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2011年 北陸・甲信

寝台特急カシオペアで上京、奈良井宿・昇仙峡・東尋坊





11/09/19~11/09/30  札幌→東京→甲府→松本→金沢→福井→敦賀→苫小牧(大人2名)
日程  11泊12日


経費
経費 宿泊場所 金額
交通費 カシオペア・ツイン @34,220×2名=68,440円
フェリーすずらん 1等洋室ツイン @18,500円×2名=37,000円
JR東京→金沢 @7,140円×2名=14,280円
JR金沢→敦賀 @2,210円×2名=4,420円
53,770円
宿泊費 東横イン甲府駅前南口   ツイン(1室2名)=6,384円
スーパーホテル松本駅前 喫煙スーパールーム @5,400円×2名=10,800円
天然温泉 加賀の湧泉ドーミーイン金沢 禁煙ダブル @3,400円×2名×3泊=20,400円
東横イン福井駅前 禁煙ツイン(1室2名) @7,581円
拝観料&入場料  兼六園、忍者寺 ほか 5,050円
食事代 外食&食糧 32,784円
雑費 傘 ほか 11,155円
総計 総計 〆て        272,064円


スケジュール
月日 スケジュール 宿泊地 宿泊場所
1日目 カシオペアにて出発 車中 車中
2日目 東京着 東京 愚息宅
3日目 台風15号 東京 愚息宅
4日目 箱根観光 東京 愚息宅
5日目 甲府市内観光 甲府 東横イン・甲府駅前南口
6日目 昇仙峡観光→松本へ 松本 スーパーホテル・松本
7日目 奈良井宿観光→金沢へ 金沢 ドーミーイン・金沢
8日目 金沢市内観光 金沢 ドーミーイン・金沢
9日目 輪島観光(定期観光バス) 金沢 ドーミーイン・金沢
10日目 東尋坊観光 福井 東横イン・福井駅前
11日目 永平寺→福井市内観光→敦賀へ フェリーすずらん 船中
12日目 帰宅 札幌 自宅






旅程
月日 訪問地 月日 訪問地 月日 訪問地
1日目 寝台特急カシオペア 7日目 奈良井宿 11日目 柴田神社
2日目 愚息宅 1 1奈良井駅 11 永平寺
3日目 台風15号 1 1宿場町 11 シンボルロードモニュメント
4日目 箱根 1 1中村邸 11 新日本海フェリー・すずらん
1  はこね1号(ロマンスカー) 1 白馬駅 11  
1  登山鉄道 1 糸魚川駅  11 1
1  ケーブルカー 1 フォッサマグナ 11 1
1  ロープウェイ① 1 金沢駅 11 1
1  大涌谷 8日目 近江町市場 1 1
1  ロープウェイ② 1 金沢城公園  1 1
1  登山バス 1  金沢城 1 1
1  須雲川~マス漁の解禁 1 1旧陸軍のトンネル 1 1
1  飛烟の瀧・玉簾の瀧・玉簾神社 1  本丸の森 1  1
1  暁亭 1 兼六園  1      
1  旧街道石畳 1 金沢ウォーク 1      
1  跨ぎ撫で観音 1 犀川 1  
1  早雲寺 1 にし茶屋街 1   
1  かっぱ湯 1 寺町寺院群 1  
1  小田急ドラえもん電車 1 妙立寺(忍者寺) 1 1
5日目 甲府駅 9日目 定期観光バス・輪島号 1 1
1 武田神社 1 1輪島 1 1
1 武田信玄の墓 1 11輪島漆器会館 1 1
6日目 甲府駅前ターミナル 1 11輪島の朝市 1 1
1 昇仙峡 1 1總持寺祖院 1 1
1 1山梨ワイン王国 1 11芳春院 1 1
1 1仙娥滝 1 1能登金剛 1 1
1 1石門 1 1千里浜なぎさドライブウェイ 1 1
1 1長田円右衛門 10日目 芦原温泉駅 1 1
1 1覚円峰 1 東尋坊 1 1
1 1夢の松島 1 福井駅 1 1
 

                   

食べたところ 料理
天狗 豚しゃぶと鯖の味噌煮ランチ
はつ花 山かけそば
ほうとうの小作 南瓜ほうとう
奥藤 甲府鳥もつ煮、もり蕎麦
金渓館 岩魚定食
イイダヤ軒 山菜そば&天麩羅そば
レストラン巌門 がんもん定食
敦賀ヨーロッパ軒 ソースかつ丼&パリ丼
購入食品 購入場所
玉だれ豆腐&ごま豆腐&豆乳杏仁豆腐 荻野豆腐店
ミックスジュース HONEY'S BAR
焼き鳥、鳥モツ煮 地どり屋
そばドラ(小倉あん&マーガリンのドラ焼き) どこぞの駅売店
おやき(野沢菜)&ごへい餅(味噌ゴマだれ) 奈良井宿のおやき屋
おやき(切り干し) 奥田屋(奈良井宿)
ほたて釜めし JR糸魚川駅内コンビニ
ますの寿司弁当&地酒 JR金沢駅のコンビニ
えがらまんじゅう つかもと(輪島)
いかだんご 千里浜レストハウス
鱒すし 駅売店
若狭の浜焼き鯖寿司 駅売店
地酒 駅売店


宿泊場所
東横イン甲府駅前南口
スーパーホテル松本駅前
天然温泉 加賀の湧泉ドーミーイン金沢
東横イン福井駅前








1日目  出発 編      今日の歩数=11,220歩   晴

そもそものことの始めは、「一度夜行寝台のカシオペアに乗ってみたい!」と言ったことから。実は、3月にカシオペアの予約を済ませていたのだが、そうこうするうちに東日本大震災が起こり、結局は運休になってしまった。という訳で、今回は再挑戦。

東京の息子宅を覗いて、その後は未だ未経験の北陸・甲信地方へ足を伸ばそうかという事に落着した。
「えぇぇ、東京から敦賀まで行くの?随分 遠くまでw」と愚息。「北海道人は津軽海峡を超えたら、後はどこまで行っても同じ!という感覚なんじゃい。」とエバってみる。


11/09/19 寝台特急カシオペア


さてと、いよいよ旅の始まり~ワクワク♪


カシオペアツインは、(1人当たり)寝台料金@13,350円+特急料金@2,940円+運賃@17,930円=34,220円。

室内は、思いのほか狭い。考えてみれば、どう逆立ちしても車両の幅から通路スペースを差し引いた空間しかとれないのだから、当たり前。その限られた空間をうまく利用して作られているのには、感心してしまった。

まずは、窓についているテーブル。畳める様になっていて、昼間そのテーブルを挟んで向かい合って座ったソファーは、夜ともなればベッドに早変わり。ソファーは、カギ型に広げて縦横2人分のベッドとなる。部屋のトイレは、その上の洗面台が折りたたみ式。つまり、トイレを使用する時は、洗面台を畳んで壁に収納するという仕掛けだ。

使い勝手がいいスリッパ
紙製?

ウエルカムドリンク
煎茶をチョイス

窓からホームを見ると
乗降客の足元が私の目の位置

カシオペアのパジャマ
着ているのは、ツレ
窓から駅構内を見ると、なんと私の目の位置が乗降客の足元。目線がとっても低くて不思議な感じがする。視線のやり場に戸惑っていたら、ホームの向こうからにっこり手を振る若い女性。いや、知り合いではない。「ねぇねぇ、カシオペアだよぉ。」と隣の友人の袖をひいている。いや、別に会話が聞こえた訳ではないのだが、そんなシチュエーション。なるほど、私だって今までたまたま駅でカシオペアに遭遇したら、羨望の眼差しでみてたもの。「いつか乗ってみたい。」って。

お返しに私も手をふりかえしたら、2人揃って両手を大きく振って見送ってくれた。旅立ちに、これは嬉しい。いい旅になりそうだなぁ♪


目覚めると各部屋に朝刊が届いていた


モーニングコーヒーを飲みながら
朝 目覚めると部屋のドアノブに朝刊がかかっていた。なんだか、オリエント急行にでも乗った様なお大尽さま気分。

ツインは1階と2階があり、私たちは1階部屋だった。上の写真の様に隣の部屋のドアとこちらの部屋のドアが並んでいて、慣れるまでは少々紛らわしい。ツレが、何度も部屋に鍵をかけようと試みるも失敗。「鍵がかからないぞ。」って、そりゃあそうだ。ツレが認証のために任意の4ケタの数字をセットしてるソレは、お隣のドアだよぉw


ダイニングカー


和定食(メインディッシュ)
@1600円

洋定食(メインディッシュ)
@1600円
 
洋定食のサラダとデザート


食後のコーヒー
そうそう、これこれ。これが楽しみだったのぉ、食堂車。
メニューは和と洋からの選択。私は、和定食でツレが洋定食。いづれも、@1600円。

和定食 洋定食
ごはん、味噌汁
焼き魚
卵焼き
かまぼこ
わさび漬け
香の物
デザート
コーヒーor紅茶
パン・ミニサラダ
ロースハム・ソーセージ
ハッシュドポテト
スクランブルエッグ
ジュース
フルーツのヨーグルトかけ
デザート
コーヒーor紅茶

なぜか、洋定食が断然人気。皆さん、家での朝食がパン食になってきたという事かなぁ。



ラウンジカー

食後はすることもなく、ラウンジカーへ。ここでお弁当を食べている方もいた。まもなく終着駅・上野に到着するというのに、外は雨w

上野が近づく程に、ツレが言った。「まだ乗っていたい。」そりゃぁそうだけれど、この車両は今夜札幌へとってかえすのだよぉ。まだ何も観光してないのに、このまま帰る訳にはいかんべさぁ。





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2日目   愚息宅 編      今日の歩数=18,717歩        

11/09/20 愚息宅
着いたぁ~~~、愚息宅。

数年前の訪問時にはベランダの鳩の糞掃除で数日を潰してしまったけど、引っ越してきた今度のネグラは鳩がいないみたい。しめしめ♪しかし・・・鳩もいないが、どうやら彼女もいないらしいw

今日は平日なので、愚息は出勤中で留守。代わりに部屋で待っていてくれたのは、クマさんのウエルカム・メッセージ。

ありがとう。3日間のお宿を、おたのん申します。




3日目    台風15号  編      今日の歩数=13,377歩      雨

閑話
11/09/21 台風15号

豚しゃぶと鯖の味噌煮
@680円
天狗
明日 愚息と3人で箱根を訪れる予定。で、リサーチかたがたロマンスカーの切符を手配しに新宿へ出ることにした。小田急トラベルで用事を済ませた後は、どこか都心をぶらぶらする腹積もりだったのだが・・・。

新宿で雨宿りがてら昼食をとって、お天気の様子見をすることに。
たまたま雨を逃れて飛びこんだビルで、関東地方ではお馴染みの居酒屋チェーン「天狗」でのランチと相成った。「もっと珍しくて、ここでしか食べられないモノにすれば良かったのに。天狗ならどこでも食べられるだろう。」と愚息はあきれ顔。下戸のツレは「そうなのか?」ってぇ・・・仕方がなかったのさ。だって、雨をしのぐための時間稼ぎだったんだもんwでも、雨のせいか店内はなかなかの混み具合だったし、鯖の味噌煮はうんまかったよぉ。案外、この日の選択肢としては穴場だったかも。

それでも、進度が遅い台風15号は、居座り続けて時間とともに雨風が酷さを増す。仕方なく、午後からの予定はとりやめて、愚息宅へ帰宅することにした。いやはや、傘は壊れるわ。体が飛ばされそうになるわ。バッグの中の財布に入れていたお札まで濡れてびしゃびしゃになるわ。てんやわんや。何気にテレビをつけてみれば、何やらニュースが騒がしい。どうやら、私たちが帰途へついたそのすぐ後で、多くの電車が止まってしまったらしい。あと30分都心をうろうろしていたら、私とツレは、帰宅困難者になっていた可能性が高い。不幸中の幸いだったかも。ちなみに、愚息は電車が止まり、夜遅くに徒歩で帰りついた。えらいこっちゃぁw

にしても、今年はなんてご縁があるのだろう、台風。沖縄では、台風1号のためホテルで足止めをくらったし、今度は台風15号。旅に出ると、待ってましたとばかりに台風が追いかけてくるのは何故?




4日目    箱根  編         今日の歩数=26.357歩       曇




公共交通機関を使って箱根まで行くには、愚息宅からだと「新宿から小田急電鉄に乗るよりも、町田から乗りこんだ方が時間的はかからないだろう。」と言うことで、我らの出発地は町田。

まずは、経路。
町田→(ロマンスカー)→箱根湯本→(登山鉄道)→強羅→(ケーブルカー)→早雲山→(ロープウェイ)→大涌谷→(ロープウェイ)→桃源台→(登山バス)→箱根湯本

箱根湯本→(徒歩)→温泉郷→(徒歩)→早雲寺→(登山道を徒歩)→箱根湯本→かっぱ湯→箱根湯本駅から電車で町田へ。

つまり、登山鉄道とケーブルカーとロープウェイでで一気に山頂付近まで登り、そこからはバスで下山し、箱根湯本界隈を徒歩にて散策という予定。




11/09/22 箱根
はこね1号(ロマンスカー)       町田→箱根湯本




町田→箱根湯本(特急急行・はこね1号)   乗車券@870円(都内~)+特急急行券@600円=@1470円(1人)。
眺望席も同じ値段とのことで、昨日新宿の雨の中を小田急トラベルへはせ参じたのだが、あいにくと前部はすでに満席で後部の二列目がとれた。

走行中の窓越しに見える景色は、まだ昨日の台風の残骸が残り、川は増水気味で所々木が倒れているところも・・・。今日、運休しなかっただけでも、有難い。富士山も、見えそうで見えないけれどw

ただ、シートの心地がよく窓ガラス部分が大きくて、ゆったりとした気分になれるのは、嬉しいな。まずは、箱根への道をレッツゴー♪
登山鉄道     箱根湯本→強羅

箱根湯本駅構内


ワンマンカー
箱根湯本→強羅  @1050円(1人)。 

さて、ここからが箱根の本髄。箱根湯本から強羅までは「小田急箱根線」が走っていて、スイッチバックなしで行くことが出来るのだ。どころか、ケーブルカー区間から早雲山、桃源台までも乗り入れているのだと。なのに、なんでこんなに乗り換えるんだ、私たち?と思ったら、これ鉄道大好きなツレへの愚息からのサービスだった。

ちなみに、スイッチバックとは、険しい斜面を行く場合、今まで走行してきたのとは反対方向へと鋭角的に進行方向を転換して、ジグザグに敷かれた線路を進むことである。

箱根湯本から強羅まで3回のスイッチバックが行われ、箱根湯本で先頭だった車両が強羅では最後尾になる。その都度、運転手は先頭車両から一番後ろの車両へと乗り換えて運転を続ける。なんとも、のんびりとした走行風景だ。とても、朝の出勤には間に合わないだろうなぁ。それだけに、皆さま このスイッチバックを楽しみに乗り込んだであろうことは、想像にかたくない。

これぞ、鉄キチ垂涎。ツレの目が嬉々と輝いたのは、言うまでもない。
ケーブルカー    強羅→早雲山


強羅駅


ケーブルカー


ケーブルカーの線路
強羅→早雲山 @1230円(1人)。

ケーブルカー区間はここだけなので、勿論のることに。
森の中を淡々と走る姿は、なかなかに味わい深い。にしても、この山の中にレールを敷きケーブルを通すなんて、どんな方法でやったのだろう。と感心しきりの私。

ちなみに、運転は頂上駅の機械室で行われ、車内の乗務員がドアの開け閉めを担当しているのだそうな。
ロープウェイ① 早雲山→大涌谷

早雲山のロープウェイ乗り場


ロープウェイ


今が盛りのススキ


大涌谷の硫黄
早雲山→大涌谷  @820円(1人)。

おぉ、さっすが、空はいいなぁ。箱根が一望できるので、気持ちがいい。お天気が良ければ富士山や大文字焼きで有名な妙高山も見渡せるとか。しかし、昨日の台風でそれは臨めそうにないw
大涌谷

