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2010年 仙台

多賀城跡で蝦夷の夢を邂逅し、塩釜水産物仲卸市場で生牡蠣を喰らう♪



10/07/05~10/07/14 苫小牧⇔仙台(大人2名)


日程  フェリー往復泊&仙台7泊
経費  大人2名
交通費 フェリーチケット(2等寝台)苫小牧⇔仙台 (@6,000円(片道)×2)2=24,000円
宿泊  シンシア・シティ仙台(ウィークリーマンション)
      @24,500円(7泊)+光熱費7,000円+追加寝具@500円×7日+寝具清掃@1,800×2+ピロケース追加代@250=38,850円
拝観料&入場料                                                           8,700円
食事&食材費                                                            23,870円
交通費                                                                10,556円
雑費                                                                    9,685円
                                                             〆て    115,661円



旅程
1日目 フェリー(苫小牧より出航)  5日目 塩釜水産物仲卸市場  
2日目 多賀城駅 塩釜神社
史跡多賀城址 6日目 山寺(立石寺)
東北歴史博物館 神の湯・作並ホテル
3日目 三瀧山不動院 7日目 片倉家中(旧小関家)武家屋敷
瑞鳳殿 白石城
青葉城址 秋保温泉協同浴場
楽天球場 8日目 仙台市内散歩
4日目 マンガ列車・マンガッタンライナー 9日目 仙台朝市アメ横市場
松島 晩翠草堂
瑞巌寺 東北大学(片平キャンパス)
 



食べたところ                                      泊まったところ                                
多賀城市役所 弁当 シンシア・シティ仙台
そばの神田 冷やし野菜天そば
kuniwake 牛タン定食
阿部蒲鉾店・本店 ひょうたん揚げ
阿部蒲鉾店・松島寺町小路店 手焼き蒲鉾
塩釜まぐろ直売食堂 本まぐろ炙りヅケ丼
おさんこ茶屋 づんだ餅
さん竹 大ざる蕎麦
白石城歴史探訪ミュージアム 伊達とりウーメン
仙台朝i市アメ横市場 朝市丼
仙台っ子 仙台っ子ラーメン







1日目  出発 編      今日の歩数=16,571歩



夏が近づくとウズウズするのは、私の体内に何かそういうモノが埋め込まれているのだろうか~。
という次第で、今年は東北でまったりして来よう!ということに・・・なった^m^
本来の趣旨にのっとって、宿は仙台のウイークリーMN。仙台で普通に暮らしてみたい!!!
はてさて、どんな出会いが待っているのやら・・・。゚( ゚^∀^゚)゚。

10/07/05     フェリー(苫小牧出港)















苫小牧フェリーターミナル
フェリーから


出港準備で錨のロープを外す


出港


ペットハウス
旅は、出来れば船がいい♪早速ググッてみれば、2等と2等寝台がoffシーズンのため只今割引中。おぉ、何と言う幸運。この恩恵に浴さない手はない。2等は大部屋での雑魚寝だけれど、2等寝台なら2段ベットなので布団一枚分の自空間をかろうじて確保できる。しかしなぁ、昨年の1等個室の快適さも捨てがたい。と逡巡していたら、ツレが言った。「仙台なら、寝て朝になれば、もう着いてるからいいべ。」そだった。今回の乗船時間は短いんだったよ。よっしゃぁ、決めた!!!という訳で、cheap旅行とあいなった。

さて、いよいよ船は出港まぢか。合図のドラがなって、ツレと一緒に甲板に出た。と、その時、ツレがこんがり日焼けした一見こわもての若者から写真撮影を頼まれた。苫小牧フェリーターミナルを背景にした自分のポートレート。彼は何度も携帯を覗きこみ「いや、すみません。もうちょっと、この角度で。」と恐縮しつつも、妙に指示が細かい。ツレは、言われるままにシャッターを切り、彼に携帯を返した。「もし、なんならもう一枚写しましょうか?」と申し出たツレに、写真を確認していた彼が言った。「いや、大丈夫。映ってます。実は後輩が見送りに来てくれていて、一緒に写真に写したかったんですけれど、ちゃんと写ってます。」左のフェリーターミナルの写真の左寄りに彼が立ち、その後ろのターミナル2階で見送る後輩も共に写る様にしたかったのだそうな。ピンクの愛らしい携帯を覗き込むはにかんだ笑顔が、何とも懐っこい。記念の一枚、うまく撮れてよかったぁ~。

船は苫小牧港を後にして、いよいよ海へと躍り出ていった。無事に旅が始まってほっとしたら、甲板のどこからか犬の鳴き声が聞こえてきた。まさか、海に犬なんてねぇ。相棒と顔を見合わせていたら、一層下にペットハウスなるものがあった。中には、犬が!そうそう、犬は客室へ入れられないので、到着までの時間を飼い主から離されてここで過ごす。なるほど、そういうことだったのか。

20:00~ ラウンジショー。
生歌と生ピアノのカンツォーネ特集。昨年乗った舞鶴行きのフェリーでは、乗組員有志が仕事の合間に楽器演奏を披露してくれた。船の裏話などを織り交ぜてのアットホームで楽しいひとときだったが、今夜はプロの演奏会。まぁ。なんと豪勢なぁ!!!ショーはテノール歌手・毛利和雄氏の歌と山口裕子氏のピアノ演奏。毛利氏の軽妙な司会進行で、楽しい時はあっという間に過ぎて行く。心は、いつしかイタリアへ。


2日目  多賀城 編      今日の歩数=27,185歩

閑話「駅はどっちだ!?」
ツレが言うとおり、朝が来たらあっという間に本州へ上陸した。もう少し、船旅を楽しみたい気もするが・・・。

フェリーターミナル前で仙台行きのバスを待っていたら、ツレが言った。「どうせ乗るなら、バスよりも電車に乗りたいなぁ~。」目的地に到着した安堵感が気を大きくしたのか「じゃぁ、電車で行こうか。」と・・・つい言ってしまった私www無論、近くに電車の駅はありそうにもない。ま、行けるとこまで行ってみようか^m^

フェリーでもらった略地図を、ああでもないこうでもないと向きを変えて覗きこむ私とツレ。あたりは工場と倉庫ばかりで、目印になりそうな建物がない。交差点で信号待ちをしていたら、同じく信号待ちをしていた男性が声をかけてくれた。「あの、どちらまで行かれるのですか?」地図から視線を移して、その男性のお顔を見れば、な、な、何と!!!白いポロシャツにジーパン姿ではあるが、まぎれもなく夕べのテノール歌手ではないか。「あ、あ、あ・・・夕べのぉ~・・・」と思わず言ってしまった。歌手氏は、いえ、毛利さんは照れ臭そうな笑みを浮かべて頷いた。私ってば、「夕べのショーのテノール歌手の方ですか?」くらいの気のきいた事をいえんのかww

私達が乗ってきたフェリーは、苫小牧→仙台→名古屋と運航する。この仙台では、数時間の停泊となるので、その時間を利用して運動がてら船外へ散歩に出たのだそうな。もう、21年もフェリーに乗っているとのことで、仙台のフェリーターミナル周辺の地理には明るい模様。かくして、途中まで同行案内していただくことになった。ショーでの洒脱な司会ぶりのままに、会話もなかなかに楽しい。貴重な休憩時間に道案内をさせてしまい、恐縮<m(__)m>


閑話「冷シャンプー」
親切な歌手氏と別れた地理不案内の私とツレは、ふたたび地図を片手にテクテクと歩きだした。
とその時、目の前にひらひらとはためく一本の幟を発見。「冷シャンプー」って、「うん?冷やし中華じゃぁないのね?」冷のシャンプーだから、水で洗髪すると言うこと?

●元々 山形県のとある理髪店が、冷蔵庫にシャンプーを冷やしてそれを利用者の頭部にぶっかけて使う「クールシャンプー」なるサービスを1990年代後半から提供。2005年から冷やしラーメンを参考にして「冷やしシャンプー」と命名した。
●店舗によりシャンプーを容器ごとに冷蔵庫や冷凍庫に冷やしたりする他、金魚蜂や徳利に冷やして入れる場合もあったりする。又かき氷をぶちかましてシャンプーと一緒に洗髪する事例もあるという。           出典・wikipedia

気持ちいいのかなぁ~。

何だか風邪をひいちゃいそうな気がしないでもないが・・・。


10/07/06    多賀城駅


多賀城駅


史跡のまち多賀城市
「やっと着いた!フェリーターミナルに最も近い駅!!!」電車に乗る前に、ちょっと観光でもしていこうかな。ここは、どうやら多賀城市という所らしい。で、いったいどういう市なのだろう?こんな時は、その地の情報を手っ取り早く入手できる観光案内所が便利。という訳で、早速飛び込んだ。

「あのぉ、このあたりにどこか見どころがありますか?」との私の質問が終わるのを待たずに、カウンター内の女性が答えて言った。「うぅん、そこなんですよねぇ。ここは歴史のある町なんです。えぇと、多賀城址、これがお勧めなんですけれど。何にもないんですよ。址なんで。皆さん、何もなかった。って帰ってくるんですよねぇ。」きっと、もう何百回と言い続けているセリフに違いないppp

