運ばれてきた天そばの鰹の香りに、思わず頬がゆるむ。あぁ、なんて幸せな気分なんだろう。麺も、歯ごたえがあり美味しい。これは、値段だけのことはあるゾ。

本日の二人の鼻は、なかなかに利いていた模様♪






7日目   通天閣 界隈 編     今日の歩数=14,218歩



ジャンジャン横丁



新世界


串カツ屋の前のピリケンさん


通天閣
さて、今日はいよいよ最終日。飛行機の搭乗は午後からなので、午前中は大阪・通天閣あたりを徘徊して串カツを食べることに決めた。しかし・・・開店前の閑散とした横丁はちょっと寂しい。とはいえ、モッキリ屋さんの中は別世界。いつから呑み始めたのか、すでにすっかり出来あがっている御仁たちがコップを握り締めて至福の微笑みを浮かべていた。


残念石


坂田三吉の王将碑


新世界市場


ラジウム温泉
残念石
大坂城築城のおり石垣にするために切り出されながら積み残された、言わば大坂城の石垣になりそこなった石。現在も小豆島において大切に保存されているのを地元商店会が借り受けた。これで、やっと大阪に来ることができ大願成就を果たしためでたい石。

ラジウム温泉
「素っ裸 通天閣の股の下」という看板に、目が釘付けになってしまった。ここは通天閣が誕生する前から営業している老舗の銭湯で、実に創業は57年なのだと。ちょうどリニューアル2周年記念サービスで貸しタオル・貸しバスタオル・入浴料込みでワンコイン@500円。ラジウム温泉の方は、現在全国300以上の病院や介護施設に導入されている三菱レイヨン社製の高濃度人工炭酸泉を西日本の銭湯では唯一導入しているそうな。しかも、露天風呂からは日本庭園と頭上に通天閣を眺めることができるとのこと。夜のライトアップも魅力的だが、朝風呂の営業というのも垂涎。風呂好きの虫が疼く。一風呂浴びたいのは山々なれど、帰りの飛行機は待っててくれないし・・・。つい、ため息が。


10/10/26 朝日

広い店内

串かつ

タレは勿論 二度づけ禁止
新世界と言えば、串かつ。串かつの聖地に来て、食べて帰らない手はない。とは言え、あっちにもこっちにも串かつの店があって、どこへ入ったらいいのか迷う。カウンターのみの店も興味津々ではあるが、奈何せん当方初体験ゆえ、ちょっと躊躇いがあるし・・・。

あれこれ思いつつ歩いていたら、男前のお兄さんが店の前で割引券を配布していた。店内を窺えば、おぉ~広くて小奇麗!しかも、小上がりがあるから初心者の私たちでも安心して入れそう。

店の中は、開店間際なので客がまだいない。いえいえ、目をこらして見れば奥のカウンターで焼酎をひっかけているオジサンが一名。こんなに早い時間なのに先客ありとは、さすが新世界だぁ。

ビール       
串かつ5本盛り  
いか         
つくね        
たこ          
ご飯(小)      
@450円×1
@650円×2
@130円×2
@110円×2
@130円×2
@210円×2

成程~、このタレが二度づけ禁止なのネ♪ほんなら、一回でだっぷりと浸しとかにゃぁ~。裏表に目いっぱいタレを含ませて頬張ると・・・うわぁ、口の中でジュワッと広がるこの食感!あぁ、揚げたての串かつって、何て美味いんだぁ~。


10/10/26 FirstKitchen

Coffee Lサイズ@300円
お腹も満タン。そろそろ帰途につくとしようかナ。

大阪・難波から電車に乗って、一路 関西空港へ。

予定よりも早く着いたので、空港内でCoffeeBreakを!と思ったが、どこの店も揃って満員。仕様がないなぁ~と諦めかけた時、FirstKitchenに空席を見つけた。ラッキー♪


搭乗待ちの客が多いせいか、周囲はわさわさと忙しい。

そんな喧騒の中、まもなく終わりを告げるこの旅の余韻を、ちょっぴり楽しんでみた。


まとめ
過ぎてしまえば、一週間の何と早いことか~・・・www

いつもは混雑を避けての訪問を心がけている京都訪問なのだが、今回は偶然「時代祭」と「鞍馬の火祭」に遭遇。ならば、これもご縁。想定される混雑に私なりの覚悟を決めて対峙・・・。しかし、混雑するにはそれなりに人を惹き付ける何かがあるのかもしれない、と振り返ってふと思う。

何気に琵琶湖疏水館を訪れ、南禅寺の水路閣を見た。理屈では解っていたけれど、厳としたそれらの現実を目の前につきつけられると、題名は忘失したが以前放映されたドラマで臨終の時に木戸孝充が言った言葉が浮かんで消えた。「私は時代に選ばれて、時代に棄てられたのだ。」インクラインを設計施工した田辺朔朗は、あの時代に必要不可欠な人物として選ばれて、役割を果たし歴史の谷間に消えた。今では、残した功績程にはその名を知る人は少ない。しかし、水路閣の前に佇めば、会ったこともない彼の情熱が痛いほどにほとばしる。
















BACK                                             TOP