大涌谷黒タマゴ


黒たまご5個500円


温泉池


たまごクリームソフト@330円
大涌谷に近づくと、もんもんとした白煙が鼻を刺激する。これは、硫黄?まるで、北海道・登別の地獄谷のような臭いだ。

まず、ここの名物・黒たまごを食してみようかな。温泉池の中で1時間ほど茹でると、温泉に含まれる硫化水素と鉄分が結合し硫化鉄となり、卵の殻が自然に黒くなるのだと。しかし、中身は白い普通のたまご。一個食べると7年長生き出来るとのこと。wやられたぁ~。愚息は2個も食べたから、14年かぁ。甘党のツレと愚息は、「たまごクリームソフト」にも飛び付いて御満悦。甘いものに目がない我家の男ども~w。

それはともかく、ここの名物は「黒たまご」に「黒カレー」「黒ラーメン」・・・。なにゆえに、何でも黒づくめなんだろう~。と思って、ふと道端の店に目を転ずれば、果物店があった。「なんで、ここで果物?」とよくよく見れば、売り子さんも「黒い」。いや、日焼けしているのではなく、DNA的に「黒い」他国の人。なんぼ「黒い」名物を揃えているといっても、それはちょっこしブラックユーモアだw
ロープウェイ②  大涌谷→桃源台


ターミナル



桃源台バス停

海賊船(芦ノ湖)
実は初期の愚息の予定では、大涌谷から箱根の地上に降りて徘徊するという目論見。しかし、ここまで来たのだし、この先もうちょこっと行って見るか!ということになった。

大涌谷→桃源台  @1020円(1人)。えぇぇ、これって高くない~?と思わず家族の元へ走り寄る私。ここで、やっと気がついた。実は昨日新宿で箱根観光のおじさまに強く勧められた。東京から箱根まで込みで@5000円。箱根ではケーブルカー&ロープウェイ&海賊船&バスが二日間フリーで乗り降りできるのだと。かなり心が動いたのだけれど、なんせ今回の旅は愚息が添乗員。日中は仕事中で連絡もとれない。勝手に私の一存では決めかねるwという次第で断念したのだ。けれど、これは、断然おじさまの話に乗った方がお安く上がったみたいwww

ただ、今日は昨日の台風の影響で海賊船は運休。それなら、大して損でもなかったか?いえいえ、やっぱ、お高いw もし、これから行かれる方は、割引周遊券箱根フリーパス@5000円をご購入された方が賢明かとw
登山バス  桃源台→箱根湯本

箱根湯本駅前
桃源台→箱根湯本   @1020円(1人)

考えてみれば当然のことながら、箱根を走るバスの走行経路は山また山なので急カーブの連続。それを、苦にする様子もなく何気に、いや気持ちよく車体を滑らせるバスの運転手さん。こんな道、このスピードでええんかい?と突っ込みたい気もするけれども、こんなくねくねカーブなのに、この見事なハンドルさばき。よっぽど、運転が好きなのねぇ。

やっと戻ってきたよぉ~、湯元へ。今まではずっと空の上から箱根を眺めてきたけれど、バスで箱根の郷をへめぐって、なんとなくぼんやりとその地形が見えてきた様なきがするなぁ。

さて、箱根湯本界隈をを徘徊する前に、このあたりで腹ごしらえでもしよう。で、何処に行こうかなぁ~~。
と首を回せば、ちょうど目の前の「箱根町観光案内所」前に交通警備のオジサマがいた。ここは、ちょこっと地元の方のお知恵拝借。

愚息が尋ねた。「あのぉ、ここで何処か美味しい店はありますか?」。
オジサマは、間髪を容れずにのたもうた。「ない!!!・・・・・・・・・・・・・・・・・。 特に美味しい所もないけれど、美味しくない所もない。」www
はつ花

店の前で待つお客さま

メニュー

2F客席
手前の円卓が順待ち客で満席に

山かけそば
「特に美味しい物もない代わりに、美味しくない物もないのなら、そんなら話の種に人気の蕎麦を食べてみよう。そそ、これだけは調べてきたの。ネットでの評判は、大人気。それなら、きっと美味いに違いない。興味津々。店は、駅の近く・温泉郷でみつかった。

並んでやっと入店出来たと思えば、なんと2Fの円卓席。左手で箸を使う私は、隣にぶつかりそうでちょっとばかり恐縮w 注文したのは、勿論この店で一番人気の「山かけそば」。汁は温汁。愚息はこれの冷汁バージョンの「貞女そば」@950円。暑い時節柄、こちらのオーダーの方が多かったようなぁ~。「美味しい。」というネットでの大変な反響とは裏腹に、私的には・・・ちょっとなぁ。かけそばにトロロ芋をのっけちゃうと、これは完璧トロロの独り舞台w 蕎麦の麺の味わいも、蕎麦汁の味もすっかり消えてしまってるサ。蕎麦は蕎麦で、トロロはトロロのままで味わいたい。なんで、これがこんなに人気なのか解らないw @950円。愚息の「貞女そば」の感想も又、しかり。リピートは無いだろうな、多分。まぁ、最初の思い通りに「話の種」にはなったけどwww
萩野豆腐店



玉だれ豆腐&ごま豆腐&豆乳杏仁豆腐
@250円+@250円+@350円
「はつ花」の近くで、豆腐屋さんを発見!

なんと、江戸時代の創業で以来200年!と言う老舗。天然にがりと湯坂山の湧き水を使った豆腐が食べられるのだそうな。これは、通り過ごす訳にはいかぬ。とは言え、店舗内にテーブル席がある訳ではなく、入口のベンチで食べることになる。

食後と言うことで、3人で3個を買ってシェアして食べてみる。玉だれ豆腐は昔懐かしい豆腐のお味。ごま豆腐は胡麻風味が香ばしい。そして、豆乳杏仁豆腐は、かなりデザートっぽい感じ。にがりの味って、随分久しぶりな様な~~♪

このまま愚息のネグラへ帰るなら、夕飯用に買っていきたいのだけれど、生憎これから湯本あたりを徘徊予定なので、断念せざるを得ない。残念!
 徒歩       箱根湯本→温泉郷
須雲川~マス漁の解禁


石畳の箱根旧街道ぞいにある清流公園のすぐ横を流れる須雲川は、昨日の雨で増水気味。きっと、普段は美しい水を湛えているのだろうなぁ。

ひょいと見れば、写真右のこんな看板が!
なになに、ここってマスが釣れるのか。で、今日は解禁日ど真ん中。時間さえあれば、マスを釣りあげてみたかったのにwwwって、釣りはあまり経験がない私でありますが・・・。それだけに興味津々。
飛烟の瀧&玉簾の瀧&玉簾神社


飛烟の瀧


玉簾の瀧


玉簾神社
飛烟の瀧は、高さ約20m・幅約10m。水しぶきが煙のように立ち込めるという意味で「烟」の字をつけたと言われている。瀧の前にたっている豆粒ほどの人影は、身長184cmの愚息。豪壮な瀧の大きさが解っていただけるだろうか。

次に控える玉簾の瀧は、高さ約8m・幅約1m。流れ落ちる清水が「玉簾」のように細かく美しいことから、この名が付けられたとのこと。確かに!飛烟の瀧とは又違った趣。瀧の水は、延命水として江戸時代から旅人に愛飲されていたそうな。

二つの瀧のあいだには「玉簾神社」がある。元はこの地の小田原城主・稲葉氏の邸内社として江戸時代に創建されたのだとか。芦ノ湖の守り神「九頭龍明神」を祀る箱根神社の唯一の分社で「水の守り神」&「縁結びの神様」。

これらは、実は「天成園」というホテルの敷地内にある。今年一月まで、コメディアン・清水アキラが一年間住み込みでステージを担当したという例のホテル。それにしても、私有地の中に大きな瀧が二つと神社があるなんて、なんともスケールのでかいお話だなぁ。
暁亭
「暁亭」は、古希を迎えた元勲山縣有朋公が1907年(明治40年)に貞子夫人の為に小田原市「古希庵」の一郭に建てた離れ家。

今は、高級豆腐懐石料理屋として箱根を訪れる上流客層の定番となっているのだとか。2005年には、国の有形文化財に指定されている。

「それは是非にも行って見たい!」と思ったのは、勿論のこと。早速、予約の電話を入れたのだが、「唯今は、土日のみの営業になっています。」と丁重にお断りをいただいた。悔しい~。というか、残念。今回はご縁がなかったということで・・・。

前を通りかかったので、未練たっぷりに入口の写真を撮影してきた。
旧街道石畳
江戸時代、往来の多い東海道の中で箱根の山越えは最大の難所と言われていた。

1680年、幕府は石を敷き、通行の維持と便をはかったという。

この先、約255mは今もその姿を残し続けているので・・・。
そうそう、その木の陰からまるで野次さん喜多さんみたいに振り分け荷物を肩にした当時の旅人が飛び出してきそうな、そんな気がしてならない。

なお、この道は箱根湯本駅への近道で、国の史跡である。
跨ぎ撫で観音


愚息


相棒(家人)
ここは、箱根観音。
しかし、只今 工事中で大工さんがお仕事中だった。なので、同じ敷地のちょこっと下にあった「跨ぎ撫で観音」に行ってみた。太くて長い棒の先に観音様がおいでになるので、お参りする時はそれを跨ぎ自分の症状の所と観音様の同じ所を撫でさすり祈念すれば次にお詣りする日までには願いが成就すると言われているそうな。

かくして、ヘルニアの持病持ちの愚息は腰を、ツレは頭を・・・w(何故?~)撫でていた。
 徒歩      温泉郷→早雲寺
早雲寺



北条五代の墓
戦国時代の名家・北条氏。その始祖・北条早雲の菩提寺。

歴史は、時の支配者によって作られる。というか、記録が残されるのが常。しかし、この墓は隆盛を極めたその時に本人が建てたものではなく、後々その一族による建立なのだという。なるほど、戦国時代の名将・早雲がその子孫の五代と同列に祀られているのは、そのせいなのか。妙に納得。
かっぱ湯    

女湯


脱衣所


休憩室
愚息いわく「箱根のシメは、やっぱ風呂だな。途中で入ってもそのあと汗かくと意味がないので、駅前で済ませて帰途というのがいいかな。」ここだけは入念に愚息がリサーチしてくれていた、かっぱ湯・日帰り入浴@750円。

立地は抜群。箱根湯本の駅前ですもん。
「おぉ、ここだ~~~」と喜び勇む我が一族3名。しかし、階段が結構急で段数も多いw これは、お年寄りは無理だなぁ~。とか何とか思いながら、息を切らせて登り切る。

着いた~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。
入り口で料金を払い、さらに階上の脱衣場へ。って、あれれ、脱衣棚の向こうは窓も壁もない、まごうことなき下界。バッタがベンチ椅子でほっこりして・・・おるw そう言えば、確か外に「野天風呂」と書かれていたような。念の行ったことに、脱衣場も野天~~。

風呂は、野天風呂と称する風呂が一個ぽっきり。愚息は「ちょっと、淋しい。」という。が、透明のお湯は肌にまとわりつくように心地よいので、浴槽の数が1個だけというハンディもそれで充分に帳消しになりそう。

←かっぱのおなご

浴槽・給湯近くのカッパのおなごが、野性的で何とも色っぽい。って、照明が暗くて絵にならなくてご免ョ。
加えて、入浴客も少なくあずましい~~~。電車の時間にはまだ間があったので、一階降りて休憩室でブレイク。ここでは食事も出来るのだが、お腹いっぱいでお茶だけの私たちを嫌な顔もせずに遇してくれた。感謝♪

総括:ここはメッケモンなり。
※ここへ着くまでの登山での道中に蚊に喰われ、この湯に入ったらすっかり傷跡が渇いて完治しちゃった。いえいえ、ワタクシ、かっぱ湯のまわしものではごじゃらんヨ。
小田急ドラえもん電車    
往路はロマンスカーで少々贅沢気分を味わったので、帰りは普通電車で帰る!

すると、なんと町田まで「小田急ドラえもん電車」に乗ってもうた∬´ー`∬ウフ♪

なんでも、これは川崎市藤子・F・不二雄ミュージアムのオープンを記念して8月3日から運転中の特別電車「小田急F-Train」の車体へのラッピング装飾をしたと言うモノ。しかし、9月30日をもって終了するのだと。その理由は、東京都の屋外広告物条例に抵触したためだそうな。

条例への抵触内容は、
(1)許可申請を実施しなかったこと:東京都屋外広告物条例第23条、
(2)広告物の面積が基準(車体1面の10分の1以下)を超えていたこと:東京都屋外広告物条例施行規則第19条。

ただし、車内の装飾は継続するそうな。

この車体のドラえもんを見て不快に思う人はいない訳で、一般乗客の立場で言えば都の条例がどったらとか言うのもいかがなものかと思うのだが。とにかくも、二カ月弱しか運行されなかったこの電車に、たまたま乗り合わせた。何と言う幸運に巡り合ったのだろう。かなり、感激♪
HONEY'S   BAR

八王子店

買いに走る愚息


ミックスジュース@150円
乗り換えの八王子駅構内。

次から次と人がやってきて、ジュースを買って飲んで行く。これは何?うんん、北海道にはこういうのないもんなぁ。と、その時 愚息が言った。「飲んでみるか?」。実は、愚息もテリトリーは都内ながら ちょっこし郊外。どうやら未体験らしい。

いやぁ、これはうんまい~。これって、ハニーが入ってるの?・・・すっかり、ファンになってしまった。札幌の駅にも、欲しいなぁ~♪

にしても、電車待ちの束の間の時間。かほどに売れているのは、電車待ちの隙間時間に日頃の野菜不足を補っちまおう!という心理が垣間見えて面白い。もしかすると、現代の商機はここにも転がっているのかもしれない。


11/09/22 地どり屋

お皿が1.2枚しかない独身男の愚息宅。
前夜の弁当容器が皿がわり。
まるで、キャンプの様な~w
夕飯はどこで何を食べよう~。
外食して帰ろうか?それとも、お弁当でも買って帰ろうか。

話が決まらないうちに、愚息宅が近づいてしまった。最寄駅周辺は、焼き鳥屋がやけに多い。ならば、今夜は焼き鳥を買って帰って「家ごはん」にしよう。

駅を出てすぐの所にある間口の狭いお持ち帰り専門店が、愚息のイチオシ。ソフトバンクの孫社長似の男性が1人で切り盛りしている。焼き鳥は1本105円。肉塊が・・・・でっかい~~~♪一緒に「鳥モツ煮」も買い求めたのだが、写真を撮る前に食べてしまったw こちらも、美味しい~~。店に縄でもかけて、そっくり札幌までお持ち帰りしたい!!!

焼き鳥には、ビールがつきもの。←誰が決めた?
そこはぬかりなく、愚息が「さがみビール」という地ビールを駅前で入手してきた♪ 愚息と私とで、乾杯。ん?ツレ?ツレは下戸でごじゃる。




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5日目    甲府  編         今日の歩数=24.983歩    雨のち曇


11/09/23 甲府駅


甲府駅南口


駅前の信玄公像
愚息が出勤するのを見送って、私とツレも出発。さてと、ここからが本当の旅の始まり~。

最寄駅8:45発の電車に乗りこんで、一路甲府を目指す。にしても、23日(祝日)の金曜日、三連休の初日は何ちゅう混みようなんだろう。甲府着11:02。本日の移動時間は2時間06分。


11/09/23 東横イン甲府駅前南口
辿り着いた!今夜のお宿・毎度お馴染みの東横イン。とは言え、今回は予約が取れなくて甲府駅周辺でやっと見つけたのが、ここ。ツインで一室だけ空きをおさえた時は、日頃は神もキリストさんも信心する心がない私も、さすがに手をあわせて感謝した。神さん、有難う♪

駅から徒歩2・3分の立地は、市内観光にもとっても便利。何はともあれ、取り敢えずフロントで宿泊の手続きを済ませておいた。今夜の私は、布団の上で寝れるだけでも幸せ気分。

荷物を部屋に置いて、早速 市内近場の観光へレッツラゴー♪

追伸・東横インなので勿論軽い朝食つき。ご存知、定番のお握りをお決まりの入口フロアでいただくのだが、早めに行ったため席は確保できたけれど、いやぁ その混みようったら・・・。若い外人がふらっと来て、小さなパンを一個手にして出ていった。ライダーかな?