縁あってここへ来たことでもあり、何もないと知りつつも、ちょっと覗いてくる事に決めた。


10/07/06 多賀城市役所・食堂









多賀城市役所


6F食堂


弁当@500円
「道は曲がっているけれど、とにかく道なりに真っ直ぐ!!!」と駅の観光案内所で教えられた通り、ひたすらまっすぐ歩いた。しかし、特にこれといった目印になる建物もなく、少々不安が頭をよぎり出す。そう言えば「途中、何にもないですけど。」とも言ってたっけ・・・。

程なく右手に大きな建物が現れた。おぉ、ここが市役所だ!とその時、はたと思い至った。多賀城址までの道は、「何にもない」と教えられてきた言葉通り、ここまでの道は目ぼしい飲食店もない住宅街だった。この先も、多分そうだろう。という事は、お昼はどこで食べるの?私達。幸いにも目の前には市役所が・・・アル。ここなら、きっと職員用の食堂があるに違いない。これを逃す手はない。何故なら、下手をすると私達、今日の昼食は抜きになってしまう公算が濃厚なのだから。

食堂は、見晴らしの良い6Fにあった。あれこれあるメニューの中で、私がオーダーしたのは弁当。揚げものの天婦羅は、小ぶりながら一応 海老天も横たわっている。後は、数種類の家庭的な総菜が盛り合わせになっていた。値段はワンコインと格安なのに、この内容は嬉しいかぎり♪さすがは、お役所ダイ。

お腹は満腹、気分は満足。
 
  
10/07/06 史跡多賀城址




政庁復元模型

城址内のあやめ園

紫陽花も満開
8世紀前半頃に創建された多賀城は、陸奥国府として東北経営の中枢的な役割を果たした。「せんとくん」がもてはやされている奈良の平城京。そこから高級官僚が配置され、「遠の朝廷(とおのみかど)」とよばれた軍事・経済の拠点がこの地にあったことを、知る人は意外に少ない。

多賀城東南址に足を踏み入れると、鮮やかに咲き誇る一面のあやめが視界に飛び込んできた。
花言葉は「うれしい知らせ・優しさ・伝言・心意気・優雅・あなたを信じる・神秘の人」

「いずれがアヤメかカキツバタ。」意味は優劣つけがたい美しさ。
しかし、私の場合は文字通り「どれがアヤメでどれがカキツバタなのかが判別できない」。で、ちょっとググってみた。
種別 花の色 花の特徴 適地
アヤメ 紫まれに白 網目模様。外側の花びらに黄色い模様。 乾いた所
カキツバタ 青紫、紫、白、紋 網目なし。 水中や湿った所
花菖蒲 紅紫、紫、紋、覆輪 網目なし。花の色は色々。 湿った所
                                                                         By Wikipedia

多賀城碑(壺の碑)


重要文化財・多賀城碑
多賀城碑は別名「壺の碑」と呼ばれる。

「壷の碑」)とは、坂上田村麻呂が大きな石の表面に矢の矢尻で文字を書いたとされる石碑で、歌枕でもある。現存しないとも言われている。ために、多賀城碑偽物説が囁かれたが、現在では本物説が濃厚らしい。

碑は多賀城跡の外郭南門から30mほど城内に入ったところに建つ古い覆堂の中で、垂直に立っている。お堂の中に手を差し入れ、いっぱいに伸ばして撮ったのが、上の写真。上方に「西」という文字とその下の長方形のなかに11行140字の碑文が刻まれているそうだが、私の目では確認できなかった。

俳人・松尾芭蕉がこの碑を訪れ、感動で胸がいっぱいになり「ここには千年の歴史が刻まれている」と感激したそうな。
政庁


政庁への階段


南門跡


石敷広場跡


正殿跡
おぉ、確かになんにも・・・ない。
観光案内所で釘をさされた通り、そこには建物らしきものは何もない。所々に石くれを並べただけの大自然が広がっている、ただそれだけ。

多賀城が消失した理由は、古代東北人「エミシ」と時の政権との抗争にあるそうな。。
エミシ(蝦夷、毛人)とは、統治しようとする政権側からの呼び方で、自分たちとは違う文化レベルの低い人たちという意味。すなわち、彼らを自分たちに従わない悪人・野蛮人と見下して、征伐することを正当化したのだという。こうして展開された律令国家による東北地方の植民地政策に対して、エミシ勢力も対応を迫られることになる。権力に追随して生き延びようとする者。支配にあくまでも抵抗する者。やがて、後者は組織化し武力化していった。強引な政権の侵略に激しく抵抗するエミシたち。かくして780年、その騒動の中、多賀城は炎上し灰と化した。
こうして址地に立つと、すでに姿を消し去った多賀城が目の前に浮かんでくる。華やかな奈良の平城京を中央とする律令政府の繁栄の跡ではない。ここは、静かな毎日をおくっていた東北人「エミシ」たちが、遥か遠い地・奈良の朝廷に不条理な服従を迫られて蹂躙され、それでも最後まで律令国家の支配を断固こばみ抜いた悲鳴と抵抗の証に他ならない。

生前・作家の司馬遼太郎氏がこの地を訪れたおり、感慨深い思いにとらわれたという。その豊かな歴史知識を下敷きに、ここで見たものは何だったのだろう。


10/07/06 東北歴史博物館






東北歴史博物館@400円

入口までの広場を歩く。ゆったりとしたシチュエーションの中、どこか未来空間に迷い込んだ様な不思議なトキメキで心が弾む。エントランスは広い。そこに置かれたスツールは、数枚を重ねた板硝子がシート部分となっていた。座って、割れたりはしないのか?場所柄、子供たちの出入りも多いけど、モノをぶつけて硝子を破損したりすることはないのか?余計な心配が、頭をもたげる。そんな既存の概念を払しょくした斬新なインテリアが、シャープなお洒落空間を創出していた。

ここ東北歴史博物館は、老朽化した東北歴史資料館に変わるものとして移転整備されたのだそうな。総合展示室では、旧石器時代から近現代までの東北地方全般の歴史を、時代別ブースに分けて展示中。

時は縄文時代。藁小屋の前に座って、何やら作業中の男性。裏山から帰って来たのは、妻だろうか?背中の籠の中身は、栗か?はたまた、団栗か?そばには犬もいる。ある家族のおだやかな生活ぶりが、等身大の人形を駆使して展示されていた。当時は移動生活から準定住生活へと移行したころで、一か所に定住することにより、食物の貯蔵が可能となり、この過程を経ていよいよ稲作が始まる。

その時、ふっと思った。「あれ、縄文人って垂れ髪かザンバラ髪じゃぁないのかぁ?」。学校の教科書で見慣れた絵は、そうだったような~。しかし、この人形たちは全員後頭部でポニーテールの様に束ねてアップ姿。なかなかに、小奇麗でお洒落だ。先入観で思いこんでしまっていたのかなぁ、私。縄文人さま、失敬<m(__)m>




多賀城市の汚水蓋
(壺碑の文字が)


JR国府多賀城駅


仙台駅


10/07/06 シンシア・シティ仙台
















おぉ、仙台だ~♪
我らの宿は、駅から徒歩10分のウィークリーマンション。中心街なので、迷うことなく辿りつく事が出来た。左の写真、黄色い垂れ幕の一番下の字「ン」のあたりが、私達の部屋。部屋に入ると、その「ン」が目隠しになって、目障り。2人なので、比較的大きな部屋を予約したのだが、構造上角部屋だったみたい。

建物は古いし、ベランダは垂れ幕が降りているし、予想外なことばかりでがっかり。その上、風呂が深夜電力で沸かしてタンクする様式なので、一日の使用可能量に制限があるそうな。なんだかなぁ。しかし、交通至便は捨てがたいから、まぁ、いいか。

後日譚
3日後、市内観光から帰ったツレが風呂に入ろうとするも、一滴のお湯も出ない。朝は水しか使っていないので、使いすぎと言うことはあり得ないのに。結局、管理会社からの依頼で駆け付けた東北電力の係員が一部部品を交換して修理完了したのは、2時間以上後。しかも、なおったとは言え、深夜電力で湯を沸かすシステムなので、その日は風呂には入れない。そのため、他の階の部屋まで行って風呂に入ってきた。何だか、よそへもらい湯に行くような不便さだ。

さらに、チェックアウトのために下の事務所へ行くと、私とツレをその場に待たせて事務員が部屋の点検に行った。戻って言うには「ピロケースを1枚使っているので、洗濯代の追加料金@250円いただきます。」・・・。そこで、はたと思い至った。寝具の上にクリーニング袋に入ったものが数点あがっていて、それがシーツなのかなんなのかビニールの袋ごしには判別できない。一つを開いてみると、どうやら枕カバーらしい。で、枕に装着した。ところが、事務員が言うには、最初の状態ですでに一枚カバーがかかっていたのだと。うぅん、そうかなぁ。あれがカバーだったの?私は枕本体だと思ったゾ。しかも、ツレと私のシーツや枕カバー、掛け布団カバーがそれぞれに色柄ばらばら。これでは、袋を開けないで中身を判断できるはずがない。私たちの契約は2人。ならば、2人分のシーツやカバーがあれば充分ではないか。一言の説明もなく人数分以上に置くのは、洗い替えという意味合いなのか。ならば、袋の上に「シーツ」とかの表記が必要だろう。これでは、間違いを誘っている様なもの。