11/09/23 ほうとうの老舗・小作

入口で~


1階


南瓜ほうとう@1100円
甲府と言えば、武田信玄。信玄と言えば、信玄が陣中で食べたと言う「ほうとう」。これ、事前にググッた処によると、地元では自分の家で作るので外では食べない!とのこと。ならば、特に食べなくてもいいかなぁw との思いも頭をかすめたが、この店 私の今夜のお宿の向かえに位置し、しかも地元名物「ほうとう」の老舗店なのだとか。これぞ、導く糸というものかも?などと、都合のいい理屈を自分につけて、暖簾をかき分けた。

人気店だけに、さすが店内は込み合っているが、少々待った後で席に案内されホッと一息。オーダーは、メニューを眺めるまでもなく、この店の一番人気「南瓜ほうとう」に決めている。

「おぉ、これが“ほうとう”か!」麺が・・・太い!!!!一口食べてみて、納得した。成程ワイルドな歯ごたえと口当たりは癖になりそう。「ほうとう」の具材はありあわせの野菜でOKなのだそうだが、とけかかった南瓜が汁に馴染んで実にいい味を引き出している。信玄さん、美味しいものを有難う。


閑話
山梨大学と葡萄


まずは、街並み拝見。甲府市のメイン通り・武田通りを歩いて、武田神社を目指す。

と、途中で山梨大学キャンパスを発見!正門周辺では、大事に育てられている葡萄がたわわに実をつけていた。さすが、山梨~♪ちなみに、ここ山梨大学「ワイン科学研究センター」では、葡萄の栽培からワイン醸造までトータルで技術開発研究を行なっている日本では唯一の研究所なのだとか。出来上がったワインは、地元ワイナリー4社と共同で製品化し、キャンパス内のコンビニでも販売されていた。


11/09/23 武田神社

武田神社


お馴染み「風林火山」


拝殿


本殿
武田神社は、甲府駅の北2キロの所にある。かつては、ここに「躑躅ケ崎館」と呼ばれた武田家三代(信虎・信玄・勝頼)の館があったそうな。武田氏はこの地で栄華を極め、63年後滅亡の時をむかえ、館は取り壊された。今はゆかりの建物はなく、跡。

この武田氏ゆかりの地に神社が建立されたのは、大正8年のことだと言う。


初宮参り
目の前を歩くのは、初宮参りの一家。写真からは外れているが、祖父と父親も傍にいて皆弾けるような笑顔だった。それもそのはず、今日は赤ちゃんの初宮参り。北海道では・・・うんんん、したことないなぁ。する方はしているのだろうけれど、先祖が東北系の我親族間では、そういう習慣がなく話題になったこともないような~。

で、調べてみた。
初宮参りは、赤ちゃんの誕生を祝い健康と長寿を祈って生後一ヶ月頃に神社に参拝するのだと。正式な作法では、父方の祖母が赤ちゃんを抱っこするそうな。では、このご家族も娘ではなくて嫁だったのかな?それはさておき、私の目が釘付けになったのは祝着をかけた赤ちゃんを抱っこしている祖母の背中。な、な、なんと!ご祝儀袋が幾つかぶら下がっているではないか。さりげなくその中のひとつのご祝儀袋の文字を見る。「祖父母」。

「・・・なんぞや?」またまた、調べてみた。
どうやら、関西地方の習慣で「紐銭」というらしい。「扇子」と呼ばれる袋にお金を入れ、赤ちゃんが来ている祝着に紐でくくりつける。一般的には、赤ちゃんがその人生においてお金に困ることなく幸せに生きて行けるようにという願いを込めて親族が贈るものだと。して、その額はというと、昔は5円玉や50円玉など真ん中に穴が開いていて紐が通しやすいものが用いられたが、最近は赤ちゃんの靴が買える程度の金額を包むことが普通だそうな。概ね3000円から10000円。祝い事なので、数字は奇数。

最近は貸衣装も多くなったらしいが、正式には赤ちゃんの祝着も父方の祖父母が贈るとのこと。おじいちゃんとおばあちゃんになるのも、ゆるくないなぁ。(「ゆるくない」は「楽ではない」という北海道弁。失敬!)。


姫の井戸


武田水琴窟


添水
今はすでに館もないこの地で、武田を偲ばせるゆかりのものが境内の庭にあった。

姫の井戸
信玄公の息女誕生の折り、産湯に使用した事に因り「姫の井戸」と名付けられたと云い、また「茶之湯の井戸」とも言われ、この井戸より発見された茶釜等の品々が現在方仏殿に展示されており、当時の生活を推測する貴重な資料であるとともに、この茶釜は勝頼公が京よりの客をもてなす茶会の折り使用した茶釜とも云われており、屋形内で茶を点てるときにはこの井戸の水を用いたと言われております。(境内説明文より)

水琴窟
土中に底に小さな穴をあけた甕を埋め、そこにわずかな水を流す。水はその穴から水滴となって落ち、甕の中で反響し、琴の音にも似た澄んだ音色を地中に響かせる。一つの音文化の極致である。江戸期、文化文政の時代に庭師によって考案させたこの技術は、茶室のつくばいや庭先の手水鉢に設けられ、数奇者たちに愛でられた。昨今は「癒やし」の音として注目をあつめている。(境内説明文より)

添水
いわゆる鹿威しの一つ。元来は、野山を荒らす鳥獣を追払う仕掛けであったが、数奇者(風流を好む人)手によって、庭内に転じ設けられるようになった。動きと共に音を楽しむ日本独特の文化の発露である。(境内説明文より)

水琴甕の竹の先に耳を当てると、琴よりももっと可憐な音が途切れ途切れに聞こえてくる。あぁ~、なんて風流なんだろう♪

お庭の傍には演舞台がある。ちょうど「武田神社奉納舞」という催しに遭遇。10数人が立ち見していたので、私と相棒も見物させてもらった。舞台の正面には広い芝生があり、そこに折畳み椅子が3脚設置されている。座っているのは、関係者らしき年配の男性2人。そうこうするうちに、そのうちの1人が帰って行き、前を通りしな私たちに椅子を勧めてくれた。後ろを振り返るといつの間にか見物人は私とツレの2人のみ。

なにげに見やれば、ただ1人残って座っていた男性は、マイクをしっかりと握っていた。どうやら、進行係のようだ。それから数曲が無事済み、男性が次の曲の紹介をすると、舞台の踊り手たちが「えぇぇぇぇ~~~」と棒立ちになって一斉にブーイング。今終わった曲を、再び紹介してしまったようだ。プログラムを手にしているのに、どこまで進行したか解らなくなってのしどろもどろ。以来、私たちから遠く離れて見ていた職員さんも踊り手たちも、ハラハラドキドキ状態。無論、私も!

曲と曲との変わり目がどうなるのかと・・・。もう、踊りどころではない。


11/09/23 武田信玄の墓

信玄の墓所


信玄の遺体はこの場所に仮埋葬された
ここまで来たのだもの、この足で信玄のお墓へも行ってみよう。

武田信玄は、持病の悪化で帰国途上の長野県下伊那郡阿智村で没した。天正元年(1573)4月12日、享年53歳。臨終のおり「喪を3年間秘す」ことを命じたため、ここに仮埋葬して3年後に遺骸を荼毘に付したそうな。

「信玄さん、どこだぁ~~~~~。」
武田信玄公御墓所は甲府市岩窪にあるらしい。武田神社からプラプラと歩いて、「岩窪」と住所表記されいる町内にたどり着いたのだが・・・

ちょうど通りかかった年配の地元女性に訪ねてみた。
私  「あのぉ、武田信玄のお墓がこの辺りにあると聞いたのですが・・・」
女性  「昔、行ったことがあるんだけどぉ、どこだったかなぁ~~。」

周辺をぐるりと回った末に、なんとか墓所を見つけ出した。にしても、密やかだ。墓の前の説明文によると「ここ信玄公墓所は、近所の人々の心の支えとなっている。」・・・・・・・おっとぉ、さっき道を尋ねた女性は、心の支えどころか墓所の場所すらも知らなかったよぉw


11/09/23 奥藤


甲府鳥もつ煮@500円


盛り蕎麦@600円・大盛り@810円
甲府に来たからには、是非にも食べて帰りたいと思っていたのが「甲府鳥もつ煮」。しかし、どこへ行けば正統派「甲府鳥もつ煮」が食べられるのだろう・・・。なんて心配は、無用。ちゃんと駅前にあった、元祖鳥もつ煮の店が!

甲府鳥もつ煮は、山梨県の蕎麦屋「奥藤」で1950年頃2代目主人の塩見勇蔵が鳥もつを使った料理を発案し、弟・塩見力蔵がレシピを完成させたそうな。ニワトリのモツを砂糖と醤油で照り焼き煮にしたものである。一般的なもつ煮との違いは、汁がほとんどない点。

「確かに!甘辛くてこってり味で、酒の肴にもってこい。」なんだかモリモリ元気が出そう~~~~♪

このお店、本来は蕎麦屋。なので、蕎麦もちゃんと堪能してきた。うんまい~~~。




ここは甲州。なら、やっぱりワインだよねぇ~♪
勝沼ワインのワンカップタイプ赤&白を買ってみた。@323円


閑話
子連れの嗜み
その1

本日23日は金曜日で、三連休の初日。甲府周辺には、登山者には垂涎の山登りコースが随所にある。加えて、彼岸。電車は、「山登り客」と「墓参のための里帰り客」で超満員状態だ。

一番先に電車に乗り込んだ私とツレは、窓側のむかいあった席をゲット。後を追う様にやってきた4・5才位の男の子を連れた老夫婦は、祖父が孫を抱き、祖母は通路を挟んだツレの隣席に上体だけ孫の方へひねって座った。この時点では孫の前の席は空席。「ここ、よろしいですか?」と礼儀正しい中年女性が私の隣に落ち着いた。無論、孫と祖母のボックスも、電車が動き出す前に空席は全て埋まってしまった。

さて、孫の男の子は・・・すでに飽きていた。祖父母の席を行ったり来たりして、靴をはいたまま祖母の膝に乗ったり降りたり。前の席の女性のパンツに靴が触れても、祖母は寝たふりで知らんぷり。一方、女性は本を読んでいる・・・ふり。ひたすら耐える。そのうち孫は奇声を発し、祖父のシートをのぼって裏側の客の頭を叩いた。それでも、保護者たちは叱る様子もない。まるで手の施しようがないモンスターそのもの。「山があるのに山梨県かぁ~、ppp」と子供にわかるハズもないダジャレを言って、一人悦に入ってる祖父。一体、何を考えているのやら。

一家は、終点のひと駅前で降りた。私の隣、祖母の向えの女性には一言の詫びも言い残さずに。皆でひたすら耐えた時間は、長かった~~~。本から視線を外した女性が、ほっと吐息をもらして苦笑いを浮かべた。
埼玉の女性

私の隣の女性は、埼玉在住なのだと。実家が甲府駅のすぐそばにあり、今は妹が生家に住んでくれているので、今日は墓参りに帰郷したそうな。

「甲府市のいいところ?やっぱり、昇仙峡かしら。あ、でも今日は雨で足元が悪いので明日の方がいいかもしれませんね。」

「よっしゃぁ、地元出身の方イチオシならば是非にも行ってみたい。明日の天気をみて・・・行こう。


その2

夜、甲府鳥もつ煮を食べに行った時の話。ちょうど隣の席には、祖父母やら孫やらのご一家。子供は4・5才程の男の子。家族たちがあれこれ食事を楽しむ間に、すっかり飽きてしまったご様子。で、そこでその子が取り出したのが、落書き帳。両親や祖父母が楽しく料理と会話を楽しむ間、彼は真剣な面持ちで描き続ける。隣に座る私は、気になってちょっと覗いてみた。「んんん、怪獣?」と思わず私。受けてツレが「いや、違うだろう。迷路だろ。」と身を乗り出した。

ご両親はじめ祖父母の方がにっこり微笑みを浮かべて、それを見守る。どうやら、絵の正体は「迷路」だった模様。失敬!

なるほどなぁ~。
大人につきあわせて子供が飽きるのは当たり前。周囲の人に迷惑をかけないためにも、飽きた時のために他の遊び道具を準備しておくのは保護者のちょっとした心得。まぁ、それ以前の常識ではあるが、今朝電車の中で出会った祖父母と孫にしても、あの時 祖母が祖父と向かえ合せに座れば、孫の行動による他客への迷惑はある程度カバー出来たはず。それを、通路の向こうの席に座って孫と一線を画し祖父に任せきって寝たふりという行動は無責任に思えてならない。

「子連れの嗜み」その両極を同じ日にみた。子供というのは、未成熟。それによる他人への迷惑を、最小限に抑えようと補うのが保護者の務めだろうと思う。そして、そんな機会に彼に社会性を教えるのも勿論周囲の大人の役目。





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6日目    甲府→松本  編         今日の歩数=17.525歩    晴

11/09/24 甲府駅前ターミナル


駅前バスターミナル
今日は、昨日電車でお会いした御婦人お勧め「昇仙峡」を目指すことに。
日本でも指折りの渓谷と聞けば、次のチャンスが何時あるのかも知れぬし無理をしてでも見ておきたい。

駅前南口バスターミナルから、ローカルバスに乗り込む。
しっかしなぁ、さすが本州だぁ。ここから新宿までのバスが出ているなんて、津軽海峡をまたぐ北海道では考えられないこと。地続きの底力を、改めて知らされた思いwもうじき、函館近郊の北斗市に新幹線が通る。更にその先・札幌まで路線が伸びるのはいつのことか・・・。そうなれば、北海道はもっと本州に近づくのに。

現在のところ、私が生きている間には実現しそうにない状況なのが、残念で寂しいかぎり。






11/09/24 昇仙峡
昇仙峡は、甲府盆地の富士川と荒川に位置する渓谷の景勝地。平成百景で全国第2位に選ばれた。長潭橋↔仙娥滝までの全長約5kmにわたる渓谷がハイライト。

「滝上」というバス停でバスを降り、そこから渓谷沿いに散策するのがいいらしい。との「消息筋情報」を元に、まずは甲府駅南口バスターミナル3番乗降口から昇仙峡行きのバスに乗る。「滝上」まで所要60分。@870円。

しかし、このバスはどうやら地元の人が生活に使っている路線バスのようで、バス停がやけに多い。しかも「滝上」というバス停が待てど暮らせど登場しない。そんなこんなのうちに「新静観橋」に到着し、乗客のほとんどが降りてしまった。もしかして、ここが「滝上」?運転手さんに聞いてみたが、さっぱり要領を得ず、やっと分かったのは次に止まるのは「ロープウェイ前」だと言うこと。え、そんな山の麓へ連れて行かれては大変。私たち、渓谷沿いに散策をしたいのだもの。・・・で、降りた。
山梨ワイン王国


山梨ワイン王国


アンクル・ラヒム


休憩&販売ロビー


葡萄液&ジャスミン茶
バスを降りた所にあったのが「山梨ワイン王国」。裏にローズガーデンが併設されているが、まだ出発の一歩を踏み出したばかりの私と相棒。ここを見てた日にゃぁ、半日はかかりそう。で、ローズガーデンは諦めた。しかし・・・ワイン王国の方は気にかかる。何故?って?だって、入口のベンチでアンクル・ラヒムの“酔っぱらいおやじ”が気持ちよさげに手を広げてWelcome。粋でお洒落なお出迎えには勝てない!つい足が向く♪

アンクル・ラヒムのお話

ただの“酔っぱらいおやじ”じゃぁありません!
ほんとは恋のキューピット☆
普段はローズガーデンのお庭番だけれど、ワインを飲んだ時だけ天使の力がよみがえります!
両側にいっしょに座って写真をとると、そのふたりの仲をいつまでもとりもってくれます、きっと。
ひとりでとると素敵な誰かがやってくる?かも・・・。

                                       (アンクル・ラヒム紹介文より)

王国の中へ~。
アンクル・ラヒムが招き入れてくれただけあって、なかなかに洗練された空間!入口ではスタッフが待ち受けていて、和かに奥へ招き入れてくれた。勿論、ワインの試飲へ!ここの凄いのは、試飲ワインの種類の多さ。一体、全部で何種類味わったっけかなぁ?その間、下戸のツレは休憩ロビーに案内され、干葡萄や葡萄液やジャスミン茶でもてなしを受けていた。至れり尽くせりのサービスに、感激!♪
仙娥滝


仙娥滝入口


仙娥滝


遊歩道


渓谷
仙娥滝は、「日本の滝百選」のひとつ。
その名の由来は、中国神話で月へ行った女性・嫦娥にちなみ名付けられたという。つまり、月のこと。

この滝は山梨県の代表的景勝地・昇仙峡の最も上流に位置し、その昇仙峡のシンボルとも言われる覚円峰の麓にある。地殻変動により出来た花崗岩の断層の岩肌を、滝の水が削るように激しい勢いで落下する。落差・30m。昨日の台風で、水流は黄土色に濁り、荒々しい流れを作り出していた。

さて、この仙娥滝からは渓谷に沿った遊歩道。川を覗きみれば、ゴロゴロと大きな奇岩が横たわり、流れを幾重にも分けていた。言葉では表現できない雄々しさ。

後日譚
仙娥滝の虹
こうして上流から下流へと下り、長潭橋から又来た道を逆戻りして、スタート地点の新静観橋まで取って返した私とツレ。実は、長潭橋の近くにもバス停があり、そこから乗車した方が甲府駅前までは近道だったらしいと後で気がついた。

しかし、嬉しい誤算が待っていた。
この仙娥滝へ戻ってきた時、ツレが突然つぶやいたのだ。「あ、虹だ!」滝の流れの上に、仄かで柔らかな虹が出ていた。その声に、階段を降りてきた人々が一斉に滝の方に視線を投げた。「ほら、あそこ。虹、虹だよぉ。」という声が、そこここにあがる。後ろの母親らしき女性が、娘に聞いた。「写真うつした?」娘は、深いため息とともに答えた。「うん。でも、虹は淡くてうまくカメラにおさまってくれない・・・。それに、このゴーという音と臨場感は、とても映らないよぉ。」
石門


上流側から見た石門


下流側から見た石門
仙娥滝を過ぎ、左手に渓谷を眺めながら遊歩道をゆくと、昇仙橋に出た。この橋を渡って対岸へ。ここからは、右手に渓谷を観ながら歩くことに。まもなく石門が現れた!

石門というのは、花崗岩の巨石で出来た天然アーチ。これ、万万一、いやそんな事はありえないとは思うけど、私が下を通った途端にドスンと崩れたり、なんてぇことは・・・ないよなぁ。
長田円右衛門

覚円峰を臨む円右衛門     by 匁
昇仙峡を拓いた男・長田円右衛門。

かつて、険しい山道だけだった昇仙峡一体の村人たちは、薪を背負い一日がかりで甲府城下への道を往復したという。その昇仙峡に9年がかりで道を拓いたのが、一介の百姓・長田円右衛門。

彼は周辺の村の名主を説得して人足を調達し、近隣の村に寄付金を呼びかけて工事を完成させた。その後、「昇仙峡のシンボル」とも言われる“覚円峰”を見上げる対岸のこの地に、彼の功績を称えた碑が建てられた。

長田円右衛門は、手足にヒビ、アカギレを切らしながら山を切り谷を割るなど苦難の末始めて道を開いた。顔は醜く鬼のようであるが心は菩薩のようである。    (円右衛門碑案内板より)

これは、褒めているのか、はたまた貶しているのか・・・?実はこの碑、彼の生前に建てられたもの。とあらば、後世まで残るこの文を、ご本人はどんな顔で眺めていたのやら。存外ニヤニヤして眺めていたのかも。想像すると、楽しい。
覚円峰

覚円峰と天狗岩
昇仙峡の主峰にして一番の見所・覚円峰(かくえんぼう)。

覚円峰は、花崗岩が風化水食を受けた果てに出来上がった、水面からほぼ垂直に立つ高さ約180mの巨岩である。

名前の由来は、僧侶・覚円が畳数枚を敷ける広さの頂上で修行をしたためだそうな。

おぉ、何という悠然たるその立ち姿!
そそり立つその雄姿を対岸から眺むるだけで、その修行の厳しさをうかがい知ることが出来る。第一、頂上まで登るだけでも至難の技だろう。その上、あの尖ったてっぺんで座禅なんて・・・。つい居眠りでもしようものなら、即座に谷底へ落ちて命を落とすこと間違いなし。

仙人が住んでいても不思議ではないような神秘が、覚円峰一体に漂う。そう言えば、覚円峰と向かい合っている天狗岩。どことなく天狗の横顔に似ているような。そうか、仙人のみならず天狗もあり!か。
夢の松島

夢の松島
覚円峰の足元に、夢の松島がある。

その名の通り、松の木が生えていた。「だから松島かぁ。」で、どこが「夢」?

いえいえ、ここ昇仙峡は松がキーマン。たかが松、なんて言うなかれ。されど松。
奇岩と水面と河原の白砂。それらを、うま~くコーデして引き立てるのが松の役目。松こそが、この素晴らしくも荘厳な風景を醸し出しているのだと。加えて、春にはツツジ、秋には紅葉。それらの美しさを、深い緑の松が引き出しているそうな。こりゃぁ、お見逸れしました。

金渓館

金渓館


岩魚定食@1200円
昇仙峡一の絶景ポジションが、ここ金渓館。

吹き抜け構造なので、全景360度が見渡せ、外で食事をしているような感じ。目の下を渓流が流れ、視線を少し上へ移動すれば、そこには「夢の松島」。さらに視線をあげれば「覚円峰」と対峙する「天狗岩」。ここに座れば、ひとめで昇仙峡のハイライト・ポイントの全てを手に取る様に見ることが出来る。渓流のせせらぎの音が心地よい。あぁ、なんという贅沢!!!

さて、注文したのは「岩魚定食」。本当はここ、創業百年という手打ち蕎麦が評判の店らしい。道理で、周囲の客たちが蕎麦を注文していた訳だ。とはいえ、私は断然「岩魚」。「岩魚」は本州の魚で、北海道にはいないのだもの。

サケ科とは言え、身が白い。生まれて初めて食べる「岩魚」は、小ぶりでサッパリと淡白。これ 好きだなぁ~。

食べたことのない料理との出会い、これぞ旅の至福なり。
※北海道では、オショロコマと言う種類が存在するそうな。食べたことないけれどw


食事をしながらまったりと絶景ポイントを鑑賞した後、再び渓谷ぞいに長瀞橋まで歩く。長瀞橋は昇仙峡の南側入口。ここを出発点として、私たちとは逆に下流から上流へと向かう人も多い。で・・・長瀞橋まで到達した私たちは、来た道を戻って今朝バスを降りた新静観橋まで戻ることにした。これが、一期一会の出会いへの伏線となるなんて、神のみぞ知る事実。


閑話
タクシーの相乗り
新静観橋のバス停では、十数名の人々が手持ち無沙汰な様子でバスを待っていた。「どれどれ。」とバス時刻表を覗き、びっくり。次のバスの時間まで、まだ1時間弱もあるではないのw

と、その時人垣の中に分け入って来た人が、誰にともなく言った。「甲府駅前まで、相乗りしない?えぇと、バスだと一人@870円だけど、4人乗って一人@900円でいいよ。バスを待つより早いし、お得だよ。」・・・あぁ、タクシーの運転手さんか。それに応じて、ご夫婦連れが快諾。しかし、定員4名のうちの残り2名の希望者が見つからない。運転手さんに声をかけられた人みなが、申し合わせた様に首を横に振る。知らない人との相乗りは“気がはる”と言うことか?

その時、運転手さんと私の目が合ってしまった。「ウン?私?」
これから1時間もここでぼんやりバスを待って時間を費やすよりは、今タクシーに乗る方が時間的に断然効率的。それに、私たちはこれから今夜の宿・松本まで移動せねばならない。出来るだけ早く甲府駅に着きたいのが、正直なところ。さらに、値段もバス代に@30円プラスなら、バスとそう変わらない。こんな思いが、一瞬頭の中を駆け抜けた。ツレの顔をさぐってみると、目でOKサインが。かくして、他のバス待ちの人々をその場に残し、我ら4人は甲府駅へ向け出発。お先に~♪

相乗りのお相手は、我らと同年配の新宿のご夫婦。休みを利用して、昇仙峡へやってきたそうな。私たちとは逆に「長瀞橋よりもっと下流からの登山道」を登ってきたのだと。聞けば、ご主人は松本出身。お、それは好都合。明日からの松本観光のために、情報を仕入れておこう。まずは、松本の美味しいモノを聞いてみた。「んんん、ない。駅の立ち蕎麦で充分ですよぉ。」との返答。松本で育った人が言うのだから、間違いはないだろう。少々肩透かしながら、ご夫妻の気さくな人柄を垣間見たような・・・。

タクシーは、あっと言う間に甲府駅に到着。同じタクシーに乗り合わせただけなのに、旧知の間柄のような気がしてならない。ここでお別れは、一抹の寂しさを纏う。二度と会うことはないけれど、こんな出会いも、いいものだ。

ところで、今頃まだ新静観橋のバス停では、皆さんバスを待ち続けているのだなぁ。エヘヘ。


閑話
自分へのご褒美


土産物店で、水晶のペンダント・ヘッドを買い求める女性を、何人も目にした。しかも、ウン万円単位のものを!
そうそう、甲府は水晶と蕎麦が有名。が・・・私は金属アレルギーなので、金とプラチナ以外は肌がかぶれてしまうw そんな事情もあって、体に装着する装飾品よりも目が他へ~。

視線の先は、「印傳」。鹿革に漆で模様をつけると言う。これも甲府の名産品。実は私、ずっと以前から興味津々だったのだけれど、今まで購入の機会がなく過ごしてきた。ところが、親友が知人からプレしてもらったとこの旅の出掛けに聞いた。これで、私の「欲しい心」に火が点いてしまったみたいで、頭の一角に「印傳」のふた文字が住み着いたようだ。これは買うしかない。

店のショーケースを睨むこと、小半時。もう、迷い迷ってしまって・・・。そこへ店主が現れて「お安くしておきますよ。」って・・・なんぼ、安くしてくれるの?店主はこちょりと耳打ちした。「下3桁をおとしますよ。」。定価が@9800円だから@9000円。よっしゃ、買う~。迷い抜いた果て「とんぼ柄」で小銭入れが開閉式のものをゲット。本音を言えば、買うことは最初っからほぼ決めていた。迷っていいたのは、柄なのだ。そんな時、店主の言葉が私の背中を押したという次第。

念願の印傳を得て、にっこらかっこら渓谷を歩く私。と途中の土産物店で印傳の財布を発見。なになに・・・定価が@9000円ってぇ、私が値引きしてもらった後の値段がこの店では最初っからの値段かいw しかも、とんぼ柄の同じ財布もあるし・・・。別に高く買った訳ではないし、結果どっちで買っても@9000円には違いないのだけれど、商売人のテクニックを覗いちゃったみたいで、ほんのり苦笑い~。とはいえ、印傳にハマってネットで検索するこの頃。この鹿皮の肌触りと絵柄は、堪らなくエエなぁ~♪

ところで、買う時には巷でよく耳にする「自分へのご褒美を」と言う、自分への理由付けをしてみた。けれど・・・よくよく考えてみれば、私ご褒美をもらうほど日頃 働いてないなぁ~www


11/09/24 そばドラ


小倉あん&マーガリン@168円
14:45発 松本ゆき。これに飛び乗った私と相棒。

途中の停車駅、そのわずかな時間に甘党のツレが買ってきた、ご当地のドラ焼き。なんでも、ドラ焼きの皮にそば粉を入れているそうな。

「うまい、旨い」と満足気なツレ。



松本駅に着いたのが、PM5:00 気温が17℃。今朝の甲府市では、道行く人々のほとんどが半袖だったけれど、松本は長袖の人が総勢をしめていた。寒い!
11/09/24 スーパーホテル松本駅前

スーパールーム
今夜のお宿は、松本駅前の「スーパーホテル」。

夕べの甲府も予約を入れるのに難儀したけれど、ここは更に苦難の末やっとの思いで何とか空室を確保。名前のとおり駅前という立地に加えて、今日は連休ど真ん中の土曜日だもの。混んで当たり前か。

部屋は、セミダブルベッドと上にシングルベッドが配されたスーパールーム。最高で3名まで泊まり可能。

館内をフラッと徘徊していたら、フロントのスタッフと年配の女性客の会話が漏れ聞こえてきた。
客     「あのね、ここって天然温泉って書いてたけど、どこにあるの?」
スタッフ 「申し訳ありません。ウチは、大風呂はないんですよ。」
客     「えぇぇ、嘘書いちゃあぁダメじゃぁないの。こないだ、オタクの社長がテレビに出て自慢してたよ。 社長に言っといて!」
スタッフ 「www」

そうそう。私も、どこかで天然温泉と見たようなぁ~。あれは、消息筋のネットのクチコミ情報だったのだろうか?今となっては、藪の中。


パン


サラダ&コロッケ
スーパーホテルは、無料の朝食つきなのが嬉しい♪

パンの種類が多いのが、特徴的!無論、スープもある。他にも、ご飯や味噌汁も用意されているので、「朝は和食を」という方も問題なし。

何より有難いのは、自動販売機のカップ系飲み物を朝食時間帯に限り無料で自由に飲むことが出来ること。コーヒー、珈琲~♪


11/09/24 イイダヤ軒


天麩羅そば@360円


山菜そば@380円
夕飯は、「松本の美味しいもの?駅の立ち食い蕎麦で充分!」と教えてくれた昇仙峡から駅までタクシー相乗りご夫婦イチオシの「蕎麦屋」へ。

場所は駅前。ホテルからは、道路を挟んだほぼ向かえという有難い立地だ。ここは隣が「飯田屋」と言うホテル。つまり、ホテル経営と駅弁と駅蕎麦と蕎麦屋3軒を多角経営しているのだ。麺は自社工場製。ねぎは無料でいれ放題。+120円で替え玉の注文も可能。

中へ入ると、すでにパラパラと先客がいた。カウンターの席に腰を下ろし、値段表を見上げてびっくり。なんと!駅の立ち食い並みのお値段~♪人気がある店だと聞いてきたけれど、成程~~~~~~~~。

カウンターの中のスタッフは、中年女性が1名のみ。次々に出入りし入れ替わる客の動きを全て視野に収め、くるくるとよく働く。そのうえ、合間に私たちの話の相手まで務めてくれる。

話題は電力問題。ここ松本は、中部電力・浜岡原発なのだそうな。「何でだろうねぇ?」と彼女。そう言えば、甲府は東京電力だったっけ。「冬のために今からファンのつかないストーブ(ポータブルストーブか?)を買う人が多くて、品薄で手に入らない。孫のことを考えると、原発はどうなんだろうと思うけどねぇ。」と、言葉をついだ。「東海地震が、いつ起こっても不思議ではない。」と言う専門家がいる。浜岡原発はその地震帯の真上に位置しているために、最も危険な原発なのだとか。天災は、いつやってくるか解らない。それを思えば、確かに怖い。





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7日目    松本→奈良井宿→金沢  編         今日の歩数=20.146歩    曇

閑話
後悔 先に立たず。
この旅も、いつもの通り行き当たりばったり。取り敢えずは、利用交通機関とホテルだけを押さえて出発。しかし、ここへ来てその杜撰な計画にふつふつと後悔が湧き上がってきた。何故?ってぇ・・・。予定では、昨日一日かけて松本近辺を観光するつもりだったのだ。が、天気の関係もあり甲府の昇仙峡が松本泊まりの昨日に食い込んでしまった。よって、移動時間もかかり、昨日松本入りしたのが午後5時。蕎麦を食べただけで、夜が更けてしまったw

そもそも、松本に1泊というのが失敗の元。このあたりなら安曇野もあるし、奈良井宿にも行きたいし、折角だもの市内観光だってゆっくり楽しみたい。となれば、3泊は必要だったのだ。さらに、悪いことには明日の宿は金沢。しかも、電車好きのツレの希望を取り入れて、普通列車で7時間かけて移動の予定。昇仙峡の時の様に、翌日に予定を食い込ませる事も出来ない。どう考えてみても、3択のうちの2つはスパっと諦めるより手はなさそうだ。という訳で、本日の観光は選択から漏れた2つに心を残しつつ、奈良井宿と決めた。安曇野~、市内観光~・・・うらめしやw


11/09/25 奈良井宿
奈良井駅


ホーム


奈良井駅




牡丹売りの籠
駅の待合いにて
松本 AM7:41発 (JR篠ノ井線・中津川行き)@570円。→奈良井宿 AM8:38着。

電車の同じBOXに座ったのが、牡丹売りのオバチャン。車両の前部に空席を見つけると、背中に背負っていた大きな籠をさりげなく後部の隅に置いて、体ひとつを慎ましくシートに埋めた。他の客の邪魔にならない様に、との配慮。爽やかな、風が吹いた。
宿場町


正面が鳥居峠。


水場


2階の千本格子が素敵!