250円という金額以上に、嫌な後味が残った。


10/07/06 そばの神田



冷やし野菜天そば@380円
ネグラでひと休みした後、ツレと2人で近所の探索へ。と、近くの商店街を歩いていたら、いい匂いが当方のスキっ腹をくすぐる。これは、鰹節の匂いだ!!!その匂いの出所を手繰れば「そばの神田」という、仙台では有名な立ち喰い蕎麦の店。気がつけば、店の中へ吸い込まれていた。

オーダーしたのは「冷やし野菜天そば」。冷やしは、麺の上に冷たいつゆが浸る程度にかけられた涼しい夏メニュー。何といっても、このダシのきいたつゆが旨い。しかも、こんなに安価なのに、天かすが無料というのも嬉しい。

食べ始めたら、常連さんらしき客が何人も入れ替わり立ち替わりでやってきた。会社帰りのサラリーマン、買い物途中の主婦、観光中の旅行者。ふらりとやってきて、それぞれに小腹を満たして去っていく。鰹節のきいたつゆと安い値段と気安い雰囲気と・・・・。敷居の低さが最大の魅力かな。


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3日目  市内 & 青葉城址 & 楽天球場  編      今日の歩数=35,158歩

10/07/07 三瀧山不動院(街中のお寺さん)











クリスロード商店街の中にある入口


仲見世の奥が不動院


ご本尊の前には千円札が!


仙台四郎
いやぁ、びっくらこいたぁ~。基、びっくりしましたのよ。

ここは仙台の目抜き通り・中央通りのほぼ中間に位置するクリスロード商店街。店と店の間の小さな間口が、三瀧山不動院というお寺の入り口だったなんて・・・。まさに「街中のお寺さん」。仙台市の商売繁盛・家内安全を祈願する寺院なのだそうな。

「何屋さん?」と見まごう様なスペースを中へ入っていくと、両脇に数件の仲見世があり、その奥が三瀧不動院になっている。本尊は階段の上。熱心に長い時間手を合わせている人がいたので、そちらのお参りは後回しにして二階へと上がった。

と、途中で「仙台四郎」が・・・あった。仙台四郎は、仙台に実在した人物で、彼がふらりと立ち寄る店は必ず繁盛したという。そのため、商売の神様として祭られているのだとか。

ビルの谷間なので、二階は暗くて狭い。しかし、外の雑踏が嘘の様な静けさの中、どこか気持ちがほっと落ち着く空気が漂う。ご本尊サマをお参りして、階下へ降りて見れば、こちらの祭壇にはさっきの人があげた賽銭らしい千円札が一枚何気に置かれていた。商売繁盛を願ったのかな?それとも家内安全の方かな?

場所柄なのか、信心のせいなのかは定かではないが、絶え間なく参詣客が訪れる。こんな身近な日々の生活圏に、さりげなくお寺がある。買い物のついでにひょいと立ち寄って願い事をしたり、自分の心と向きあったり。市民の生活の中に浸透しているお寺。信じる宗教を持たない私でも、なんだか、とってもほんわかした気分にさせられた。


10/07/07 阿部蒲鉾店・本店

店先の一角がひょうたん揚げコーナー

ひょうたん揚げ@150円
「犬も歩けば棒に当たる。」私が歩けば・・・・。

クリスロード商店街を歩いていたら、はたと足がとまった。「こ、こ、これだぁ~。」。偶然にも通りかかったのは、駅で貰ったガイド冊子に載っていた「仙台の食べ歩き定番・ひょうたん揚げ」の店。おぉ、何と言うラッキーな♪

「ひょうたん揚げ」は、かまぼこにホットケーキの生地をくぐらせて油で揚げたもの。二個を串に刺してあるところが「ひょうたん」に似ているので「ひょうたん揚げ」と命名されたようだ。さてと、お味の方は~、ふむふむ、甘い!これは、ドーナツ系列のおやつナリ。


10/07/07 kuniwake(牛タン定食)





牛タン定食@1350円
さて、仙台1日目は、まずこれを食べにゃあ始まるめぇ~~~。その名「牛タン定食」。
仙台と言えば、やっぱ、これでしょ♪しかし、地理不案内の私と相棒、どこの店がいいのやら、さっぱり見当がつかないw 「杜の都・仙台」を象徴する並木道の一つ定禅寺通を徘徊してみた。一歩裏小路へ踏み入ると、居酒屋や飲食店がひしめきあい、どことなく札幌・薄野を彷彿とさせる通りである。と、目の前に現れた一軒の牛タン店。おぉ、ここなら地元の人たちが日頃食べている牛タンにありつけそうだ。

「牛タン定食」は、①麦飯②テールスープ③牛タン&白菜・胡瓜の塩漬けと青唐辛子の味噌漬けの盛り合わせが定番。ここでは、それに磨り下ろした「とろろ芋」がついてきた。これは、まさか牛タンにかけるのが仙台の通の食べ方!なんて事はないだろうなぁ・・・。「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥。」。店員さんに質問したら、麦飯にかけて食べるのだと。なぁんだ、普通じゃぁないの。ちょっと、考えすぎちゃったかもwww

仙台の牛タンは、店によって薄切りあり厚切りあり!らしい。この店は厚切り。それにしても、この厚さでこの柔らかさはどんな秘策があるのだろう。これが牛の舌とは、とても思えない!


10/07/07 瑞鳳殿








瑞宝殿
この下に伊達政宗が眠る(入館料@550円)


伊達家菩提寺の瑞宝寺
ここから石段を登って瑞宝殿へ


石段は伊達家の禄高にちなみ62段
参道脇の紫陽花が花盛り
瑞鳳殿は、伊達政宗が眠る霊廟。日光東照宮に並ぶ荘厳な建築として昭和6年国宝に指定されるも、昭和20年の戦災にて焼失。現在の建物は昭和54年に再建されたもの。2代忠宗、3代綱宗の霊廟もまた、瑞宝殿に隣接して建つ。

霊屋の前に立つと、厳粛な思いが湧きたってきた。伊達政宗という歴史上の人物は、現代人にとって活字でのみ知りうる人。しかし、この地下に政宗が眠っている。彼が血肉を持つ人間として、確かにこの地に存在していた事実を、改めて思う。

政宗は、ホトトギスの鳴き声とその大自然をいたく愛し「自らの死後はこの地・経ヶ峯に眠りたい。」との遺言を残した。そうして建てられたのが、この瑞鳳殿である。今日もホトトギスが鳴いている。「生まれるのが、もう少し早ければ・・・。」「北の果て東北ではなくて、もう少し中央に生まれていたら、天下は政宗の手に落ちていたかもしれない。」などなど、知略の人・政宗に馳せる歴史ファンの夢は絶えない。

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と言った織田信長。
「鳴かぬなら鳴かせてみしょうホトトギス」の豊臣秀吉。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の徳川家康。
はてさて、伊達政宗はホトトギスを前に何を思うのか。しばし、歴史のロマンにひたってみる。
瑞鳳殿資料館






瑞鳳殿公式パンフより
霊屋再建の発掘調査により、藩主三代の完全な遺骨と多くの副葬品が発見された。それを基に復元された復元容貌像の展示は、なかなかに興味深い。

①初代・伊達政宗 ②二代・伊達忠宗 ③三代・伊達綱宗
身長・159cm  血液型・B型 身長・165cm  血液型A型 身長・155cm  血液型A型
◆後頭部が張り出し、前頭部が膨らんだ形。寛永13年江戸桜田屋敷にて没。享年70歳。死因・食道噴門癌および腹膜炎。 ◆政宗に比べ短頭で側頭部に膨らみがある。万冶元年仙台城にて没。享年60歳。死因・大腸の病気。 ◆三藩主の中で最も膨らみのある顔立ち。正徳元年、江戸品川屋敷にて没。享年72歳。死因・下顎歯肉癌。
                                         公式パンフより

さすが、血というモノは凄い!お三人、とてもよく似ていて、どなたがどなたやらwww。にしても、等身大で目の前にすっくと立ちはだかる復元像は、説得力いっぱい!!