鎮神社
江戸と京を結ぶ街道・中山道。その中山道67宿中、江戸側から数えても京側から数えても34番目に位置するのが、ここ奈良井宿。

木曽11宿のうち北から2番目の難所・鳥居峠を目の前に控えているため、旅人はこの宿で草鞋を脱ぎ、峠越えに備えて一夜をあかしたと言う。かくして、この地に町並みが形成される。その賑わいは「奈良井千軒」と呼ばれ、木曽路一番の繁栄を遂げた。駅から歩きだすと、鎮神社が京側の端っこである。

奈良井宿のあちこちで見かけるのが水場。江戸時代、旅人の喉の渇きを潤し続けて、今日に至る。こんな所にも、かつての宿場町の面影があった。

今もそのままに残る旅籠の軒灯や千本格子などを見上げながら宿場を歩きまわると、まるで時間を超えて江戸時代に迷い込んだ気がしてならない。

おや?あそこの道端に座り込んでいるのは、例の牡丹売りのオバチャンではないの。おぉ、ここで商売をしていたのね。
そう言えば、ここの宿場町は一本道、駅で降りたのだもの、どこかで出会っても不思議はないハズだ。
中村邸

中村邸

鐙庇と猿頭


家業は塗櫛問屋
奈良井宿を象徴する建物・中村邸。入館料@300円。

 ここは、NHK朝ドラ「おひさま」で、渡辺えり演じる御菓子屋・村上堂として撮影に使われた建物。
 ←こんな感じ!

元「塗櫛問屋」だったそうな。塗櫛は、それまでの白木の櫛に赤漆を塗って仕上げたもので、その美しさゆえに、飾り櫛として珍重されたのだと。当時の人々の目を釘づけにしたであろう事は、想像にかたくない。

間口の狭い入口から中へ入ると、吹き抜けの台所には竈や囲炉裏があり、中の間、奥の間と続き、その先には蔵がある。このウナギの寝床のような造り、どこかで見たような。そそ、奈良の町家にそっくり!

箱階段をのぼった2階は、茶室。奥にある「もうひと部屋」には、塗櫛が展示されていた。ただし、この両部屋は1階の台所の吹き抜けを挟んでいるため、直接行き来することは出来ない。生活するには、不便そうだけれど、こういう間取りにしたには、何か訳がありそうなぁ~。

「こりゃぁ 合理的!」と感心したのは、通り土間が裏まで続いていいるので、蔵から商品などを土間を通って運べる様になっていること。なかなかに、使い勝手が良さそうだ。

奈良井宿以外には見られない独特なもの、それが猿頭と鎧庇である。道路側にせり出た二階を支える梁、その先に猿頭で支えられた鐙庇(よろいびさし)が付いている。この鐙庇は釘類を全て下から打ってあり、盗賊がこの鎧庇に手や足を掛けようとすると、庇が壊れて落ちる仕掛けになっているそうな。盗難防止のための先人の知恵に、敬服。
買い食い


おやき(野沢菜)@190円


ごへい餅(ゴマ味噌だれ)@150円
先に書いた様に、この道は駅から続く1本道。鎮神社が京よりの尻尾。で、そこからは又駅へ向けて引き返すことになる。

「お、なんだ?この人だかりは?」。見れば、若い男性たちが某店の前でたむろしていた。掻き分けて覗いたら、何とそこは「おやき屋さん」。へぇぇ、若い男性もこういう和製スィーツを食べるんだァ?とニンマリ振り返れば、何とツレがすでに財布の口を開いて小銭を取り出していた。

ここのおやきは油で揚げられているので表面がギトギト、中のあん・野沢菜は美味しいのだけれど、少々油っこさが後をひく。ごへい餅も、形が想像とは違っていた。ゴマ味噌だれが、香ばしくて美味しかったけど。伝統の「おやき」や「ごへい餅」というよりも、創作の店なのかも。
奥田屋

おやき(切り干し)@170円
それから数m程歩いた所で、ツレの足がとまった。「おやき屋」さん。今、食べてきたっしょ~。なんてぇ私の発する雑音は、右から左に通過する根っからの甘党。にしても、「切り干しのおやき」と言うのも少々興味をそそられる・・・。

とはいえ、私はもうお腹がイッパイ。なので、申し訳ないけれど「おやき」を1個だけ注文した。おやきは昔ながらのおやき。さっきのおやきと違って油で揚げていないので胸焼けもなさそう。

そのうちに、ひとりの女性が入ったきた。牡丹売りのオバチャンだ。又、ここでお会いするとは・・・。店主とは顔見知りらしく、おやきを食べながらの世間話が始まった。
店主「こっちではどこに泊まってるの?」
オバチャン「普通のビジネスホテル。」
オバチャン「嬬恋の店は?奥さんがやってるの?」
店主「いやぁ、人を使ってやってるさ。奥さんは奥にしまってある。」

1個しか注文しなかったにもかかわらず、店主が振舞ってくれた2人分のお茶と浅漬けを店内のイート・イン・コーナーで頂戴した。店主と牡丹売りのオバチャンとの会話が醸し出すほんわかとした空気も又、ご馳走なり。


さて、金沢へ向けてGo!




リゾート・ハイブリッド電車

JR白馬駅




JR糸魚川駅




JR富山駅
一旦 松本駅へ戻り、そこから4回の乗り継ぎを経て、約7時間電車に乗りっぱなしの強行軍。そのため、ほとんどの駅は車窓からの眺めだったのが、残念でならない。

それにしても、7時間もの長い時間、電車の中で大丈夫かなぁ~私。との心配は、乗り換えで忙しいせいもあってか、長さを感じるいとまもない。車窓を、見慣れぬ景色が次から次へと現れては飛んで行き、聞いたことのある駅名が一瞬の間に視界を通過していく。ツレの電車好きの訳が、ちょっと解ったような気がする。


11/09/25 白馬駅

駅前
白馬駅は、白馬エリア観光の拠点駅。98年長野オリンピック冬期大会開催地・白馬会場の最寄駅として、つとに有名である。普通列車は、松本から1日13本が運行。

この駅で、やっと10分少々程の停車時間に恵まれた。実は、電車に乗る時に弁当を買いはぐれてしまったので、もうお腹がぐうぐう。駅員さんに断りを入れて改札を抜け、駅前で弁当屋さがし。やっと見つけた!と思ったら、すでに夕方。売り切れて棚はカラ。仕方なく、その横に並んでいた地元産の真っ赤な林檎を買って、電車へと戻った。

ここ白馬駅は、中央線松本駅から60km、日本海の糸魚川駅まで46km。次の停車駅・糸魚川駅でのチャンスを待つことにしよう。


11/09/25 糸魚川駅
ここで、1時間の停車。待ってました!早速 電車を飛び降りて、駅前に繰り出した。とは言え、食事をすれば1時間などあっという間に過ぎてしまう。折角だもの、街を散策する時間にまわして、空腹の方は弁当でも買うとすっかな。

と、と、と、と、えぇぇ~、これが糸魚川駅前?かなりひっそりと寂しい感じがするけれど、もしかするとここがメインストリートじゃぁないのだろうか?確か、2014年開業の北陸新幹線の駅が設置予定のはず。そうなれば、駅前周辺は再開発で見違える様な変身を遂げ、賑わうのだろうな~。
フォッサマグナ
←駅前をゆらゆらと歩いていたら、こんなのを発見!

フォッサマグナは、本州の中央部にある地質構造上、東北日本と西南日本を分ける地帯。西縁は、糸魚川・姫川・静岡を通る糸魚川-静岡構造線と呼ばれる大断層で、東縁は新生代・第三紀の厚い堆積物に覆われて明らかでない。フォッサマグナという名称は1885年にナウマンによって付けられた「大きな溝」という意味のラテン語。

フォッサマグナは、日本列島を分ける2つのプレートの境界と考えられている。   
                            (学習百科事典キッズネットより)

ここからは日本の西へ足を踏み入れるのだと思うと、感慨も一入。
ほたて釜めし



ほたて釜めし@1000円
駅前あたりに弁当屋が見い出せず、結局駅内のコンビニへ。

と「ほたて釜めし」がショーケースの中に1個だけポツンと寂しげに待っていた。「釜めし」は、糸魚川の人気名物弁当。残っていたのはラッキーと言えなくはないが、1個だけかw 無いものは仕様がない。2人仲良く?1個の弁当をつついた。美味しいんだけれど、売れ残っていただけに、ご飯も具もすっかり冷えきっている。レンジでチンできたら、さぞや旨いだろうに~。


11/09/25 金沢駅


もてなしドーム。
おぉ、かっちょエエ~。
着いたぁ~~~~~~、加賀百万石・金沢に!

なんでも、2001年に北陸鉄道の北鉄金沢駅ともども中部の駅百選に選定されたそうな。にしても、豪華な駅舎!2014年には北陸新幹線が延伸開業予定だけあって、活気に溢れている。開業の暁には、東京-金沢間が2時間25分で結ばれるのだと。なんとも、羨ましい限り。


11/09/25 ドーミーイン金沢

部屋に小さな流し台が。

夜鳴きそば(無料)

朝食ヴァイキングは地元名物・治部煮など
金沢駅のすぐそば。この地の利は、観光するには代え難い魅力!しかし、予約が取れたのはダブルルーム。@3400円。なんだかんだ言っても、今までの旅はずっとツイン泊。ベッドが狭かったら、眠れないのでは?今回の旅の宿で一番心配だったのが何を隠そう、いや隠してないけれど・・・ここ。

そんな不安を抱きつつも、それでも予約の決心をしたのは、天然温泉の四文字に惹かれたから。

さて、お部屋。不安だったベッドは思っていたよりも広く、これなら問題なし。部屋には小さな流し台がついていて、思いのほか便利だ。IHの一口コンロでも設置されてたら、自炊だって出来ちゃう。

朝食つき夕食なしプラン。しかし、午後9時30分から無料の夜鳴きそばが提供された。こんな時間なのに続々と宿泊客がやってくる。ラーメンは、だしが煮干系のあっさり味なので、胃にもたれず夜食にはぴったり。麺も美味しい~~。ただ、ハーフサイズなので、もっと食べたい気も・・・w

期待の天然温泉。大浴場はお洒落で、しかも15:00〜翌朝10:00まで。何度、浴場へ通ったことか・・・。いやぁ~~~、もうぅ、いい湯で、嬉しすぎる想定外!


ますの寿司弁当&地酒

富山の「ますの寿司」弁当@650円

@180円

@250円

@200円
富山での下車が出来なかったので、未だ入手する機会がなかった富山の「ますの寿司」。どこのが美味しいのぉ~?なんて、そんな事は言ってる場合ではない。金沢駅に着いたのが、夜。この時間には、駅弁もコンビニも弁当は売り切れと言う状況なのだから。と諦めていたら、ツレが駅のコンビニで又又1個だけ手に入れてきた。富山の昔亭「ますの寿司弁当」。「え?富山のますの寿司って、樽に入っていて丸い寿司をナイフで切って食べるんじゃぁなかったっけ?」と私。「うん、これはそれの弁当版だろう。」とツレ。

米どころの金沢だもの、美味しいと言われる酒も飲んでみたいのだけれど・・・如何せん!銘柄までは知らない私w という次第で、手頃なワンカップを買ってみた。いづれもコストパフォーマンス抜群な純米酒。うんまいどぉ~~~♪





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8日目    金沢市内観光 編         今日の歩数=26.047歩    晴






11/09/26 近江町市場

豆腐屋さん

おからまん@130円
「近江市場」は、石川県金沢市の金沢駅から徒歩12分の所にある市場。
金沢・能登の特産品や加賀野菜・魚介類など生鮮食品などの店が、約2.8haの敷地に約180店ほど軒を連ねる。280年の歴史を誇る「金沢市の台所」。なんでも、全部で7ヶ所ある入口を線で結ぶと「女」という字になるそうな。何か意味があるのかな?名前の由来は、そもそも、近江商人が作ったことに由来するとか。

入口にお寿司屋さんを発見。この時間なので、朝食なのか?すでに、満席だ。とは言え、私たち ホテルの朝食ヴァイキングをたらふく摂取して満腹状態。うぅぅぅ、残念。

お、豆腐屋さんだ!ここで「豆腐屋版飲茶」とするか。オーダーは、豆乳と「おからまん」。「おからまん」は、おから入りのタネを油で揚げたドーナツに似たお菓子。立ち食いの、豆乳ブレイクを楽しむ。


11/09/26 金沢城公園

金沢城
金沢城



三十間長屋(武器庫)



鶴丸倉庫(重要文化財)
金沢城は加賀百万石・前田氏の居城。

慶長7年、落雷による火災で天守閣を失った後も再建することなく、天守閣を持たない城を通した。再建しなかった理由は、一説によると、江戸幕府への遠慮があったから。又、別の説によると、金沢は参勤交代の通り道ではないので、見栄をはる必要がなかったため。

かつては一向一揆の拠点ともなった金沢御堂跡地。織田信長がこの一揆を攻め落とし、金沢城を築き佐久間盛政を据える。しかし、天正10年、織田信長は明智光秀の謀反により自刃し、盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に破れたため、天正11年に秀吉がこの城を前田利家に与えた。

世の中の趨勢が定まらず、歴史が大きく揺れたこの時、仕える主人の命運次第で、家臣の運命が大きく変わる。城を追う者とて、明日は我が身。いづれにせよ、戦国の世はツライ。
  
三の丸側      二の丸側

鉄砲狭間
そう言えば、外敵に備えた工夫が城のあちらこちらに見受けられる。

①窓 五十間長屋の窓は、二の丸側は1.2階の窓を上下同位置。三の丸側は、1・2階の窓を交互に配置。
②鉄砲狭間 鶴の丸土塀の内側に沢山造られている鉄砲狭間。実はこれ、三の丸側から見ればただの海鼠壁。しかし、いざという時には塀の中から瓦を一枚割れば鉄砲を撃てる狭間になっている。いわゆる隠し狭間。
③海鼠塀 鶴の丸土塀は海鼠塀と同じ工法で、海鼠塀と呼ばれる。三の丸側から見ると単なる海鼠壁だが、かなりの厚みがあり、その内部を空洞にして小石がつめられている。この小石により鉄砲の弾が貫通することがない。よしんば、穴が開けられても上から小石が落ちてきてすぐさま穴を塞ぎ防御する。
④鉛瓦 建物の屋根は、木の屋根の上に厚さ1.8mmの鉛板貼り付けてある。なぜ鉛瓦なのかは判然としていない。壮美に見えるようにするためと言う説と、戦になった時の鉄砲玉にするためという説とがある、それはともかく 鉛瓦のため屋根が白っぽい。

いつ敵に襲われるやもしれない当時の武将は、日夜警戒を怠ることはならず、いかに神経を張り詰めて生きていたのか・・・想像するだに、寿命が縮みそう!