江戸初期、日本三大お家騒動の一つ「伊達騒動」が起きた。藩主は三代・綱宗。その結果、21歳で将軍職を退くこととなるのだが、もしも外に敵がいて抗争を繰り返していたなら、家の中でドタバタが起きる余裕もないはず。何はともあれ、伊達三代の死因が揃って病死という処をみても、政宗以降は対外的には大きな戦闘がない静かな日々が流れていただろうことを如実に物語る。 


10/07/07 青葉城址(仙台城址)


魯迅の碑


仙台城の石垣




青葉城址入口


伊達政宗騎馬像




騎馬像近くから臨む仙台の街並
仙台城(青葉城)は、仙台藩62万石の居城で1601年に伊達政宗により築城された。東と南を断崖が固める天然の城塞は、将軍・徳川家康の警戒を避けるために、あえて天守閣 を設けなかったとも言われている。今では、復元された隅櫓(すみやぐ ら)と石垣が残るのみ。

天守台には政宗の騎馬像が立ち、そこからは仙台の街並みが一望できる。以前訪れた時には、確かこの騎馬像だけが凛と佇んでいた。しかし、今、本丸跡は土産物屋と神社がせわしなく立ち並び、どうみても政宗にはそぐわない。残念。


閑話「青葉城址のカラス」
青葉城址から仙台市内を一望しての帰り道、ツレの目の前に一羽のカラスが舞い降りた。 と、ツレがカラスに言った。「お前が頑張らないから、サッカー負けたんだゾ。頑張らなきゃぁ駄目だよ。」折からのワールドカップのシンボルマークは、三本足の八咫烏(ヤタカラス)。 普通のカラスに、ハッパをかけてもなぁppp。 飛んだ八つ当たり。

後日譚
以前仙台で暮らしたことのある知人の話によると、青葉城址近くのカラスは車に胡桃を轢かせて割って食べるので有名なのだとか。・・・ただ、シェイクの入れ物を轢かせようとしてたこともあったらしい。うんん、頭がいいんだか悪いんだかwww


10/07/07 楽天球場










楽天球場



外野から


ビール@650円
仙台市内観光1日目はあっという間に過ぎ、気がつけばすでに夕方。本日の観光にピリオドを打って、どこかで夕飯でも食べようか?それとも弁当でも買ってMNへ帰ろうか?その時、ハタと閃いた。「そうだ。ここは仙台。プロ野球・楽天の本拠地じゃぁないの。」しかも、本日はナイトゲームがある!となれば、これは見ない手はない。何という幸運!♪

楽天球場は、仙台駅からJR仙石線で一駅目の宮城野原駅で降り、5分程歩いた所にある。仙台駅から歩いても、30分弱でつけるのだとか。この交通の便の良さは、特筆モノ!!

球場前の広場はまるでカーニバルの様で、そこに立っているだけで胸が躍る。ここ楽天球場は、球場の中でも最も小さい!と言うのは、つとに有名。なら、外野でも充分見えるかも?という訳で、球場の外周に沿って歩く。外野への入り口が近づく程に飲食の売店が充実し、飲食スペースもゆったりと設置されている。中で繰り広げられているゲームをテレビ画面で見ながら、ビールを傾ける人達。どことなく大らかな空気が漂っていた。

球場は、確かに小さめ。しかし、それゆえに選手の息遣い、観客の反応が直で伝わってくる。このコンパクトさが、替え難い魅力なのだとつくづく思う。加えて近隣住民への配慮から鳴りモノが禁止なので、他球場の様な耳をつんざく大音量がなく、ゲームに集中できるのも嬉しい。かくして、この球場にすっかり魅せられてしまった、わたし♪


閑話(マー君)
ゲーム開始前の球場の広場。多方向から来たファンが、球場へと吸い込まれていく。ちょうど、私の前を歩いていたのは、仕事帰りの二人のおじさま。これからゲームを見る高揚感いっぱい。

   A 「そういえば、マー君、怪我で今日は出ないんだな。」
   B 「うん、選手登録抹消だな。」
   A 「毎朝、カレーくってるんだっぺ。」
   B 「んだ。」
   A 「あのCMで億の金をもらってるんだってな。」
   B 「そだな。」
   A 「俺の娘とマー君、エッチしてくんないかなぁ。出来ちゃった婚でも、俺は全然OKなんだけどな。」
   B 「おれんとこの娘も!」

マー君とは、無論 楽天の田中将大投手のこと。そりゃぁ、おじさまは娘が玉の輿に乗れりゃぁ万歳だろうけど、マー君が何て言うか・・・。先に回り込んで、おじさまのお顔を拝見したい衝動にかられたが、ぐっと抑えたppp





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4日目   松島 編      今日の歩数=13,660歩

10/07/08 マンガ列車・マンガッタンライナー







松島海岸駅







さて、今日はツレが大好きな電車に乗って、ちょっとだけ遠出と決め込んだ。旅で乗る電車は、(あ、北海道では汽車というのだけれど)やはり二人掛けシート形式で車窓の景色を楽しみたいもの!が、しかし、仙台では通勤列車の用途が多いせいか、ほとんどが車体に沿ってロングシートを配したものだった。「これじゃぁ、乗客の様子しか見えないでしょうぅぅww」。

松島海岸駅に到着。ホームに降り立ってきょろきょろと辺りを見回しているうちに、次の列車が入ってきた。見るともなく視線を向ければ、列車の前後と腹にダイナミックに描かれた漫画!な、な、なんだ、こりゃぁ~~~~。

マンガ列車・マンガッタンライナー
JR仙石線(せんせきせん)は、台市から巻市を結ぶ路線。この路線には、石ノ森章太郎のキャラクターを使ったラッピング車両が走っている。人呼んでマンガ列車、あるいはマンガッタンライナー。
これは石巻市のイメージアップをはかる「石巻マンガランド構想」の一環。石巻市には、石ノ森章太郎の作品を数多く展示した「石ノ森萬画館」がある。

「次はどんな漫画の列車が来るのだろう?」と思えば、ホームを去りがたい。


10/07/08 松島








松島


遊覧船・第三仁王丸


仁王島


海苔の養殖も
日本三景の一つ・「松島」へ来たのだもの、まずは、遊覧船で島めぐりをするのが常道。駅を出た所にある遊覧船発券所のおじさんに急かされて、船着き場へ一目散に走る。出港に、間にあってくりぃぃ。・・・おぉ、セーフ♪

この遊覧船・仁王丸は、松島を出て島をへめぐり松島へ戻るコース(@1400円)。朝早いせいか、客足はまばらだった。

松島は、仁王島など大小の奇岩からなる260余りの島々。四季折々の景色の美しさは、芭蕉にして言葉が出なかったほど。不思議な形の島が次から次へと視界に現れては消えていく。季節や時間により全く違う顔を見せると言われている、この風景。これぞ、まさしく大自然が作り出したアート!

気になることがある。
このあたりの地層は、波に洗われると容易に浸食されやすいのだとか。長い時の経過により、景色も少しづつ変化してきているそうだ。すると、芭蕉が感歎した松島の景色は、今とはちょっと違っていたのやもしれぬ。ならば、未来の松島はどう変わっていくのだろうか。


10/07/08 瑞巌寺
五大堂

五大堂


干支を彫り込んだ欄間
海岸沿いに突き出た島を標を辿って歩くこと数分。赤い橋を二つ程渡った所に厳と建つ建物が、瑞巌寺守護のための堂宇・五大堂。

五大堂は、伊達政宗が「関ヶ原の戦い」後に、紀州和歌山 から名工を呼び寄せて造らせたもの。 政宗が五大堂に必勝祈願をすると、必ず勝ち戦になったと言う伝説が残る。本堂は3間4方、宝形造りの本瓦白木造りで周り縁を巡らせ、その欄間には太陽の方向と一致させてその時点の時刻を表す十二支が彫り込まれている。左写真が私の干支。え~と、何だか解るかなぁ~。ツレは家族の干支をカメラにおさめるために、堂の周りをぐるっと一回りしていた。

しかし、五大堂の歴史は、政宗の逸話より去ること700年前にさかのぼる。平安時代初期の807年 坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、828年に慈覚大師が瑞巌寺の前身である松島寺を建てて、ここに五大明王を祀り五大堂と呼ぶようになったのだそうな。

先に記した五大堂までの橋。これを「すかし橋」と呼ぶ。透かすまでもなく、橋の木組の間を見やれば足元に海が見える。江戸中期頃は、横に角材を渡しただけだったとか。今は縦に橋板が二枚渡されているが、どうかすると橋板を踏み外しそうで、それでも怖い!何故に簡単な木組の橋なのかと言えば、「五大堂参詣のおり、身も心も乱れのないように気を引き締めるように!」という訓戒の意味がこめられているとか。ちなみに、当時は女人禁制だったらしい。確かに!着物姿でこの橋を渡るのは、ちょっと躊躇われる・・・かもしれない。
瑞巌寺











正門&庫裏




宝物館(清龍殿)


鰻塚




参道
1609年(慶長14)伊達政宗が5年をかけて完成させた。桃山様式の粋をつくした臨済宗の禅寺で、代代伊達家の菩提寺である。本堂・御成門、庫裡・回廊は国宝に指定され、境内にある宝物館では、伊達家に関する資料を展示中。ただ、今は本堂が改修中で拝観が出来なかった。普段は解放していない所が見られて拝観料@700円って、どこのこと?又、松島湾で捕れた鰻の供養のために、地元民の寄付によって鰻塚が建立されている。

中門から入った庭には、二本の大きな梅の木があった。これが「臥龍梅」と呼ばれる白梅と紅梅。伊達政宗が豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に兜を鉢植えにして朝鮮から持ち帰ったと言われる梅である。梅の枝ぶりがまるで龍が臥せた様に見えることから、そう名付けられた。梅の季節は既に過ぎ、花の盛りを目にすることが出来なかったのが、残念。

「瑞巌寺の花」として、もう一つ名が知られているものがある。松島に自生する稀少蘭「石斛」(セッコク)。他の木に着生して生きていくという、ちゃっかりモン。「どこ?どこ?」と中門前できょろきょろ見回しても、それらしいモノは見当たらず。そこへ、間のよいことに通りかかってくれた警備の方を引き留めて、尋ねてみた。「あ、あの木の枝に大きな丸い球みたいのが二つくっついてるでしょ、あれがセッコク。」www花の季節は春。今は葉っぱだけで、木の葉と同じ緑色のグリーンボール状態なために、目を凝らして見なければ解らない。お寺の門前で「セッコク」の鉢植えが販売されていた。なんでも、色々と薬効があるらしい。「買って帰ろうかなぁ。」と心が動く。しかし、この花は北限がここ瑞巌寺なのだ聞いて、諦めた。
洞窟群


松島は古来「奥州の高野」と呼ばれ、浄土往生を祈念する神聖な霊場であった。
立札どおり、あたりに不思議な霊気が漂う「洞窟群」。

この洞窟群は、表参道の東側に位置し、元来は納骨や供養のためにつくられた施設である。造営は鎌倉時代。巨大な岩盤の下部分を横長にくりぬいて、そこに観音像が配されている。これほどの面積をどの様にして、どの位の時間をかけて掘り上げたのか。もしかすると、自然風化の産物だろうか。いづれにせよ、圧倒的な風景を前にして崇高な気持ちが湧きあがってくる。

強い日差しのなか、地元の中学生集団が真剣な眼差しを観音像に向けていた。。


10/07/08 阿部蒲鉾店・松島寺町小路店


手焼き蒲鉾@200円
気がつけば、お昼もまだ食べていない。ま、取りあえず、食べ物を求めつつ駅方面へと戻ってみよう。道中で見つけたのが、このお店。

そうそう。ここは、先日仙ブラの折に見つけたあの「ひょうたん揚げ」の店の松島支店。奇麗な建物と空腹に誘われて・・・入ってみた!

ゆったりとした店内に足を踏み入れると、3人の小学生がテーブル前で何やら忙しそうだ。実はここは店内で買った生かまぼこを自分で焼く「笹かま手焼き処」。早速 我らも挑戦してみることにして蒲鉾を購入したら、店員さんが小学生たちの隣の炉にセッティングしてくれた。彼らは山形・出羽小学校の生徒で、只今修学旅行中とのこと。何度もひっくり返すうちに、表皮がぷくっと膨れ徐々に焦げ目がついてきた。「うぅぅん、この程度の焼き具合でいいのかなぁ~。」と彼らを見やれば、迷う風もなく充分に焦げ目がついた頃合いを見定めて食べ始めたwww 「・・・通だなぁ~。」にしても、小学生が手焼き蒲鉾とは、乙♪





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5日目   塩釜 編      今日の歩数=15,815歩

今日は、塩釜へ!仲卸市場へ行く途中には、こんなお店があった。さすが、魚市場のおひざ元!!!


ハカリ屋さん

刃物屋さん


10/07/09 塩釜水産物仲卸市場












市場内


生の岩牡蠣@300円
JR東塩釜駅から、今日もてくてくと歩く。

海岸沿いに歩くこと30分程で目的の市場にたどり着いた。ここは、体育館の様な広大な建物の中に、鮮魚介類・塩干加工品・凍魚・冷凍食品・珍味など360軒の店がひしめいている。塩釜港といえば、まずマグロ。それだけに、マグロ専門の店だけでも50軒以上あるのだとか。

キョロキョロと見回しながら中へ踏み入ると「さぁ、食べてみな。旨いから。」とマグロ店から声が飛んできた。その手に握られた包丁からは、次々にマグロの切り身が作りだされている。どうやら試食させてくれるらしい。ツレが中落ちの切り身をスルッと口へ運び、唸った。「う、うまい~~~。」店主は、間髪を入れず「当たり前だべや。さ、もっと喰え。」さらに、マグロの皮の様なぴらっとしたものを切って勧めてくれる。これが、又 えも言われずウマイ♪すっかり舌を籠絡された私とツレ。試食と言わず、出来るならお持ち帰りがしたい程!仙台に住んでいたら、こんなに美味しいマグロが手軽で安価に食べられるのか。

マグロに後髪も前髪も引っ掴まれつつも、心はすぐに次のモノの元へ。生の岩牡蠣。大きくてぷっくりとした身の厚さが、胃の腑を刺激する。ここで食べることが出来るというので、早速買ってみた。醤油をさっとかけてレモン汁をたらす。うぅぅ、堪らん!あまりの美味しさに悶絶しそう!!!さしずめ、芭蕉ならこうだ。「岩牡蠣や、ああ岩牡蠣や、岩牡蠣や!」





東塩釜駅



港内



本塩釜

駅前のポスト上にはマグロ



七ケ浜町民バス・ぐるりんこ


10/07/09 塩釜まぐろ直売食堂











開店前


店内には釣針の展示


本まぐろ炙りヅケ丼@1000円
今日の昼は勿論まぐろ!だって、ここは塩釜だものぉ~♪

東塩釜駅から海沿いに歩いて、本塩釜駅へ。そこから徒歩数分の所に、目当ての「塩釜まぐろ直売食堂」があった。開店にはまだ15分程ある。市内を徘徊して時間を潰そうかとも思ったが、目玉メニューの「本まぐろ炙りヅケ丼」は一日限定10食なのだと。ならば、開店までここで待つしかあるめぇ。とあれこれ思っていたら、あっという間に後ろに列が出来た。

店内は、テーブル席3(4人掛け)、カウンター席7。新しくて小奇麗なお店、いや食堂。入口には小さな販売コーナーがあり、マグロのブロックが格安で販売されていた。

さて、希望の「本まぐろ炙りヅケ丼」を無事にオーダー出来たぞ。とほっとしたら、背中で他の客たちが立て続けに注文し、あっという間に10食になってしまった。ジャストなタイミングで来店したようだ♪

まぐろを一口頬張る。あぁ、なんてぇこった、この旨さ。口の中でマグロがふわっととろけるようだ!親方特製の醤油が、その旨さを一層引き出してくれる。こんなことなら、大盛りにすればよかったかなぁ・・・。


10/07/09 塩釜神社





塩釜神社


なで牛


御釜神社
奈良時代に、国府と鎮守府を兼ねてつくられた多賀城の精神的支えとなって信仰されたのがこの塩釜神社。安産、交通安全、商売繁盛に後利益があると言われている。

←の写真をご覧あれ。塩釜神社のこの階段は202段。いやぁ、その傾斜の急なことったらぁ・・・。お祭りの折には一㌧もある神輿をこの階段で下すのだとか。息も絶え絶え、這いつくばるように階段を上がっていたら、白いシャツ姿のビジネスマン風の中年男性が上から下りてきた。汗みずくなのは言うに及ばず。写真上の小さい点がその御方。一方、私はやっとの思いで這う様に上へたどり着き、ほっとひと息。と、そこへ何と先程の御仁が上がってきて、上気したピンクの顔で神妙に手を合わせ、再び汗をふっ切る様に又降りて行った。一体、何往復しているのだろう。何かの願掛けだろうか・・・。どんな願いかは知らないけれど、神様、どうか叶えてあげて下さいまし。

境内には、神明社・八幡社・住吉社・稲荷社がある。さらに、市内本町にはご祭神が塩を作ることを教えたと伝わる御釜神社・牛石藤鞭社が!塩釜という地名の所以が、その文字のままに塩だったと知って、感慨もひとしお。


10/07/09 おさんこ茶屋









づんだ餅@460円
本塩釜の駅前から、浦霞で有名な佐浦酒造の前を通り、まっすぐ行った所にあるのが「おさんこ茶屋」。私とツレは、逆に塩釜神社から駅へ向かう途中でこの店をみつけた。仙台に来たからには美味しい「づんだ餅」を食べよう。と機会を狙っていた2人の目の前に、まるでお約束の様に現れたのが、ここ「おさんこ茶屋」。しっとりとしただんご屋さん!という外観がいい。

と言う訳で、予備知識がないままに訪れた。したがって、ここが創業150年の老舗で、土日は昼を過ぎると売り切れてしまう程の超人気店であることなどは、知る由もがな。

店内は、静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。メニューは団子と甘酒のみ。毎朝うるち米を竈で炊きあげて、団子をつくっているのだとか。団子も美味しそうで、餅か団子かで迷う。しかし・・・ここはやっぱり初志貫徹で「づんだ餅」を食べない事には後々の後悔になりそうだ。程なく運ばれてきたそれは、ボリューム満点。早速食べて見た。枝豆の粒粒が程良く舌に残る。おぉ~、この食感!♪芸術だ!!!