トンネル
旧陸軍のトンネル
鶴丸倉庫の近くにある謎のトンネル。表からは木を覆って隠されているが、実は爆薬庫への通路として旧陸軍が開けたもの。金沢城は明治以降から第二次世界大戦の終戦をむかえるまで、陸軍第九師団司令部が接収し、陸軍の拠点として使用されていたのだ。

火災で焼け落ちた本丸の址は、何故か林。ここにある大木の数々、その中に陸軍が遺した木があった。その名「神樹(シンジュ)」。いかにも軍らしい名だが、命名の由来が陸軍に関係があるのかどうかは不明。ちなみに、別名「真珠(シンジュ)」ともいうのだと。

「神樹蚕」という名の「神樹」の葉を食べて成長する「蛾」がいて、軍はこの蛾から繭をとり絹糸を採った。しかし、戦中、絹は贅沢品とされ禁止だったはず。軍は、どんな目的で絹を得ようとしたのだろう。

後日譚
ツレいわく「落下傘のパラシュートと、後は輸出用だろう。」。(消息筋情報なり)

ウバユリ
本丸の森
昭和24年、城址に金沢大学が開学し、世界に二つしかない「城の中の大学」として注目された。しかし、大学は平成7年に郊外に移転。

金沢大学の置土産の一つが、「本丸の森」の植物たち。かつて、ここは金沢大学理学部付属植物園として、多種の植物を植え育んだ。大学設置以降の50年間に200数種もが増え、現在その数は548種を数える。

ちょうど開花を終えた多年草「ウバユリ」が、そこここにあった。「ウバユリ」は、茎が直立し多数の葉を輪状につける。葉は幅広いハート形。花が満開になる頃に葉が枯れるので、歯(葉)がない「姥」にたとえて名付けられたという。

この広い森に生息する植物は多種多様。神樹(シンジュ)などのように人の手によって植えられた「栽培種」。ウバユリのように、自ら作り出した環境により生まれ、やがて別の植物たちと入れ替わり自身は消えていく種。モミのように、種としての最後に行き着き、このまま変わることなく樹齢数百年に達する巨樹。

戦国時代→旧陸軍時代→金沢大学時代→現在の金沢城公園時代。その時々の中で生まれた種と、消えていった種と、それらを見続けた種と。多種な植物たちが各々の宿命を背負って、今日もこの森で息衝く。

金沢城公園で、ボランティア・ガイドさんをお願いした。その時、一緒に回ったのが、東京から来た若い女性。彼女は、今朝「妙立寺」(忍者寺)へ行ってきたのだと。彼女の勧めで、我らも行ってみることに決定。ただ、このお寺は大変な人気があり、事前予約が必要。この後、金沢城公園の隣・兼六園へ行くつもりなので、「本日午後3:30分」の予約を入れた。


11/09/26 兼六園

入口

噴水

黄門橋




時雨亭

瓢池(ひさごいけ)
水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに、日本三名園のひとつに挙げられる金沢の兼六園。水戸と岡山には親類が住んでいるので二庭園は早々に訪問済みだが、兼六園だけは何故か今日までご縁がなかった私。

兼六園は、加賀百万石・前田家の庭園として造られた特別名勝。13代藩主・前田斉泰の時代に、ほぼ現在の姿に造園されたと言う。

園の名前の由来は、中国・宋代の詩人・李格非が書いた「洛陽名園記」による。「宏大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古・水泉・眺望」の矛盾する六勝を兼ね備えた名園として、時の老中・松平定信が命名したのだと。

代々の藩主による絶え間ない築庭により生み出された景観は、屈指の美しさと雄大さを四季折々に展開し市民の目を楽しませる。以前は市民に無料開放されていたが、今は入園料@300円。   (写真は根上松)→。  

                                                       
噴水 1861(文久元年)につくられた日本最古の噴水である。霞が池を水源としており、池の水面との落差で高さは約3.5m吹きあがっている。(園内説明板より)
黄門橋 黄門と言っても、ここの黄門は水戸黄門ではなくて、3代藩主・前田利常のこと。中納言の位についた人を俗称で黄門と呼ぶそうな。1枚の石を2枚の石が重なって見える様に削り込んだ造作は、周囲の景色をも取り込んで重厚そのもの。圧巻!
時雨亭 代々藩主の別荘。主に茶の湯に利用されていた。建物は廃藩後に取り壊され、平成12年に復元されたもの。内部見学は自由で、休憩所として利用されている。有料にて菓子や煎茶・抹茶も楽しめるとのこと。
瓢池 池の中程がくびれて瓢箪の形をしていることから、名づけられた。池の中に、不老長寿の島・神仙島をかたどった二つの島があり、池の中島に建つ六重の塔が海石塔。(写真には写ってないけれどw)なんでも、朝鮮出兵時、加藤清正が持ち帰ったものを秀吉が前田利家に与えたという説があるそうな。飛行機のないあの時代、こんなどでかい物をどうやってお持ち帰りしたのやら。
根上松 兼六園名物・根上松は、高さ約15mの黒松。大小40数本の根が地上2mまでもせり上がった奇観は、13代藩主・前田斉泰が土を盛り上げて若松を植え、成長の後に土を除いて根を露出させたものだとか。

なんという広さだろう、兼六園!くまなく見るには、一日はかかりそうだ。しかし・・・次の訪問地・妙立寺の予約時間が迫ってきて、時間が足りない。聞くところによると、兼六園は、冬の雪吊り、春の桜、夏の輝く緑、秋の紅葉など、見どころ満載だそうな。


金沢ウォーク


しいのき迎賓館


石川四高記念館

香林坊


犀川大橋
しいのき迎賓館 大正13年に建築され、以来「石川県庁」として使用されてきた建物をリニューアルしたのが「しいのき迎賓館」。正面の「シイノキ」をシンボルとして、総合観光案内・レストラン・カフェ・会議室・ギャラリーなどとして市民に利用されているそうな。
石川四高記念館 赤煉瓦の旧四高の校舎を利用して「四高の歴史展示」・「多目的利用スペース」・「石川近代文学館」という構成で平成20年にリニューアル。文学館には、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星など石川県ゆかりの作家の資料が展示されている。文学ファンには、垂涎かも。
香林坊 香林坊は、石川県金沢市中心部の地域名。恥ずかしながら私、お寺の名前だとばっかり思いこんでいたw
名前の由来は、比叡山の僧・香林坊がこの地で目薬の製造販売で成功をおさめたためと言われている。
犀川大橋 金沢市千日町と片町1丁目を結ぶ犀川中流に架る橋。登録有形文化財。川幅が広い「犀川」に架る橋だからこそのワイルドさ。「こんな頑丈でごっつい橋って、見たことない。」としばし絶句する私。


11/09/26 犀川
ツレが「金沢へ行ったら是非行ってみたい!」と言っていたのが、この犀川。作家・室生犀星は、愛してやまなかった犀川の犀の字にちなんで、犀星というペンネームを名乗ったのだと。

一方、私の方の興味は別のところにある。実は、かの有名な「日本昔ばなし」の中の「雉も鳴かずば撃たれまい。」という民話の舞台が、この犀川と言われているのだ。これは・・・見ずには帰れない。

金沢は、犀川と浅野川の二つの川に挟まれた土地が市の中心地となっており、犀川の方は別名・男川。そして浅野川の方は女川とも呼ばれている。昔、犀川は大雨が降ると、すぐに堤防が決壊した処から男川との呼び名がついたそうな。一方、浅野川は比較的大きな氾濫もなく穏やかだったので、女川。かくして、犀川のそばには「にし茶屋街」が出来、浅野川近くには「ひがし茶屋街」が発展した。性格が真逆で対比されることが多いのだけれど、金沢の人々の生活に深く根を下している点では、そっくりな2川と言えそうだ。

こうして犀川を眺めていると、この川幅の広さをもって氾濫する猛々しい姿は、まさに男川だったのだろうと、妙に納得させられる。


11/09/26 にし茶屋街

にし茶屋街

西の検番(現在は事務所)
ひがし茶屋街・主計町茶屋街ともども、金沢三大茶屋街の一つに数えられる。

文政3年(1820年)、12代加賀藩主・前田斉広の許可を得て「ひがし茶屋街」と共に誕生。今も料亭や芸妓置屋が立ち並び、往時を彷彿とさせられる。

他の二つの茶屋街が、活発な保存運動などにより観光地化したのに比べると、ここは未だ素朴な街並みがひっそりと残る。ゆらゆらとした時間が、静かに流れていた。ふと思う。時の過ぎゆくままに、いつの日か廃れてしまわなければいいが・・・。観光客の私が言うのは矛盾だけれど、あまりに観光化してしまうのも、さびしい。反面、建物も街並みも放っておけばいつか朽ちるのが運命。保存の難しさを、思う。

検番前で周辺地図を覗き込んでいたら、ボランティアさんが声をかけてくれたのを幸いに、これから行く妙立寺(忍者寺)の場所を確認。歴史大好きボランティアさんから、加賀前田家の蘊蓄をご披露していただいた。なんでも富山県に前田家の見どころがあるそうな。


11/09/26 寺町寺院群

西方寺

国泰寺

香林寺
寺町は、名前の通り寺が70以上も集まって形成されている町。「残したい日本の音風景百選」にも選ばれたとか。そもそもの初めは、江戸時代に一向一揆の対策としてここに寺院を集めたためと言われている。

寺の隣が寺で、その向えもまた、寺。よくぞ、ここまで寺院ばかりを一か所に集めたものだ!昨今、檀家の減少で経営が火の車という寺が多いと聞く。共存していること自体が、瞠目に値する。そして、何よりこの異風景自体が壮観!!!

如何せん、私たちには時間の余裕がなく、訪れることが出来た寺は一握り。しかも、写真を撮り洩れてしまった所が多くて・・・。
西方寺 天台真盛宗。飴買い地蔵菩薩がある。
国泰寺 臨済宗。庭の樹林が有名。化学者・高峰譲吉の菩薩寺。
香林寺 曹洞宗。病気が治るといわれる霊薬菩薩があり、願掛け寺として人気。パワースポット。

他にも室生犀星ゆかりの雨宝院や人骨で出来た地蔵尊がある大円寺、芭蕉碑がある願念寺などなどまさに見どころ満載の寺院群。丹念に一寺づつ見て回りたいのだが、この寺院群の中の一つ・妙立寺(忍者寺)の予約時間が迫り、心を残しつつ踵を返した。


11/09/26 妙立寺(忍者寺)

本堂
寛永20年(1643年)、2代藩主・前田利常が金沢城近くから移築建立。利常は、徳川幕府の改易を避けるために、母親を徳川家へ人質として出し、さらに徳川家から嫁を娶る。自らは、鼻毛を伸ばしてバカ殿を演じ、幕府の目を欺いたのだと。拝観料@800円。

予約順にグループ分けして、30分ごとに拝観。私とツレはPM3:30分の予約なので、20分ほど早めに寺の庭に待機。しかし、すでに数十人の観光客が同じように本堂の前で予約時間を待っていた。さて、その場で即席に作られた私のグループ仲間は、どこぞの大学のミステリーサークルだそうな。


ここへ来る前に訪れた寺町寺院群が、一向一揆対策で寺を一か所に集めたためとのことだった。一向一揆が終息し、時は流れ徳川時代。妙立寺は、意外な変貌を遂げることになる。寺院群に多くの武士たちを寝起きさせ、その監視所として妙立寺があてられたのである。その目的は、徳川家に加賀藩を没収されないための警備と警護。そのため、要塞としての機能を備えた複雑な建築構造を持つ寺となった。世に忍者寺とも呼ばれる所以である。が、忍者がいた訳ではない。

当時は幕府の命令で3階建以上の建物が禁止だったので、外観は1階建てで内部は4階建て、中2階、中々2階と部屋数は23にも及び階段数29という、外観からは想像もつかない複雑な造りをなす。

物見台と望楼 本堂の屋根先端部にあるガラス張りの見張り台。加賀平野が遠くまで見渡せ敵を察知できる。
井戸 深さ25m。水面上にある横穴から金沢城へ続く逃げ道が作られていたのだと。真偽の程は不明。
仕掛け賽銭箱 本堂入口にある。敵が侵入した時には、落とし穴として利用される。
明かりとり階段 蹴込部分に障子を張って、外敵の足の影を見て槍などで攻撃する。
落とし穴階段 渡り廊下に見せた階段。床板を外すと落とし穴になり、落ちる先は下男部屋。
本堂裏隠し階段 物置の戸をあけ床板をめくった所につくられた階段。こっそりと外へ逃げることができる。床板に溝が刻まれているために、引き戸を閉めると外からは開かない仕掛け。
切腹の間 内側からは開けられない「片どんでん返し」となっており、非常時には自害し火を放つ部屋。「死(シ)」という音にかけて、部屋の広さは4畳間。だが、今までここで自害した人はいないそうな。

次から次へと現れる仕掛けの数々。自分が、いま建物のどういう位置にいるのか・・・皆目見当がつかない。途中でグループにはぐれたら、ひとりでは入口へ戻れないだろうなぁ。





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9日目    能登半島  編         今日の歩数=10.217歩    晴


11/09/27 定期観光バス・わじま号
ここまで来たのだもの、「能登半島」、これは外せない!ところが、ここへ行くには鉄路がない。そのうえ、路線バスも相当に本数が少ないらしい。かくなるうえは、奥の手を使おう。ということで、本日は定期観光バスに連れて行ってもらうことにした。

わじま号 金沢駅→輪島の朝市→總持寺→巌門→千里浜なぎさドライヴウェイ→金沢駅 。
所要時間=8時間。ひとり@7200円。


11/09/27 輪島
輪島漆器会館
このツアー参加者には、もれなく輪島塗の箸がもらえるそうな。ついては、「朝市の入口にある輪島漆器会館で受け取るように!」とのことで、早速行ってみた。

この会館は、一階が約100にも及ぶ漆器専門店が共同出店している販売フロア。二階が、資料館となっている。まずは、二階へ箸をもらいに行くことに。おぉ・・・・・・・・・・・・凄い!何が?って、国の重要有形民俗文化財指定を受けた安土桃山時代~明治初期あたりまでの作品や貴重な資料が、約4000点も展示されているのだ。確か、日本随一なのだとか。塗り重ねられた漆の光沢は、なんて美しいのだろう。見事な輪島塗の品々に、しばし見惚れる。

一階へ降りると、同じバスで来た父娘が輪島塗の製品をごっそり買い込んで、宅配の手配中。「父と娘とで旅行?感心な娘さんだこと。」と車中で密かに思っていたのだが、もしかすると食器店を経営していて父娘で仕入れの旅にきたのかも。
輪島の朝市
朝市通りは、ほぼ360m。約200軒以上の店が軒を連ねる。海に面した漁港・輪島ならではの「海の幸」から雑貨まで、並ぶ商品は幅広い。

地べた売りのおばちゃんも多くて、そのほとんどがまるで制服の如くモンペにタオルのほっかぶり。
「ちょっとぉ~、おねえちゃん 安くしとくからこうてってぇぇ。」と言う声に、思わず足を止め視線を奪われる。いえ、「おねえちゃん」の一言に眩惑された訳ではないっすヨ。それはともかく、この活気の源となるパワーには脱帽w

ちなみに、朝市の露店の場所は親から子へ、子から孫へと何代も引き継がれてきているそうな。こうとなれば、ある意味 無形財産のようなぁ~。私もこういう家庭に生まれおちていたならば、今頃はあそこで商売をしていたか?なんて思ったり。