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6日目   山寺(立石寺) & 作並温泉 編      今日の歩数=18,049歩

10/07/10 山寺(立石寺)




山寺駅構内にて


山寺駅


駅舎内


駅を背にした山寺の山景
目指すはあの山のてっぺんあたり
ここが、有名な山寺。山形を代表する名刹にして、死者の魂が集まる霊山として名高い。暑くてへばり気味の私が、駅に降り立った途端に、ひんやりとした冷気を感じた。山の木々に陽射しを遮られているせいか、はたまた・・・。

駅舎内の一角にはお休み処が設けられ、短冊が置かれていた。ここにそれぞれの思いを書いて箱に入れていけば、その作品の中からピックアップして、駅舎内に掲示されるのだとか。これが、回文。ん?回文って、何だっけ?
日枝神社&立石寺・本堂




日枝神社





立石寺本堂


招福布袋尊


亀の甲石




念仏堂
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」(奥の細道・松尾芭蕉)

観光客が沢山いるのに、なぜか静かだ。ここは立石寺。正式名は『宝珠山立石寺』。平安時代前期、第56代清和天皇の命により、比叡山・天台宗の高僧の慈覚大師により開山された霊場。

入口を入ると、まずは日枝神社が待ち構えていた。そうそう、ここ山寺は中に多くの寺院が立ち並んでいるのだ。その上、その体をなでると願い事が叶う「招福布袋尊」、小銭に名前を書いて傍に置けば願いが叶う「亀の甲石」、念じながら綱を一回りさせるとコロリと往生できる「ころり往生阿弥陀如来」(念仏堂)などなど、満願スペースが盛りだくさん。

←笑顔眩しい看板娘?&力こんにゃく@100円。
  
境内のあちこちで売られているのが「山形名物・力こんにゃく」。串刺しになっているので、歩きながらでも食べる事が出来る。「これは、是非 食べてみたい。」。で、「どの店で買おうか?」と思つつ歩いていたら、控え目な微笑みに出会った。それが、この方。その素朴な笑顔に魅かれて、購入を即決。特別によく味がしみ込んだこんにゃくを選んでくれたせいもあり、うまかぁ~。 
登山口~




登山口


弥陀洞(みだほら)




仁王門




大仏殿&奥の院





















三重の塔(重要文化財)



岩肌に開いてる穴はお墓



赤い小さなお堂は「経蔵」
その下に開山の遺骨がある



納経堂&開山堂
登山口で入場料@300円を払い、いざ入山。立石寺には、40余の建物があるそうな。点在するそれらの建物を木立の中から垣間見て、永永と続く800余段の階段を登りつめた頂上に、奥の院がある。

石段をのぼると程なく姥堂(うばどう)についた。ついたは着いたのだか、あんまり小汚い小屋(失敬)だったために、中を見過ごしてしまった。残念。 堂の中では恐ろしい形相の姥が2人、こちらを睨み据えているらしい。この奪衣婆(だつえば)に着衣を剥がれた気持ちになって、この世のしがらみを捨てる・・・ここから上は、極楽。

さらに上へ行くと、阿弥陀洞があった。長い歳月で風化した岩に掘ったという阿弥陀像。阿弥陀の姿を見る事が出来たら幸せになれるそうな。うぅぅ、だめだぁw

やっと仁王門!!!仁王門は立石寺を象徴する建造物のひとつ。運慶の弟子たちの手によるケヤキ造りの仁王尊像が、左右に配されている。後ろの閻魔王がこの門を通る人たちの過去のおこないを記録するという、云わばあの世とこの世の関所。邪心をもつ者はここで除けられるのだとか。閻魔王に排除されることなく無事に仁王門を通過した。もう、頂上は目の前。

さて、ここは立石寺参道の最終地点・奥の院。中には慈覚大師が中国で修業中に所持していた釈迦如来と多宝如来が本尊として祀られているそうだ。実はここには「ムサカリ絵馬」が奉納されているのだ。それを知ったのは、旅も終わり帰宅した後。まさに後のまつり。見たかった!!!

「奥の院には、いろんな絵馬が納められている。結婚式の場面、花嫁・婿姿の写真画像など。これらは不幸にして結婚前に亡くなられた若者(男、女)の霊を弔い、せめてあの世で好きな人と添せてやりたいと親の願いからねんごろに供養してもらい、仏と共に親も満足できる。この絵馬をムサカリ(結婚の方言)絵馬とも云われ、地方の信仰で古くから伝わっている風習です。」(立石寺広報より)

「ムサカリ絵馬」の風習は山形地方独自のもので、今も奉納する親たちが絶えないという。生きていても死んでいても、子の幸せを願う親心が切ない。

このあたり、どちらを見ても断崖絶壁。しかも、建物がその上に建っている。胸に迫りくる圧巻!まるで、一筋の絵巻物を広げたようだ。

山頂に建つ舞台づくりの五大堂にのぼってみる。上から眺める山寺一帯の風景は、これぞ山寺!俗世間とは一線を画した別世界がここにあった。下界の暑さは何だったのか。頬をなでる風が心地よい。
山寺の地に身を置けば、岩山が織りなす荘厳にして神聖な世界にすっぽりと取りこまれた様な気がする。そこに棲むのは死者の魂。

ここは、今なお修行僧が駆け巡る修行の場でもある。


10/07/10 神の湯・作並ホテル




















ホーム側からみた作並駅













作並駅正面・ホテルのお迎えバスが沢山。




温泉街まではこんな道が続く




作並ホテル
名だたる東北の温泉地を幾つも抱き込む街・仙台。旅の余禄に温泉三昧も魅力的!との提案に、温泉好きのツレは一も二もなく賛同した。

今日は、山寺からの帰り道に当たる作並温泉へ。取りあえず、駅に降り立ってみる。なんと、駅前にはホテルの送迎バスが数珠つなぎ。中には日帰り入浴が出来るホテルのものも幾つかあるにはあるが、総じて値段の安い所は送迎バスのサービスがない。さてと、どこのホテルに決めようか。と事前に入手したパンフを広げて見る。「土井晩翠が愛した温泉・作並ホテル」。これこれ、ここに決めた。

作並ホテルは、日帰り入浴@600円と格安。よって、送迎バスがない。タクシーも見当たらないので、歩くことにした。薄暗い木々の間の道を、てくてくと歩く。にしても、建物の影も見えない。不安がよぎる。とその時、一軒のホテルらしき建物が視界に飛び込んできた。おぉ、やっと近くまできたようだ。で、作並ホテルは、どこ?他のホテルが見当たらないのは、何故?とここでやっと気がついた。私は、てっきり温泉街へ行けばホテルが隣接しているのだと思い込んでいたが、どうやら、作並温泉というのは温泉ホテルが点在しているらしい。駅から歩く事50分。やっと辿り着いた「作並ホテル」は、作並温泉の中でももっとも奥だった。

作並ホテルは、「岩松旅館」と「一の坊」という大型旅館に挟まれてひっそりと建つ、創業1854年の老舗旅館である。日帰り入浴は15時までだと言うのに、すでに時計は14時を回っていた。いそげ、急げ。

ちらとロビーを視界に入れつつ、浴場へと直行。ととと、脱衣籠に衣類が!こんな人の気配のない所だから、きっと誰もいないだろうと思い込んでいただけに、ビックリ。そこへツレが女湯の入り口まで追いかけてきた。「ロッカーがないみたいだから、貴重品をフロントへ預けよう。」この見知らぬ地で、身の回り品をなくしては一大事。うん、そうしよう。

待望の浴室に足を踏み入れる。と入口近くで髪を洗っていた若い女性二人が「こんにちは。」と声をかけてきた。若いのに珍しい礼儀正しさだこと。いや、もしかして、従業員か?うらうら思いつつ洗い場でシャワーをひねるも、一滴も出やしない。ど、ど、どうなってるんだぁ。視線は、思わず隣でシャーシャーとシャワーを使っている彼女たちへ。それと気づいた1人が「あ、出ませんか?」と隣へ来て調整してくれた。どうやら、彼女たちも試行錯誤したらしい。シャワーが無事に出た後「気がつかなくてすみませんでした。どうぞ。」と風呂椅子を私に勧めた。なんて気立てのいい、躾の行き届いた娘さんたちなんだろう。私とて子を持つ身、我家の子たちは人様にこんな風に接することが出来ているだろうか。

さて、お風呂。ここは自家源泉で毎分110リットル、一日にドラム缶800本の源泉が絶え間なく掛け流しになっているのだとか。源泉成分の真白い塊が源泉口にへばりついていた。これぞ、美肌の元かも。風呂上がりにはす~っと汗がひいて、それ以降の暑さに対して衣類にべたつく様な汗が出てこないのは、不思議だ。これが、神の湯?

風呂上がり、相棒を待ちつつロビーをふらふらしていた。と言っても決して広いロビーではない。そもそも、建物自体が昔 修学旅行で泊まったホテルといった風情なのだ。壁の展示を眺めていたら、山寺駅にあった回文がここにもあった。回文とは、上から読んでも下から読んでも同字・同文になる詞句。「竹やぶ焼けた」「肉の多い大の国」「山本山」などなど。
最優秀賞
もどれない恋の旅路よ 燃ゆる夜 湯もよし 飛騨の憩いなれども    荒井正生
ちびっ子賞
誰ラブレター、誰ふられた?                           瀬上詩織
お見事!!!

風呂上がりの上気した顔で、ツレがロビーに現れた。開口一番「風呂に行ったら3人の大学生が入っていて、いやぁ、マナーのいい人たちだった。」その話は、こうだ。ツレが風呂場に入って行くと揃って挨拶の声掛けをしてくれ、シャワーの湯が人にはねないかと気遣い、体を洗い終わって湯船に入る時には自分の使った桶を片づける。風呂上がり、脱衣所へ行く前にはきちんと体の水滴をぬぐって出ていく。3人が3人ともそうだったのだと。当たり前のことだが、大人でも出来ない人が多い。と感心していたら、玄関で声がする。「どうも有難うございました。いい湯でした。」と件の学生たち。「さくらんぼ潰れないといいね。気をつけてね。」と旅館の従業員さんが返す。その声に送られて、5人の大学生がにこやかに出発した。成程、私とツレが女湯と男湯で出会った学生は一緒に来た仲間だったのか。「お土産にさくらんぼを買った。」という会話を、湯あみの合間に旅館の人と交わしていたのだろう。

一陣の風の如く彼らは去り、後には爽やかな余韻が残った。


10/07/10 さん竹






「夕飯は何にする?」と、聞くだけ野暮というもの。だってツレは「三食、蕎麦でもいい。」と言うに決まっているのだモン。

今夜の狙いは、老舗の蕎麦屋。地図を片手に探すのは、創業100年の「さん竹」という店。そこは一番町のアーケード街・三越の前にあった。

店名の由来は「竹には邪心がなく、強靭で雪折れもない。竹に雀の仙台伊達藩の紋所にも拠って、お客・店主・従業員の三位一体で店が繁盛する様に!」とのこと。

夕飯にはちょっと早めの時間のせいか、日頃は混んでいるという1F席にも楽に陣取る事が出来た。店内は、いかにも老舗蕎麦店というしっとりとした江戸の風が漂う。ちょっと前には、札幌・狸小路にもこういう店があったんだよなぁ。

注文したのは「大ざる」@850円。さすが大盛り、量はたんまり。して、お味の方はと言うと、シコシコ麺が喉ごしさわやかだ。蕎麦汁は色濃く、鰹だしが旨い。なるほど、これが老舗の味!





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7日目   城下町・白石 & 秋保温泉 編      今日の歩数=14,823歩





白石駅



駅構内では満開の紫陽花が鈴なり



煉瓦の油庫
駅開業以来、灯火の油を収納していた


現在、油庫の中はメモリアルスペース

白石駅を背に歩き始めると


今に遺る昔ながらの建物



道のあちこちにたつ幟




道路脇の排水溝で魚をすくう子供達




武家屋敷通


10/07/11 片倉家中(旧小関家)武家屋敷













見学入口




家臣らの旗指物と俸禄が記された記録

「白石城主・知行壱万八千石 片倉小十郎」の文字が!








土間


左手前がちゃのま、奥がなかま


ちゃのまの囲炉裏


裏庭


裏庭には小川が!
白石城主片倉家の家臣・小関家の屋敷。入場料@200円。
入口を入るといきなり土間があり、その片隅に畳一枚程度の台所があった。その続きに囲炉裏をきった茶の間が設けられ、その先に「納戸」と「なかま」(座敷)がある。来客は、建物の中(入口)を通ることなく庭から直接「なかま」の前の縁側へと回るのだそうな。建坪は、30坪程。ただし、土間がやけに広いので、その分居住面積が狭くなっている。

武家屋敷というよりも、農家と言った方がしっくりくる質素な家屋。しかし、これが当時の標準的な武家の暮らしだったようだ。小関家は、15石取りで役どころは料理番。小禄だ。しかし、敷地は300坪。広い庭で食糧を自給していたのだろうか。片倉家家臣は一家族平均4人程。広くはないが、まぁ暮らすには充分だったのかもしれない。ここが、一般的に言う武家屋敷とは少々趣を異にしているのは、この建物が武家屋敷形式が定着する以前の江戸中期の建造なためだと言われている。

片倉家の禄高が18000石。そのうち、家臣の93%が30石以下、40%以上が10石以下であった。大勢の家臣を抱えていた片倉家では、一人づつへの俸給は意外なほどに少ない。そのため、家臣らは米つき、粉ひき、紙布製造などの内職で禄高不足を補填していたのだと。平均的と言われるこの武家屋敷をみていると、その苦しい生活ぶりが透けて見える様な気がする。


10/07/11 白石城









手前・大手一の御門
後ろ・大手二の御門


平成7年、市民の浄財により天守閣と大手門を復元。
入場料@300円。

 


天守(三階櫓)


天守内部


鉄砲狭間&弓狭間
白石城は、地元の土豪・白石氏が建造し、関ヶ原合戦以降は伊達家重臣・片倉氏が明治維新までの260余年間代々の居城とした。その間の一国一城令のおりにも、仙台藩は特例的に仙台城と白石城の2城が許され存続することが出来た。又、明治維新に、奥羽越列藩同盟が結ばれたのもこの城。日本の歴史が転換期をむかえるその度に大きな役割を果たし、その歴史の歯車が大きく回転する様を見つめ続けてきた城と言っても過言ではない。
 
「白石城 明渡しにつき達」(白石城歴史探訪ミュージアム展示)

戊辰戦争に敗れ、新政府から北海道開拓を命じられた片倉家は、白石城を売却した。城は、陸軍省、大蔵省を経て民間への払い下げとなり、やがて解体され、その長い歴史の幕を下ろすことになる。

任地・北海道までの路銀やら生活費を捻出することも叶わぬ程に窮していた片倉家は、断腸の思いで武家にとっては我が身ともいえる城と引き換えに家臣らの生きる途を繋いだ。なんとも、痛痛しい。彼らが入植した土地・札幌には、その証のように「白石」と言う地名が今も残る。子供時代を札幌の白石で過ごした私は、やるせない思いでいっぱいだった。


10/07/11 白石城歴史探訪ミュージアム




軽食コーナー




伊達とりウーメン@600円
白石城のある増岡公園内に、白石城歴史探訪ミュージアムがある。1階は地産品やお土産品などを置く売店と軽食コーナー。2階は、片倉家ゆかりの展示室。3階は200インチ高輝度スクリーンでの3Dハイビジョン・シアター。

シアターに心惹かれつつも午後の予定が待っているので断念。2階で展示関係資料をひとわたり見て、軽食コーナーへと向かった。

白石と言えば温麺。駅からの道々、飲食店の表に出ているサンプルを覗いてきた。しかし、いづれも高級具材をのせたセレブ温麺ばかり。私が食べてみたいのは、地元の人が食べている普通の温麺。なぁ~んだ、ここにあったのかぁ!素朴な温麺が♪

温麺は温かい汁のと冷たい汁のとがあったが、名前の通りに温かい方に決定。程なく鶏肉とホウレン草と椎茸がのっただけのシンプルな温麺が現れた。さすが東北、汁の色は濃い目。麺はさらりとした食感。うむ、これなら何杯でもいけそうだ。そう言えば、売店で買った温麺は10センチ程度の短い麺だったけれど、これは普通の乾麺の長さだ。ツレいわく「短い麺だと吸えないから物足りないなぁ。俺は普通の長さのがいいよ。」お土産用が短いのは、何故だろう???


10/07/11 秋保温泉共同浴場









実は本日 私とツレが先を急いでいた訳は、午後からここへ来るため。

大きくて豪華な高級旅館の間にひっそりと建つ大正10年創業の共同浴場。入湯料は@300円という今時あり得ない安さ。

名の通り、共同浴場なので地元民の利用が多い。券売機で入浴券を買って受付のおじさんに渡し、早速 脱衣場に飛び込んだ。ウゥゥゥゥ、せま~~~。思わず立ち尽くしてしまった。恰幅の良いおばちゃんが2人ほど私の前に立ちはだかって、のんびりと脱衣中。そのため、おばちゃんの脇の下から手をさし入れて何とか脱衣籠をゲット。

さて、勇んで浴室の戸を開けて再び唖然とした。浴槽のなんと小さいことか、まるで家庭の風呂!これは2人入ればいいとこ、無理して詰めても3人かな。

二基あるカランは栄養満点のおばちゃん2人に占領されていた。そのため、あぶれた人たちは湯船からザブザブとお湯を汲みあげて体を洗っているので、洗い場もイモ洗い状態。その時、若い女性がおずおずとおばちゃんにお願いした。「すみませんが、上がり湯いただけますか?」振り向いたおばちゃんはキョトンとした表情をすぐにひっこめて「あ、いいけど。上がり湯なら湯船のお湯がいいんだよ。ねぇ。」と、もう一人のカランの相方に同意を求めた。「ナトリウムやらカリウムやら体に効能のある温泉の湯は、流さないであがった方がいい。」という話は聞いたことがある。彼女が意地悪で言っている訳ではないのは、解る。しかし、他の人が言うならともかく、カランを独占している彼女が言うべき言葉ではないと思うのだ。そう感じたのは、私だけかなぁ。