輪島の女は働き者。「亭主の一人や二人食わせられない女は甲斐性なし。」って・・・やっぱ、輪島に生まれなくて良かったかもwww
えがらまんじゅう
朝市の中、数ある店の中でもたった一店舗しかない「えがらまんじゅう」の店。

餅米を潰して半殺し状態にして、その中にコシ餡をくるんでクチナシで黄色に染めて蒸したもの。餡子大好きなツレが、しみじみと言った。「これは、旨い!」。


11/09/27 總持寺祖院

山門

経堂内

開祖・螢山禅師一代記の欄間の彫り物
私が抱いていた總持寺のイメージは、広くて大きくて厳粛なお寺。しかし、行ってみると意外にこじんまりとした造りでびっくり。

行基が創建し、もとは諸岳寺(もろおかじ)と呼ばれた密教系の寺院だったのだとか。その後、「総持寺」と命名され、「能登の大本山」として親しまれたとのこと。明治期の大火を機に大本山移転の声があがり、横浜鶴見への移転がなされた。ために、それ以降はこちらの總持寺は總持寺祖院と呼び分けられているそうな。それとは別に、いつどういう理由で「総持寺」が「總持寺」と変わったのかは、不明。

そんな歴史を若い僧侶が慣れた口調で説明し、そそくさと立ち去った。あとは、それぞれに寺の中を見学。しかし、一部改築中で立ち入り不可の場所も。廊下を歩いていたら、リズミカルな包丁の音が聞こえてきた。あたりに漂う煮物の匂い。ここにも、確かに「人の暮らし」がある。そんな当たり前のことに思い至り、なんだかほんわりとした気分に誘われる。
11/09/27 芳春院
總持寺祖院の山門手前にあるのが、芳春院。

ここは、NHK大河ドラマ「利家とまつ」で広く知られる「前田利家の正妻・まつ」の菩提を弔うために建立された塔頭。本山が横浜へ移転した折に、唯一とどまった塔頭が芳春院なのだと。

まつは、母が利家の母の姉であるため、利家とは従兄妹の関係にあたる。利家との間には、当時でも珍しいほどに多くの子・2男9女をもうけた。

早くに亡くなった長男・利長の妻「玉泉院」は信長の息女で、まつはとても可愛がっていたという。一方、次男・利政は、関ヶ原の戦いの後、徳川家に従うことなく京・嵯峨野に隠遁。まつは、こっそりと次男一家の生活費をおくっていたそうな。さて、忍者寺でも登場した利家の4男・前田利常が2代藩主となった。当時は、徳川家への忠誠を示すために汲々としていた頃。まつ自身が人質として徳川家に差し出され、利常は徳川家から嫁を娶り、鼻毛をのばしてバカ殿を装う。蛇足ながら、4男はまつの子ではなく側室の子である。実子である男の子たちが、利家とまつが築いた加賀百万石を継ぐことは叶わなかったが、まつは必死で前田家を支えた。

無二の親友が、豊臣秀吉の正妻・ねね(高台院)。戦国大名として難しい世渡りが求められた当時、その妻として、信長にも秀吉にも徳川にも誠実に対峙し、時の波を乗り切り前田家を守り抜いた。聡明な女性がここに眠る。


11/09/27 レストラン巌門

がんもん定食
(ツアー料金に込)
さて、いよいよ待望のお昼ごはん。本日の我等はツアー客の一員なので、案内されるままに団体用の食堂へ。もとい、レストランへ。テーブルの上では、すでに「がんもん定食」が待ちかまえていた。

ここは、1階が土産物屋で2階がレストラン。階上へ足を踏み入れて、ふと思う。「どこかで見たような?いや、過去に来たことがあるような~。」広い部屋にテーブルと椅子がずらりと並ぶ。おぉ、そうだ!学生時代の修学旅行先での昼食風景。あれに、そっくりだ!

定食は、入口に飾ってあった「がんもん定食」にそっくりなので、多分これだろう。@1680円。ただ、サンプルよりも、各皿ごとの具材が少々シンプルというか簡素なような気もするが。しかし、ご飯が「さざえ飯」なのは、嬉しい!生粋の道産子である私は、今まで食べたことがない。「さざえ」って、こういう食感なのか!

大きな窓のむこうには、能登金剛の海と岸壁がひろがっていた。


11/09/27 能登金剛

千里浜砂まつり

巌門(がんもん)

機具岩

がんもん橋と遊覧船
能登金剛は、自然が作り上げた奇岩・断崖が約30mも連続する海岸線である。この能登半島国定公園の海岸美は、能登観光のハイライト。

巌門・関野鼻・機具岩など日本海の荒波によって浸食された風景は、男性的な力強さで見る者を圧倒する。能登金剛というその名は、朝鮮半島有数の景勝地・金剛山に匹敵するという意味合いで名付けられたという。

千里浜砂まつり レストハウス前の砂浜を会場として、今年で18回目となった千里浜砂まつりが開催されていた。地元の子供たちの作品は、いずれもお見事!入場無料。
巌門 波の浸食により形成された、天然の洞門。松本清張原作の映画「ゼロの焦点」のロケ地として、有名である。
機具岩 2つの岩が寄り添い、太い綱で結ばれている夫婦岩。別名「能登二見」。背の高い方が女岩なのは、なぜ?能登では女性の方が大きくて強い!のか???ちなみに、夕陽が美しい、撮影スポット。
がんもん橋 しあわせのがんもん橋。比較的新しい橋だとのこと。日本海を背景として、美しく映える。


閑話
金持ちの身勝手

形状は帆立の貝殻にそっくり
さて、食事をすませた私たち一行。この後、希望者のみ遊覧船へとむかう。私とツレは、ここでの短い滞在時間、遊覧船はやめて周辺の散策に充てることに決めた。じつは、ここ「能登金剛」は、松本清張氏が原作の「ゼロの焦点」の舞台として、全国にその名を馳せたところ。なんでも、近くにその石碑があるそうな。

矢印の看板を発見!おぉ、こっちだ!!海岸を見渡しながら、歩く。と、そこに小さな土産物屋があった。店番をしていたのは、高齢の女性。ちょっと、道を訊ねてみる。「あぁ、それなら その道を行けばあるよ。」と気さくに教えてくれた。しかし、行けども行けども石碑らしきものには出会わない。どころか、道標となる看板はついぞ見つけることが出来ず、気がつけば何とさっきの土産物屋の前に出てしまっていた。ぐるっと1周して振り出しに戻ってきたと言う感じ。店の奥から、さっき道を教えてくれた女性が出てきた。「え、なかった?すぐ、そこなのにwww」。すると、店の前で薪割りをしていた彼女のご主人が、手を止めて憮然とした面持ちで言った。「石碑なんて、すぐそこなんだ。看板がなきゃぁ、観光客は行けないのに・・・。何度 俺らが自費で看板を立てても、すぐに抜いてしまう。困ったもんだ。」。「え、誰が?」と思わず聞き返す私。「ここらの金持ち!観光客を自分の店に誘導するために、他の観光場所には行かせたくないんだ。ここのいい所を皆に見てもらってこそ、これからも観光地として人が来てくれるのに、自分の儲けしか考えていない。」

それで、石碑の矢印看板は1つしかなかったのか。なんという姑息な!「ゼロの焦点」という願ってもない観光の目玉を、使わない手はないだろうに。しかし、考えてみれば多くのツアー客は、観光バスでやってきて食事をして遊覧船に乗って疾風の如く去っていく。ならば、その短い滞在時間の間は少しでも自分の店で金を落とさせようという、一部の店のエゴの図式が垣間みえる。そういう人たちには、私たち観光客は財布にしか見えないのだろうなぁ。もとより、ツアー自体が商業ベースで展開しているもの。改めてそこに思い至る。なんだかなぁ~。

←ここで取れる色とりどりの奇麗な貝殻は、自然の色。土産物店の店先に広げ干した後、キーホルダーなどに加工して商品となる。


11/09/27 千里浜レストハウス

いかだんご@150円
トイレタイムで立ち寄った「千里浜レストハウス」。こちらも、1階が土産物屋で2階がレストラン。先だって昼ご飯を食べた「レストラン巌門」と同じ会社の経営による。巌門もこの地域も、他には大きな観光客向け施設は見当たらないので、このあたりの大手ということらしい。すると、もしかして巌門の小さな土産物屋のおじさんが嘆いていた「金持ち」というのは、ひょっとして・・・。いや、推測w

トイレの用を済ませて土産物売り場へ行くと、外からツレが入ってきた。え?どこへ行ってたの?と見れば、手には「いかだんご」。これ、実は店の入口付近で売られているもの。揚げたての烏賊ミンチは、ふわっと口の中でとろけて、何とも旨い!


11/09/27 千里浜なぎさドライブウェイ

渚には車の轍が
バスは、突如、渚を走りだした。「えぇぇぇ、なに?なしたの?バスが、な、な、なみにのまれるぅぅ~~~。」と驚愕の私。

ここは千里浜なぎさドライブウェイ。自動車やバスで波打ち際を走ることが出来る世界的にも非常に珍しい観光道路なのだそうな。その長さは、約8kmにも及ぶ。

これが出来るのは、砂のきめが細かく、水分を吸って固くなると特別に細かく締まるため。それで、普通の砂浜の様に大型車の重さにも沈まないとのこと。

打ち寄せる波の音、能登半島の雄大な自然、海のぎりぎり際を走行する爽快さ。なんて素敵なんだろう~。「興奮と感動」の至福のドライブウェイ♪





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10日目    福井  編         今日の歩数=13.087歩    晴



東尋坊・永平寺2日フリー乗車券(京福バス)@2000円
本日のお宿は、福井。金沢で見たい所はまだまだ残しているが、金沢観光をして夜に福井に滑り込んだのでは、福井で東尋坊と永平寺の両方を見歩く時間がなくなってしまう。ここは、後ろを振り向かずに前に進むべき!という次第で、後ろ髪をひかれつつ「えい、やぁー。」とばかりに、朝の早い電車に飛び乗った。

時間のロスを避けるため、途中の芦原温泉(あわらおんせん)で下車して、先に東尋坊を訪れることに決定。


11/09/28 芦原温泉駅
「芦原温泉駅」と書いて、「あわらおんせんえき」と読む。「あしはらおんせんえき」では、ない。「当たり前!何を今更?」と言われそうだが、日本海側の土地に縁がなかった私には、新鮮な驚きだった。

芦原温泉駅は、福井県北の観光地・芦原温泉や東尋坊へのアクセス拠点。「で、これからどう行けばいいのかなぁ?」と駅内をキョロキョロ。その時、棚にチラシを発見。「東尋坊・永平寺2日フリー乗車券」(京福バス)って、私たちの希望にぴったりじゃぁないの!よし、これだ!

駅を出ると、バスが待ち構えていた。しかし、駅前ロータリーの人影はまばらで、どことなくのんびりとした気配が漂う。


ところで、駅で何気に置かれていたのが、何とハローワークの求人情報。なんで、駅に?それ程に求人が多くて、人手が足りないと言うこと?


11/09/28 東尋坊
昔、この地に民を苦しめる東尋坊という僧がおったそうな。東尋坊は、美しい姫君に恋をした。ある時、その姫をめぐる恋敵によって、東尋坊は断崖絶壁から突き落とされてしまう。すると、たちまちにして天候が変わり、暴風雨が四十九日間続いたのだと。毎年四月五日の命日には、東尋坊の怨霊が大波となって岸壁を打つ。以来、この岸壁を人は「東尋坊」と呼ぶようになった。(民話より)
ごつごつとした岩がそそり立つ断崖絶壁。そこから下を覗きこめば、海に吸い込まれてしまいそう。これぞ日本海の絶景!

東尋坊は自殺の名所としても有名だが、「こんなに観光客が沢山いたのじゃあ、落ち着いて自殺も出来やしないだろう。」と思いつつ、付近を散策していたら、茂みに手作りの立て看板を発見。そこには、こう書かれていた。「もう一度思い出してみよう、友達を。」ギョッ。どうやら、自殺志願者を思いとどまらせるためのモノらしい。

帰宅後、東京で宿を提供してくれた愚息に安着の報告をした時のこと。
愚息「あれからどこへ行ったの?」
私  「東尋坊へ行ってきたよ。」
愚息「船越英一郎いなかった?」
私  「・・・?」
愚息のリアクションは、私にとって想定外。意味が解らん。聞けば、船越英一郎が出る2時間サスペンスドラマのラストシーンは、断崖絶壁が定番なのだそうな。船越英一郎はいなかったが、東尋坊がサスペンスドラマの撮影に使われることが多いのは確からしい。


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11/09/28 福井駅

福井駅西口

結城秀康公(徳川家康の次男)
福井駅東口側では、2014年開業決定の北陸新幹線建設工事が進んでいた。長野―上越―富山―金沢までの区間は開通予定だけれど、金沢より西の大阪までの着工目処が未だ未定。

新幹線は乗換えなしで一本になっていてこそ意味があるので、途中で乗継ぎなんて不便すぎ・・・。日本列島の北から南まで直通で行ける日は、いつやってくるのだろう。


11/09/28 東横イン福井駅前

物干しロープ
お馴染みの東横イン。
どこの東横インも、ほぼ駅の近くに位置する。値段が安価であるとともに足回りの良さは最大の魅力なのだが、ここは飛びぬけた立地で、なんと、駅西口から徒歩1分。「えぇ、駅の敷地なのでは?」と思うほどに、駅から近い。無論、おにぎりや味噌汁など軽い朝食つき。

さて、部屋に入って何気に目に留まったのが「物干しロープ」。東横インには何度も泊まっているけれど、これは初めて見た。
物干しロープ

●ロープを引く時は、ロックを解除してください。
●フックを反対側のリテーナーに掛けロープをロックして使用してください。
●10kg以上は干さないでください。

ロックというのは、右写真下の小さなハンドル。左写真が、リテーナー。

今回の私たちは、ここでは1泊だけれど、連泊ならばとっても有難いだろうなぁ。






11日目    柴田神社&永平寺&敦賀  編         今日の歩数=21.453歩    晴


11/09/29 柴田神社

柴田神社


三姉妹神社

茶々・江・初
まずは、徒歩で「柴田神社」へ。

ここは、戦国武将・柴田勝家の居城・北ノ庄城の本丸跡地。織田信長の妹・市が、夫・浅井長政の死後に娘三人を連れて再嫁し暮らした地である。

境内には、市の娘(茶々・江・初)を祀る三姉妹神社がある。政略結婚であった市と長政の夫婦仲は、人も羨む程だったそうな。しかし、そんな幸せも長くは続かなかった。長政は信長によって自害に追い込まれる。夫と一緒に死ぬことを希望した市は、意に反して救い出され三姉妹を連れて勝家と再婚。が、やがて勝家が秀吉に敗れたために、夫とともに自害した。享年37歳。

この三姉妹が、後々、歴史の表舞台に躍り出て日本の歴史を変えていくことになろうとは、神のみぞ知る事実。いや、神も想定外だったかも・・・。北ノ庄城落城のおり、市は娘たちに言い聞かせたという。「浅井と織田の血を絶やさぬように。」。

長女・茶々は秀吉の側室となり秀頼を生むが、「大坂夏の陣」で秀頼ともども自害。秀頼と正妻・千姫(徳川二代将軍・秀忠の娘)との間に子供はなかったが、側室との間にもうけた男児は殺害され、ここで秀吉の血と茶々系の浅井・織田の血は途絶えた。一方、三女・江は徳川秀忠に嫁ぎ三代将軍・家光ほか多くの子を生む。そして、戦国大名・京極氏に嫁いだ二女・初は、たしか子どもがなかったはずだが、敵味方に分かれた豊臣側の姉と徳川側の妹、その間でうまく双方を取り持ったといわれている。結果、三女・江の血筋だけが今日まで脈々と残った。政争の具とされた悲劇の絶世の美女・市。その人生は政略結婚の繰り返し。しかし、その都度 夫を愛し抜いた。「お前が男だったらなぁ~。」と兄・信長に言わせしめた才色兼備の女性・お市は、幸うすい人生と引き換えに血筋を残すというその悲願を叶えた。