ただし、湯は本物。源泉から直接、湯をひいている正真正銘の源泉掛け流しの天然温泉なのだと。その泉質の良さが地元ファンをひきつけてやまないのだそうな。お湯は無色透明の食塩泉。湯船のお湯をくみ上げて使用せざるを得ないため、湯が常時入れ替わっているので、こんなに大勢が湯あみしているというのに、とても奇麗な湯だ。

湯は申し分ない。しかし、この混み様ではとてもゆっくり寛いで入浴できる環境ではない。それがとても残念だ。




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8日目   プライベート・ディ 編      今日の歩数=14,493歩

一日くらいは別行動をしてみよう。という訳で、ツレは仙台の地下鉄三昧、私は仙ブラへ。

仙台市内散歩




ハピナ名横丁


国分町


金蛇水神社


壱弐参横丁




虎屋横丁
仙台の地名には「丁」と「町」のいずれもが共存する。昔 伊達政宗がマチ作りをした時に、足軽、職人、商人の住むあたりを「町」とし、武士の屋敷を配置した地域を「丁」として、字を見れば一目でそれが解る様にしたのだそうな。写真の「横丁」は後で名付けたモノかと思われるが、街のあちこちに「南光院丁」「天鍛冶丁」「片平丁」など、丁のついた地名が今も残る。

さて、私は~。終日街中を探訪し、一番町にある「藤崎」というデパートにふらっと入ったら、ちょうどセールの真っ最中に遭遇した。ブランド物のランジェリーを安値でゲットん。たまに独り歩きをすれば、こういう幸運もありか♪







9日目   仙台市内観光 編      今日の歩数=17,251歩

10/07/13 仙台朝市アメ横市場
仙台最終日。ウィークリーマンションをチェックアウトし、まずは駅方面へ。

JR仙台駅から徒歩5分。鮮魚や海産物、青果、惣菜の店が立ち並び、東京のアメ横を彷彿とさせられる一画がある。ここが、仙台の台所「仙台朝市アメ横市場」。

八百屋さんの前を通った。バナナが15本程盛りで@100円。目を横に転ずれば漬物用なのか、ゴミ袋大の袋にどさっと入った胡瓜たち。何十本入っているのだろう。これで一袋@1000円!や・・・安すぎるぅ。

今回の宿となったウィークリーMN。駅まで徒歩圏内なので足周りは申し分ないのだが、不便なことに食材を買うためのスーパーが近くにない。そうこうするうちに「蕎麦のさん竹」の隣のビル地下を発見し、以来 食糧確保が容易となった。余談ながら、そこのお弁当は@280円からで、お弁当を購入した人には保温された温かい味噌汁がサービスされる。私とツレが発掘した、穴場。しかし、難点は観光帰りのついでに買い物!とはいかない地理的な問題。朝市アメ横市場なら、観光基点の駅からも極近で、しかも格安・新鮮な食材が手軽に入手できる・・・。もっと、早く知ってたら、栄養満点で快適な仙台食生活を楽しむことが出来たのにぃw
食べ処・庄屋






店内


カウンター上の10数種の副菜
漬物から果物まで食べ放題



朝市丼@500円+味噌汁@100円


ハエトリザウルス
「朝市の中に食事処がある。」と聞いて、早速やってきた。「食べ処 庄屋」。同じ朝市で営業する八百庄の経営である。

店内はカウンター席のみで、向い合せの二本と窓際の一本。その上には十数種類の漬物やら野菜、果物が並んでいた。これは食べ放題。新鮮野菜類の漬物などが好きなだけ食べれる大サービスは、さすが八百屋さんの経営だ!なんて太っ腹なんだろう!嬉しいサプライズ♪

この店のイチオシ「朝市丼」@500円+味噌汁@100円を食べた。この値段なのに、甘エビが二本も乗っている♪

壁際に珍しいモノ発見!はえとり草「ハエトリザウルス」が、数種類置かれていた。「ハエトリザウルス」は、読んで字の如く蝿を捕まえる植物。葉の内側にあるトゲに二度触ると、葉が口の様に閉じて蝿を捕獲するのだとか。面白~。現場を目撃したい!蝿、こっちに来いよぉ~。


10/07/13 晩翠草堂











玄関


晩翠愛用のベッド


晩翠愛用の下駄
仙台駅からほど近い「晩翠通り」にあるのが「晩翠草堂」。ビルに囲まれてひっそりと建つその建物の前を通る度に、迂闊にもどこぞの日本料理屋だと思い込んでいた。入場無料。

「晩翠草堂」は、「荒城の月」で有名な土井晩翠が晩年を暮らした家である。その文学的名声とは裏腹に、晩翠の私生活は不運の連続であった。優秀な子供たちは相次いでこの世を去り、妻も又黄泉の国へと先だち、いつの間にか独りぼっち。

昭和20年7月、晩翠は仙台空襲によって居宅と3万冊ともいわれる書籍をことごとく焼失し、見かねた教え子たちが「晩翠草堂」を建設し贈った。彼は、80歳で亡くなるまでの数年をここで過ごすことになる。ちなみに「草堂」とは、「お粗末な建物」という意味。

晩翠の遺品などを眺めていたら、ツレがぽつりと言った。「そう言えば、昔 学校の先生に“どいばんすい”ではなくて、本当は“つちいばんすい”と習ったなぁ。」www私は習ってない。ここを管理している方が、それを聞きつけて言った。「そうなんですよ。以前は“つちい”説が主流だったのですが、10余年前にそれについて晩翠自身が書いたものが見つかったので、今は“どい”です。」。ツレに“つちい”と教えた教師が今も存命ならば「しまったぁ!」と頭を掻いているだろうか。


10/07/13 東北大学(片平キャンパス)
















生きた化石・メタセコイヤ(生きた化石)


魯迅先生像
片平キャンパスは、1907年(明治44年)に東北帝国大学創設時から昭和40年代まで多数の学部や研究棟があるメインキャンパスであった。しかし、現在では川内キャンパスへの移転が続き、金属材料研究所や電気通信研究所などの専門部署が残っている。

ここでは、旧東北帝国大学当時の建築物が醸し出すズシリとした歴史の重みと構内の木々の緑とが相まって、格調ある景観が展開されていた。

中でも、東一番丁の門からキャンパスに続くメタセコイアの並木が、何とも印象的である。
メタセコイアは「生きた化石植物」として、昭和20年 中国四川省で発見され、昭和25年アメリカで育てられた苗木100本が日本に贈られた。仙台には3本が贈られ、うち2本が旧理学部生物学教室の庭にあり、この並木はその原株から挿木として育てられたものである。
(東北大学の説明板より)
まるで、このアカデミックな並木が、杜の都・仙台を象徴しているようだ。
東北大学史料館






史料館外観




史料館・廊下




展示室


前列右・魯迅
東北大学史料館は、大正14年に建てられた旧東北帝国大学付属図書館を、大学の歴史や史料などの保存・公開のために史料館としてリニューアルし一般公開しているものである。

膨大な史料の中で目をひくのは、留学生・魯迅のもの。医学生としての学生生活を送るうち、やがて文学に目覚めて人生の舵を大きくきることになるのだが、その地盤となったのがこの地・仙台であり、このキャンバスだった。まさに、魯迅ファン垂涎の史料館。


10/07/13 仙台っ子




仙台市内に11店舗を展開しているラーメン店。

駅前を歩いていたらラーメン屋の看板が目に飛び込んできた。そういえば、仙台に来てからまだラーメンを食べていない。

夕食の時間にはまだ間があるのに、店内は客でいっぱいだ。さすがに、カウンター席はちょっと気がひける一見さんの私とツレ。なんとか奥のテーブル席を確保した。

麺は太麺と細麺からの選択で、私は太麺@630円。麺が太いというだけで、かくも食感が違うものなのか。新鮮なサプライズだ。普通の五倍の材料を二日間煮込んだというスープは、一見濃厚な豚骨風だが、意外にも味はあっさり味。ラーメン旨い♪

ちなみにこの店、ご飯は無料。道理で、若い男性客が多いはずだわ。ツレも、負けじとライスを注文!店を出て開口一番「うまいコメだった。うぅぅ、腹いっぱいダァ~」。




仙台駅前の駐車場


仙台駅エスバルの団子@105円


仙台フェリーターミナル・乗船口


まとめ
仙台は、北海道から近い。しかし、津軽海峡をはさんでいるだけに飛行機に乗るか船に乗るか、いづれにしても東京へ行くのとそう変わらないのだ。しかし、来て見れば、さすがに「ダテな街」。至る所に歴史の欠片が転がっていて、この上もなく楽しい。しかも、仙台近郊には有名な温泉地がある。観光の合間に、銭湯感覚で入浴出来たのも想定外の嬉しい誤算。

今回は仙台のMNを拠点としたために、仙台近郊をじっくりとまわることが出来た。だが、東北は広い。平泉や猊鼻渓、秋田や鳴子。行きたい所は、まだまだ山ほどある。次回は宿を移動して、東北を徘徊してみたいナ。


















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