三姫の像は、そんな過酷な運命など微塵も感じさせることなく、可憐で愛らしい。


閑話
鯖江の小学生たち
柴田神社の境内には、新しく整備された北ノ庄城公園がある。その一隅に小学生たちの塊がいた。彼らは、白いシャツと紺のスカートorパンツ姿といった揃いの制服。まるで、白と紺の花が咲いているよう。その円心で、教師が言った。「臨機応変にいけ!臨機応変にな。」。その言葉を合図に、子どもたちは5・6人のグループごとに、一斉に各々の方向へと走り去った。さて、生徒が散っていったその後、教師はその場に設置されている自販機でドリンクを買い、ひとり憩う。どうやら、先生も臨機応変に休憩している模様。

公園を後にして駅方向へ歩いていたら、件の小学生たちのグループのひとつにばったり。しかも、彼らの方から「おはようございます。」とさわやかな挨拶を浴びた。ちなみに、この旅の途中・松本でも、すれ違った見知らぬ小学生からさりげなく挨拶をされて、びっくりしたっけ。このあたりの子供たちは、たとえ知らない人でも会ったら挨拶をするように教育されているのだろう。私の居住する地域では、すれ違った程度の見知らぬ大人に子供が声をかけることは、大抵の場合ない。その逆は、さらにない。それは、世の中に誘拐などの犯罪が増えたせいもあるだろう。都市化と核家族化が進み、隣近所や他人との関係が希薄になったせいもあろう。だが、どんなに机上の勉強をしても、人からしか教われないことがある。人と関わることで「おもいやり」や「やさしさ」をたっぷりと身につけながら、この子たちは中身のしっかりつまった大人に成長していくのだろうナ。

彼らは、福井市から程近いメガネの産地として有名な鯖江の小学生。今日は、研修旅行なのだそうな。当方が札幌から来たと言うと、「え~~~~~。北海道からだって。」と言い合い、一様に目を輝かせた。彼らにとって、北海道は地図で見る遠い土地なのだろうなぁと、改めて思う。「今度、きてね。」と言うと、中の一人がしばし考えてからきっぱりと言った。「いけたら、行きます。」。他の子たちの間で「うわぁ~。」というドヨメキが起きた。あてもない約束。いや、約束とも言えまい。大人同士なら単なる社交辞令とも言える言葉のやりとりだけれど、その子供らしい真摯で純真無垢な応答が、爽やかに心に沁みる。大人が、遠い昔にどこかに置き忘れてしまったものを見た。

いつかきっと、あの子たちが北海道へ遊びに来られる日が来たらいいなぁ。その時、私たちの事を思い出してくれるだろうか。


11/09/29 永平寺

法堂(はっとう)


磨きこまれた回廊




傘松閣の天井絵





庭と報恩塔
永平寺は、總持寺とともに日本曹洞宗の大本山である。開祖・道元。拝観料@500円。

永平寺では、全国から集まった百数十名の若い修行僧が毎日厳しい修行に励んでいる。人は彼らを雲水と呼ぶ。また、雲水の教育係として30名余の幹部僧がおり、寺は雲水と幹部僧とで運営されている。

広い寺院内を見学中、急ぎ足で移動する沢山の修行僧たちとすれ違った。皆一様にすらっとした細身。永平寺の食事は精進料理だから、太るはずもないか。納得。さらに、眼鏡をかけている者はこれ又お揃いの黒ぶち眼鏡。決まりなのだろうか?解らん。

この寺では、檀家信徒や一般者の禅修業体験も出来るそうな。
法堂の祭壇前で、20名程の法衣の若者たちが、満面の笑みを浮かべて写真を撮り合っていた。同派の寺から、見学にでも来たのだろうか?まるで、修学旅行生のように屈託がない。着衣が法衣でなければ、おそらく一般人とみまごうだろう。一方、きびきびと動き回り、自分の感情を出さない永平寺の僧たち。彼らにとって、ここは修行の場。同じ僧徒として、その両者のあまりの落差に、雲水のなんたるかを思い知らされた気がする。




祠堂殿の位牌
    
織田信長禁制状とそこに押された天下布武の朱印  
永平寺で見たかったものがある。
まだ母方の叔父が元気だった頃、母の姉弟3人でここへ母の父母(私の祖父母)の位牌と遺骨を納めに来たはず。「どんな所なのだろう。」とずっと思っていた。

祠堂殿に足を踏み入れると、金色の位牌群が目に飛び込んできた。しかも、それは県別に並んでいる。その数の多さに圧倒される思いだ。祖父母のそれを探してみたが、見つけられなかった。しかし、ここで永遠の眠りについているのかと思うだけで、胸がいっぱい。

最後は、聖宝閣と呼ばれる宝物館。道元の直筆など文字通りお宝が展示されているのだが、中でも織田信長が永平寺に出した禁制三ケ条に目も心も奪われた。この禁制状により、永平寺は「軍勢の乱妨狼藉・山林の伐採・放火乱暴の禁止」など一切の保護を信長に約束されたのだ。しかし、そんな事より何より、その禁制状には「天下布武」の信長の朱印が押印されているではないか。あまりの感動と興奮と感激で、しばらくはガラスケースにヘバリ付いていた。ここでこんなお宝に巡り合えるとは・・・。


明日未明のフェリーに乗船予定なので、早めに敦賀へ。

11/09/29 敦賀ヨーロッパ軒


ソースかつ丼@840円


ミニパリ丼@525円
「敦賀に着いたら、まずソースかつ丼を食べるべ!」北海道の自宅を出る前からの、ツレとの申し合わせ。

その歴史を紐解けば、1912年、高畠増太郎がベルリンでの料理留学後、ウスターソースの味を日本人好みに変えて、ソースかつ丼を作り出したのだと。

オーダーしたのは、ツレが名物・ソースかつ丼で、私がパリ丼のハーフサイズ・ミニパリ丼。まずは、お茶が入った金色のヤカンが運ばれてきた。湯呑に注いでくれるのかと思っていたら、なんと、ヤカンごと置いて行ったではないか。お茶好きな家人は、大喜び。

さてさて、次のサプライズはソースかつ丼。何が?って・・・カツのボリュームが尋常ではない。そのために、丼の蓋が斜に乗っかっている。正しい食べ方は、蓋の上に一旦カツを移し、一枚づつ丼に乗せて食べていくのだそうな。私の成育歴によるかつ丼の定義は、厚切り肉のカツを卵でとじてご飯に上がっているもの。無論キャベツつき。しかし、ここのかつ丼は薄肉のカツを甘ソースで絡めてアツアツのご飯にのせただけ。肉が薄いせいで、カラっと揚がるのか?サクっとしたカツの食感が癖になりそう。確かに!この場合、卵でとじるなんざぁ~野暮だぁ。このシンプルさだからこそ、カツとソースの旨さが一層ひきたつ。まさに、目から鱗!

ちなみに、パリ丼と言うのは、ミンチかつ丼のこと。どこが、なんでパリなのか?名前の由来は、創業者がフランスへ行った時に作ったメニューだから。これはソースかつ丼の次の人気メニュー。熱々の肉汁が口の中に広がり・・・あぁ、幸せ~。日頃は肉食よりも魚食を好む私だけれど、すっかり虜になってしまった。


11/09/29 気比神宮
気比神宮は、大宝2年(702年)の建立と伝えられる北陸道の総鎮守。後年、米軍により焼失に合うも辛うじて残った大鳥居。これが、日本三大木造鳥居として国の重要文化財に指定されている。

敦賀には、三大・・・がもう一つある。1934年に国の名勝に指定された三大松原のひとつ・気比松原。夏は海水浴場として賑わうとのこと。また、400,000㎡の土地には17,000本余の松があるそうな。9世紀、この近くに渤海使接待施設として松原客館が置かれた。

渤海とは、8世紀頃、高句麗の遺民とも言われる大祚栄により、朝鮮北部・ロシア沿海・中国東北部に建国された国である。彼らの使いとして渤海使が、最初は軍事目的で後には交易のために、冬の季節風を利用して度々この気比の海岸にやってきた。渤海は大和朝廷に対し朝貢貿易の形態を取ったため、日本側は渤海からの貢物に対し、その数倍の貢物で応える義務が生じ、その経費が朝廷に重くのしかかるようになったようだ。ちなみに、その渤海使の管理を担当したのが、他ならぬ気比神宮。当時、渤海使に憑いていると信じられていた悪霊を祓うため、である。なるほど、だからかぁ。まるで、見張ってでもいる様に大鳥居が海の方を向いているのわ。ただ、財政的には招かれざる客ではあったが、渤海使は文化人が多かったために、文化交流により有形無形の多くのモノを残したことも又事実。

気比神宮境内には、摂社としてツノガアラシトを祀る角鹿神社がある。日本書紀によれば、朝鮮半島の王子・ツノガアラシトが32年頃敦賀にやってきたのだと。して、その王子の頭には、角があったと。ゆえに人々は王子のことを「角額の人」と呼び、やがて角鹿と記す様になった。角の正体は、冑・・・か?ツノガアラシト・・・ツノガアルヒト・・・現代語に変換すると、こうかな?敦賀という地名は、ツノガアラシトから名づけられたとする説が有力らしい。

この海の向こうにあるのは、朝鮮・中国・ロシア。海路、季節風に乗り運ばれてきたものは、状況に応じて少しづつ日本風にアレンジされて、日本に根を下ろした。飛鳥時代の建築や芸術の多くは、渡来人により作り出されたものだと言う。神社も又、古いものは渡来人たちが自分たちの先祖を祀るために創ったものが多いそうだ。神道は、日本の神と朝鮮の神との融和なのだとか。もしも、彼らとの接触がなければ、日本の神社は今とは全く別なものになっていたのかも・・・。

遠い遠い昔、すでに活発なる交易や国際交流が行われていた。この街に刻み込まれた歴史は、ずしりと重い。


11/09/29 シンボルロードモニュメント

宇宙戦艦ヤマト


宇宙戦艦ヤマトの名艦医


英雄の丘
ヤマト乗組員集結の地


スターシャ
イスカンダル星の女王
気比神社から敦賀駅まで、こんなモニュメントがそこここに。

東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、敦賀は「日本でも有数の鉄道と港の町」でした。1999年に敦賀港開港100周年を記念して、市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体、「銀河鉄道999」のブロンズ像18体の計28体のモニュメントを敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置しました。                        (紹介文より)

はるか昔から、海の向こうの国々との交流を重ねてきた敦賀。銀河の惑星たちとを結ぶ銀河鉄道のステーションであっても不思議ではないような、そんな気持ちが湧いてくる。私も銀河鉄道に乗って、永劫に生きられる機械の体が無料でもらえる星へ行かねば~~~。気分はすっかり銀河鉄道999。

後日譚
何気にテレビをつけていたら、この敦賀のモニュメントが大写しになった。なんでも、これも電力会社からの原発マネーが投入されているのだと。現在の敦賀、その一面である。




塩荘のへしこ@600円


敦賀名物・かたパン@350円


閑話
「フェリーターミナル行き」バス運転手さん
敦賀の街を、夕闇がつつむ。そろそろ、フェリーターミナルへ行かなくちゃぁ~。と心が急くのは、足回りが非常に不便なため。このバスに乗り遅れたら、フェリーへの乗船自体があやうくなりかねない。

駅前で待ちくたびれた頃に、やっとバスが到着した。乗客は私とツレ。それに、乳児を抱いた若い夫婦。計4名。フェリーを利用する人は、ほとんどが車かバイクかの自前の足を持参しているから。しかし、これじゃぁ、バス会社は真赤な赤字だなぁw

バスは、敦賀駅を後に走り出した。さて、この運転手さんがとてもお話好きで・・・。北海道と福井は縁が深いのだと。なんでも、明治の頃、福井県から北海道へ大量に移住したそうな。屯田兵の募集に応じた、と言うことだろうか。だとしたら、寒い北海道でさぞや苦労をしたことだろう。次は、新幹線の話。彼がいうには、「福井県民は、ほとんどが欲しいと思っていない。県民は白けているけれど、財界は違うんだろうなぁ~。」と、大きな溜息をついた。もう一つ印象深かったのは、米の「こしひかり」の話。「こし」は越で、越後ではなく越前のこと。「こしひかり」は、福井県が作り出した米なのだと。

そういえば、東京の電車の中吊りにこんな文字が躍っていた。「米の名は、カタカナは国の機関で開発したもので、ひらがなや漢字は各自治体の機関で開発したもの。」知らなかったぁ~。しかし、1991年以降は自由に名前がつけられるようになったのだと。






12日目    フェリーにて帰道  編         今日の歩数=9.656歩    晴


11/09/30 新日本海フェリー・すずらん

1等乗船切符@18500円

朝食のモーニングセット@500円
敦賀港1:00発→苫小牧・東港着20:30のフェリーに乗船。フェリーターミナルで乗船を待つうちに、日付が変わった。部屋に荷物を置き、すぐにお風呂へ。後は寝るだけ。

今回も乗客のなんと少ないことか。これなら、2等の大部屋でもゆっくりだったかも?とは思うが、ひとたび個室を利用すると、すっかり1等に魅せられてしまう。

さて、朝めざめると、苫小牧に着くまでの長い時間を船の中で過ごすことになる。暇なので、レストランを覗いてみた。モーニングセット@500円は、他のフェリーのレストランよりも単価が低い。これに、サラダがついたら、尚うれしいのだけれど・・・。


まとめ
初めての「甲信から北陸」への旅。予定では充分な余裕をもたせたはずなのに、結局は駆け足の急ぎ足。後ろ髪も前髪も引かれっぱなしで、帰宅する仕儀と相成った。ま、次回へのお楽しみ!と言うことで。

生まれて初めて足を踏み入れた、日本海側の街。私の想像するそれは、どんより鉛色の空と海がひろがり、経済的には恵まれないが素朴な人々が住む街。つまり作家・水上勉の小説にある日本海沿いの風景そのもの。ところが、実際に行ってみれば、何と空はどこまでも青く高く、海は透明度の高いマリンブルーではないか。まさに、聞くと見るとは大違い!

先日、某大学が「県民が幸せと感じる“幸せ度”の高い県」を調査した。結果、1位が福井県で2位が富山県で3位が石川県。旧経済企画庁の「豊かさ指標日本一」でも上位を占める常連である。1世帯当たりの貯蓄額が他県よりも高く、離職率・失業率が低く、出生率や持ち家率が高いそうな。未婚率が低く、福利厚生が充実し、犯罪や事故が少なく安心して暮らせる県と評された。

今回の旅は、東日本大震災から半年後。「孫のことを考えると、原発はどうなんだろう。」と言った松本の蕎麦屋の女性の言葉が、耳に残る。フェリーターミナル行きのバス運転手さんによれば、明治のころ福井から極寒の北海道へ大勢移住したのだと。当時、福井は決して豊かな所ではなかったという証左。時を経た今、この豊かさはどこからやってきたのか。敦賀駅前のモニュメントが、原発マネーに拠るとの報道が流れた。一たび事故が起きれば全てを失う危険を孕んだ原発によって、今日の繁栄が成り立っているとは思いたくもない。人の幸せを、砂上の楼閣の上に築くことなど出来はしない。

俳優・伊勢谷友介氏が、福島県飯館村の子供たちに原発のために催行不能となっていた卒業式をプレゼントした。その時、彼は子供たちに言った。「原発事故を起こしてしまった大人のひとりとして、皆さんに謝りたい。」たった1度の原発事故により失ったものは、余りにも大きい。そして、復興や事故原発の処理などは、気の遠くなる様な長い時間とお金を必要とする。それらを、私たち大人が生きている間に完結させることは到底不可能なのだ。私たちは大きな借財を、次代を担う子供たちに、そのまた先の子孫に先送りして行くことになる。一片の恩恵に浴することがないにも関わらず、ツケだけが回ってくる。子供たちにとって、こんな理不尽なことはないだろう。この国に生まれおちた子供たち、これから生まれ来る子供たちに、まっさらな人生を用意してあげられない責任。大人のひとりとして、心から申し訳なく思う。
















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